どんな本?
『だんドーン』とは、『ハコヅメ』の作者である泰三子氏が描く、幕末史コメディの漫画。
江戸時代の末期を舞台に、のちに“日本警察の父”となる川路利良の活躍を描いてある。
川路利良は、薩摩藩主の島津斉彬や西郷隆盛とともに、新しい文化や制度を作り上げていく。
薩摩の特殊な文化や精神性もたくさん紹介されている。
『だんドーン』は、モーニング(講談社)で連載中。
泰氏が『ハコヅメ』の世界観を描き切りたくて始めた作品で、『ハコヅメ』の源に似ていると言われる川路利良の魅力に引き込まれるだろう。
読んだ本のタイトル
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あらすじ・内容
龍馬が薩長同盟を仲介し、新撰組が御用改め、薩摩が英国に喧嘩を売った時代、幕末。その激動の歴史のド真ん中にひっそりと隠れて、しっかりと「仕事」をした男がいた。彼は「愛国者」か「裏切り者」か。『ハコヅメ』の作者が「日本警察の父」を描く、超本格幕末史コメディ!
だんドーン(2)
感想
情報量が多ずきる!!←知らないだけ。
幕末期の初期の話。
安政の大獄開始直前の暗闘を川路の目線から魅せられる第二巻。
薩摩に潜入していた多賀者の頭領タカを拘束して、情報をある程度吐かせたまでは良かっだが。。
日向おくり(薩摩から出たら殺す)の前にタカに逃亡され。
その後、潜入していたタカによって島津斉彬を暗殺されてしまう。(諸説有り)
当主交代で斉彬の後を追うと言う西郷と川路に、清水寺の住職、月照和尚から暗殺した多賀者達に仕返しをするために、戊午の密勅を水戸藩に持って行くミッションが始まるが、、
多賀者の報告が、、
飯食って糞して寝るって、、皆やってるじゃん。。。
あと、幼馴染の2人旅の恋の行方を報告させるとか、、
多賀者達がノホホンとしてるww
最後に、タカが戻って来て、安政の大獄が勃発して終わる。
登場人物についてAIさんに聞いてみた
島津斉彬
島津斉彬は、江戸時代後期から幕末の大名で、薩摩藩11代藩主。
彼は、薩摩藩による富国強兵や殖産興業に着手し、国政改革にも貢献した幕末の名君であるとされている。
また、西郷隆盛ら幕末に活躍する人材も育てたとされている。
島津斉彬は、日本人で初めて写真撮影された人物でもある。
島津斉彬は、病死したとされている。
病名については、コレラ、赤痢、腸チフスなど、複数の説があり。
この作品では多賀衆のタカに殺されたとなっている。
1858年8月24日に亡くなり、享年50歳。
小松帯刀
小松帯刀(こまつたてわき)は、幕末から明治初期にかけて活躍した薩摩藩士で、維新の十傑の一人です。小松家の当主であり、薩摩藩の家老に出世し、藩政改革と幕末政局において重要な役割を果たし、明治維新の成就に貢献しました。維新後には新政府で参与、総裁局顧問、外国事務局判事などの要職に任じられていました。
岩瀬忠震
岩瀬忠震(いわせただなり)は、幕末の政治家・外交官で、幕末三俊の一人です。1818年に旗本・設楽貞丈の三男として江戸芝愛宕下西久保で生まれ、岩瀬家の家督を継ぎました。列強との折衝に尽力し、水野忠徳、小栗忠順と共に「幕末三俊」と顕彰されました。日米修好通商条約の締結に屈した幕臣としても知られています。
多賀者(衆?)
多賀衆(たがしゅう)は、戦国時代に甲賀地方に存在した忍者集団。
彼らは、甲賀地方の山岳地帯に隠れ住み、武家や寺社の警備や暗殺などの任務を担っていた。
多賀衆は、甲賀流忍術を使い、独自の技術を開発しました。彼らは、鉄砲や火薬などの新しい武器を積極的に取り入れ、戦国時代の戦争において重要な役割を果たしていた。
多賀衆は、多賀大社の神官であった多賀氏の一族が中心となって結成された。
また、多賀衆は、六角高頼や明智光秀などの武将たちに仕え、彼らの側近として活躍しました。
事件をAIさんに聞いてみた
戊午の密勅
戊午の密勅(ぼごのみっちょく)は、幕末の日米修好通商条約の無勅許調印を受け、孝明天皇が水戸藩に幕政改革を指示する勅書(勅諚)を直接下賜した事件。
この勅諚は、幕府を飛び越えて水戸藩に直接下されたため、幕府がないがしろにされ威信を失墜させられたということで、幕府は勅諚の内容を秘匿するよう命じ、大老井伊直弼による安政の大獄を本格化させることになった。
安政の大獄
安政の大獄は、幕末期の日本において、幕府が行った弾圧事件。
1858年から1859年にかけて、幕府が勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また将軍継嗣を徳川家茂に決定したことに反発した尊王攘夷や一橋派の大名、公卿、志士らが弾圧された。
弾圧された人々は100人以上にのぼり、死罪、遠島などの酷刑に処せられたとされている。
この事件は、幕府の規範意識の低下や人材の欠如を招き、諸藩の幕府への信頼を大きく低下させることとなり、反幕派による尊攘活動を激化させ、江戸幕府滅亡の遠因になったとも言われている。
肥後ずいき とは?
AIさんに回答を拒否されました・・・
肥後ずいきは細川藩(肥後の国:熊本県)が徳川将軍家への献上品に定め、参勤交代のお土産として江戸に持参したと文献に残されております。世界最大のハーレム「大奥」では、肥後ずいきをお湯又は水に浸して柔らかくて暇つぶしに利用したとの事で、いわゆる「江戸時代の伝統ある大人のおもちゃ」という事ですが、当時は将軍様一人しか男性がおらず、ある者はご寵愛されるための出世競争に利用したり、またある者は一人で暇つぶしに利用したりと大変重宝されたそうです。
肥後ずいき専門店HPより
昭和時代に入ると肥後ずいきは熊本県のお土産品としてホテルや旅館、お土産屋でも普通に販売されておりましたが、ずいき芋生産農家の高齢化や後継者不足、肥後ずいき制作伝承者不足により、令和現在では『肥後ずいき専門店ひごや』のみが生産販売しており、全国の床上手な女性はもちろん多くの方にご愛用いただいております。
使用方法は肥後ずいき専門店さんのPDFファイルに書いてあります。
《肥後花菖蒲》 – 玉
《肥後牡丹》 – 二重リング –
《肥後竜胆》 – 太リング –
《肥後小菊》 – 花びら付 –
《肥後菖蒲》 – リング –
《肥後山茶花》 – 小リング –
うむ、興味深い。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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