どんな本?
戦国小町苦労譚は、夾竹桃氏によるライトノベル。
農業高校で学ぶ歴史好きな女子高生が戦国の時代へとタイムスリップし、織田信長の元で仕えるという展開が特徴。
元々は「小説家になろう」での連載がスタートし、後にアース・スターノベルから書籍としても登場。
その上、コミックアース・スターでも漫画の連載されている。
このシリーズは発行部数が200万部を突破している。
この作品は、主人公の静子が現代の知識や技術を用いて戦国時代の農業や内政を改革し、信長の天下統一を助けるという物語。
静子は信長の相談役として様々な問題に対処し、信長の家臣や他のタイムスリップ者と共に信長の無茶ブリに応える。
この物語には、歴史の事実や知識が散りばめられており、読者は戦国の時代の世界観を楽しむことができる。
読んだ本のタイトル
戦国小町苦労譚 忍び寄る影 (16)
著者:沢田一 氏
原作:夾竹桃 氏
キャラクター原案:平沢下戸 氏
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あらすじ・内容
依然大きな動きを見せない武田軍。
信玄は秘密裏に織田陣営への探りを入れ、静子と足満の動向に目を付ける。
信長も戦の動きを察知し、近江を秀吉に任せて岐阜に戻り…。
いよいよ機は熟した──。
ついに信玄が出陣を宣言する!
「小説家になろう」発人気時代小説コミカライズ、軍配の風切る音が轟く第16巻!!
感想
本作『戦国小町苦労譚 』は、戦国時代を舞台にした歴史小説である。
この巻では、第二次織田包囲網の最大の山場。
相手の最強戦力、武田家が遂に包囲網に参戦し、織田軍の本拠地、岐阜への侵攻の動きを始め、その動向が大きな注目を集めることとなった。
いよいよ武田家が出陣を宣言するという重大な局面が描かれ、織田家と徳川家がこの危機にどのように対処するのかが焦点となった。
その中でも、静子と足満が重要な役割を果たすことが予感される中。
信玄の動きを察知した信長は、秀吉に近江を任せ、自らは戦略を練るために岐阜へ戻る決断をした。
この動きは、武田が織田領への侵攻を試みる中で重要な意味を持った。
武田信玄は、織田家の動きを慎重に探りつつ、家臣たちと共に織田領への侵攻を計画。
信玄の狙いは、徳川家康を織田家から引き離すことであったが、今まで敵対していた武田家への鞍替えに家康は、使者として現れた馬場信春の調略を拒否し、武田信玄の侵攻を受けることとなる。
ついでに、その場に呼ばれた足満だったが、馬場信春の態度で、武田信玄が静子の策を全く見抜けてないと知り勝利を確信する。
静子は策の中心となる新型の火縄銃を増産し、武田軍の勢力に対抗するための準備を進めていた。
彼女は、家臣たちに対して戦いで名を上げる機会を与えることを約束し、彼らの士気を高めつつ戦の準備に忙殺され、新型銃の増産に勤しんでいる職人達に無理をさせてると負目を感じていた。
静子の冷静な判断と大胆な策が、織田家に勝利をもたらす鍵であるとされており。
織田信長も静子を全面的に信用し、自らの運命を彼女に委ねると言う。
信長の妻、濃姫が誰も信用しないと言っていた信長が、血の繋がらない静子を自らの運命を委ねた事に驚きながらも、さもあらんと納得もしていた。
一方、全幅の信頼に応えようと静子は武者震いを起こし、自身か織田家の命運を握っているとプレッシャーを受ける。
そうして、信長は12月に徳川家への援軍を決定し、静子をその指揮官として任命した。
この決断により、織田軍は徳川軍と連携し、武田軍との決戦に臨むことになった。
静子は、家臣たちと共に浜松城へ進軍し、武田軍との籠城戦に備えた。
彼女の策とリーダーシップは、織田軍の士気を高め、彼らの勝利への期待を膨らませた。
本作は、戦国時代の緊迫した情勢をリアルに描きながら、個々のキャラクターの成長と戦いの中での人間ドラマを深く掘り下げている。
信玄と信長、そして静子の行動が交錯する中で、戦の行方がどのように変わっていくのかが大きな見どころである。
武田軍との決戦に向けて、それぞれの立場で準備を進める静子と家康の姿が、歴史の流れを変える重要な局面を描き出している。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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同シリーズ
戦国小町苦労譚 シリーズ
漫画
