どんな本?
私自身がサッカーの試合やYouTube等の映像を早送りして視聴する事があり。
最近では動画プラットフォームで映画やアニメを早送りして観る人たちが増えているのを目にし、その現象に共感と疑問を感じていました。
様々な動画を早送りして観る人たちがどんな理由で早送りするのか知りたくなりまし本を手にとりました。
読んだ本のタイトル
映画を早送りで観る人たちファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形
著者:稲田豊史 氏
2022年4月13日発売
あらすじ・内容
現代社会のパンドラの箱を開ける!
映画を早送りで観る人たち
なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。なんのために? それで作品を味わったといえるのか? 著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか? いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか? あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。
感想
この本に惹かれたのは、著者が自身の違和感と疑問から始まり取材を通じて、現代社会のパンドラの箱を開けようとしているという点です。
なぜ人々は映画や映像を早送りして観るのか、その動機や背後にある社会的な要因に興味を持ちました。
また、映像コンテンツの受容について深い洞察が提供されるとの紹介文も魅力的で、私自身の行動や考えについても再考するきっかけになるのではないかと期待して読むことに決めました。
「映画を早送りで観る人たち」は、著者が現代社会の映像コンテンツ受容の変化に興味を持ち、その違和感から始まる取材を通じて繰り広げられる書籍です。
著者はなぜ人々が映画や映像を早送りして観るのかを探求し、その背後にある意図や社会的要因に迫ります。
序章では、著者の大きな違和感と疑問からスタートします。
第1章では、早送りする人々の視聴スタイルについて取材し、鑑賞から消費へと変化する社会の背景を明らかにします。
第2章では、”鬼滅の刃”のシーンで黙っていても分かるのにわざわざセリフで状況を説明する演出スタイルに焦点を当て、昔の映画などで使われていた、沈黙、カメラワークによる演出が重視されない事と「タイパ」「コスパ」と効率重視に動く人たちとの関連性を探求します。
第3章では、失敗を避ける傾向にある人々に迫り、個性の呪縛と「タイパ」至上主義について考察します。
第4章では、好きなものを貶されたくない人々にスポットを当て、快適主義という新しい思想に迫り。
第5章では、無関心なお客様たちについての考察が行われ、技術進化の行き着く先に迫ります。
著者が現代社会の消費社会の実態をあぶり出す意欲作として、重要な問題点や洞察が示されることが期待されます。
この本で好きなシーンは、第2章で取り上げられている「セリフで全部説明してほしい人たち」についての解説でした。
私が5分で挫折した鬼滅の刃では、セリフで全部説明しているらしく。
昔、よく見ていた起動警察パトレイバーの劇場版などの最初のシーンは「セリフで全部説明してほしい人たち」には意味不明なんだろうかと思いつつも。
でも今の私自身も映画やアニメを観る際に、セリフに頼っている部分があることに気づき、共感するところがありました。
舞台がオープンワールドゲームのような作品は、自由な探索や体験ができる一方で、シナリオが無いせいでストリートが希薄になる場合もあるらしい。
消耗品としての映像コンテンツを消費する人たちと、映像コンテンツを作品として創作する人たちとの齟齬。
作り手として作品の中の間を大切にして欲しいと言われても、私たちには崇高な事を感じる取る事ができないと言って倍速で消費してしまう。
中には倍速で見られるように作品を創るべしと言う人もいる。
読む前は私自身がサッカーやYouTubeを早送りすることがあり、この本が興味深い内容だと思っていました。
しかし、読んだ後はその視聴スタイルが巨大な消費社会の一環として見えてきたことに驚きました。
映像コンテンツの受容において、時間の効率化がどれだけ重要視されているのかが分かり、自分自身の行動についても再考するきっかけとなりましたが、、
推しの作品を見つけるには非常に有効な手段だとも思います。
作品を味わいながら視聴することの大切さを思いながら、時間の効率化だけに囚われず、作品の魅力やメッセージをしっかりと受け取るよう心がけたいと思います。
昔は出来てたし、、
また、消費社会における個々人の行動が社会全体にどのような影響を与えるのかを意識し、時代の変遷に適応出来るようにしたいと思っております。
頭を柔らかくしないとな、、
最後までお読み頂きありがとうございます。
その他ノンフィクション
Share this content:
コメントを残す