小説版
その他フィクション
備忘録
七十六話 母性
みつおは育児のために必要なものを買い物していた。抱っこ紐と霧吹きを優先的に購入し、育児の手間を軽減しようと考えていた。みつおは自身の育児経験から、育児に必要な道具をあらかじめ揃えることが重要であると理解していた。彼は金銭での取引の便利さを感じながら、抱っこ紐と霧吹きを手に入れた。
買い物の途中でみつおは四郎という男と出会い、彼と話をする機会を得た。四郎は病気の母を尾張で療養させるために来ており、彼の話にみつおは共感を覚えた。二人は親交を深め、再会を約束して別れた。
七十七話 好機
一方、織田信長は浅井・朝倉包囲を任せ、自らは岐阜へと帰国した。この突然の帰国に織田の武将たちは驚き、包囲網が再結成される中で、武田の動きが織田にとって重大な脅威となる可能性を懸念した。竹中半兵衛は冷静に分析し、武田が織田に大きな打撃を与えることは難しいと述べた。秀長は竹中半兵衛の知識と判断力に信頼を寄せつつも、彼と静子の秘密の会談について疑問を抱いていた。
秀長は静子の手腕を評価し、前回の包囲網の際に有益な家臣を生き延びさせた彼女の能力を称賛した。彼は今回の静子の行動にも何らかの意図があると考え、今後の展開を期待していた。
織田家との約束により、鶴姫は赤子の首がすわるまでの四ヶ月間、入院生活を余儀なくされていた。みつおは一人の生活が気楽だと考えていたが、すぐにその誤りに気づいた。家族と共に過ごすことが当たり前となり、かつての孤独な暮らしを思い出せなかったからである。
みつおは友人の足満、五郎、そして最近知り合った四郎と相談したが、彼らの返答はみつおを満足させるものではなかった。彼らはむしろみつおの惚気話に呆れつつも、彼が用意した鍋を楽しんでいた。
その後、四郎は足満に対し、彼が乱波としての身分を知っているかどうかを尋ねた。足満は知っていることを認めつつ、四郎がみつおの友人であるため、特に問題視しないと告げた。四郎はみつおとの関係を裏切るつもりはないと返答した。
一方、五郎はみつおに冗談を言いながらも、彼の愛妻家ぶりをからかった。みつおは夫婦の円満な関係を維持するための秘訣を語ったが、友人たちは呆れていた。
やがて、酒を飲んでいた四郎が酔いつぶれてしまい、みつおと五郎は彼を横に寝かせた。足満はその様子を眺めながら、静かに盃を傾けていた。
織田家の家臣たちが思惑と疑惑を抱えている中、信玄は家臣たちを召集し、織田領への侵攻を決意した。彼らは織田を討ち取るための準備を進め、勝利を確信していたが、敵が対抗策を講じる可能性を見落としていた。信玄は家臣たちに慎重な行動を求めた。
一方、岐阜に戻った信長は武田の攻撃を警戒しつつ、織田の防衛策を整えていた。彼は静子の作戦と新しい技術に期待し、静子を信じて行動することを決意した。
七十八話 鼎談
1572年9月下旬
九月下旬、武田軍はいくさの準備を整えていた。そんな中、武田四天王の一人、馬場信春は少数の配下を連れて家康の居城・浜松城へ向かっていた。馬場は後の世に高く評価される武将で、戦場で一度も傷を負わなかったことから「不死身の鬼美濃」とも称されていた。馬場は浜松城に到着し、信玄は彼の動きに「流石は馬場美濃守」と感嘆した。
一方、家康は馬場の訪問に驚きつつも、面会を決断した。家康は会談を断れば、三河が臆病者と見なされる恐れがあると考えたからである。家康は万が一の事態に備え、側近たちを引き連れて根洗松に向かった。
家康が到着すると、馬場は上半身裸で刀も離れた場所に置かれ、兵士たちも武器を地面に置いていた。馬場のこの姿勢は、家康を侮っているのではなく、彼に対する敬意を示すものであった。馬場は家康に対して、武田家に加わることを提案し、織田家を討つ計画を打ち明けた。
家康はその提案に激怒したが、馬場は冷静に武田家の優位性を説明し続けた。家康は自分たちが織田家に加担することのリスクと、武田家の提案の現実性に苦悩した。馬場の話は終わり、足満が立ち上がった。彼は自分の信頼を寄せる相手はただ一人であり、他の全ては利用価値の有無で判断すると述べた。
足満は馬場たちを挑発し、「このいくさ、勝ったのは我らだ」と言い残して去った。家康は馬場の提案に揺れ動きながらも、最終的には断固たる決意を見せた。武田家と徳川家の関係は緊張感を増し、歴史の流れに大きな影響を与えることとなった。
七十九話 胎動
1572年11月下旬
十月三日、織田家に激震が走った。武田信玄が2万2,000の軍勢を率いて出陣したという報が届いたのである。信玄は事前に山県昌景と秋山虎繁がそれぞれ5,000の兵を率いて進軍していることから、武田家が総力を挙げて戦いに臨んでいることが明らかであった。徳川だけでなく、その背後にある織田家をも狙っていると誰もが理解した。
信長は横山城で浅井・朝倉の状況を確認中にこの報告を受けた。武田家の動きに対し、光秀は徳川に援軍を送るべきと進言したが、信長はそれを即断で却下した。信長は泰然と構えていたが、他の諸将は動揺していた。
尾張にいる静子も武田軍の出陣を知っていたが、彼女はいつもと変わらぬ態度であった。彩が足満を呼び、例のものを持ってくるように指示すると、静子は慶次に連絡係を依頼した。静子は武田を破った先に活路があると確信していた。
静子は家臣たちを集め、武田軍が甲府から出陣したことを伝えた。静子は徳川の後詰めに行くのが自分たちであると告げ、新型火縄銃を用いて武器の質で数を補う作戦を提案した。静子は武田軍の兵力に対抗するため、新型銃を使用し、その性能を見せることで家臣たちの不安を取り除こうとした。
静子は家臣たちに、武田軍との戦いで名を上げる機会を与えることを伝えた。特に鉄砲衆の存在感を示すことで、織田家の名を天下に鳴り響かせる作戦であった。家臣たちは静子の信頼に応えるべく、決意を新たにした。静子は彼らの気合いを感じ取り、解散を命じた。
十月三日、織田家に武田信玄の軍勢が出陣したという報告が届き、織田家中に激震が走った。武田は持てる力を総動員して遠征に臨んでいることが判明し、織田家にとって重大な危機であった。信長は岐阜を離れ、近江にある横山城にて対浅井・朝倉の状況を確認している中で、武田の報告を受けた。
信長は徳川に援軍を送る必要があるとする光秀の提案を即断で却下し、泰然と構えていたが、他の諸将は動揺していた。尾張にいる静子も武田軍の出陣を知っていたが、動揺することなく、冷静に対応していた。
静子は家臣たちを集め、武田軍の出陣を伝えた後、自身の軍を動かし、武田軍を迎え撃つ準備を進めるよう指示した。彼女は新型の火縄銃を使用し、武器の質で数を補う作戦を提案した。静子の落ち着きと決意を感じた家臣たちは、その指示に従い、準備を進めることにした。
徳川家康もまた、武田軍の圧力に苦しんでいた。家康は織田に援軍を要請する案を考えたが、織田も四方を敵に囲まれているため、援軍を送る余力がないと判断した。降伏の案もあったが、今更降伏しても受け入れられる可能性が低く、家康は悩んでいた。
半蔵は静子が軍を尾張に配置したまま動かないことに疑問を持ち、静子の意図を探ろうとした。家康は静子が岩村城に兵を送ることを疑ったが、静子軍の動きを信じることができず、武田軍をどうにかする策を見つけられなかった。
静子は織田・徳川連合軍を率いて武田軍に挑む決意を固めており、家康も武田軍との戦いに向けて準備を進めることにした。武田軍の出陣により、静子と家康はそれぞれの立場で危機に立ち向かうことになった。
十一月下旬、織田家は武田軍の快進撃によって緊迫した雰囲気が漂っていた。武田軍が徳川領を攻め、織田家も次に攻撃される可能性が高いため、戦いは避けられない状況であった。信長は武田と戦う意思を示さなかったが、静子は物資のチェックに追われていた。銃の部品や甲冑の装備が不足しており、熟練工に報奨金を与えることで生産を増やす方針をとった。
静子は戦時動員に近い形での無理を強いていたが、織田家が武田に勝つためにはそれが必要であると理解していた。兵士の訓練は森可成が担当しており、静子の直轄部隊も厳しい訓練に参加していた。玄朗は鉄砲衆を組織していたが、部隊の結束に時間がかかっていたため、静子は訓練内容を見直すことにした。
計画の修正が進む中、静子は十二月十日前後には武田が三方ヶ原へ向かうと予想し、その時に織田家が勝利を得ることを期待していた。織田家が勝つためには、予想外の事態に柔軟に対応し、勝利に導くことが重要であると考えていた。十一月も終わりに近づき、信長からの指示で徳川への援軍が送られる話が来るだろうと静子は予想していたが、その時、慌ただしい足音が静子の耳に届いた。
八十話 前夜
1572年12月中旬
十二月一日、信長は家臣たちを集め、武田を倒す決意を表明し、徳川への援軍を派遣することで織田家の力を示す方針を打ち出した。決戦の場となる浜松城は、守りに優れた城であり、家臣たちは籠城戦を覚悟していた。
信長の人事は意表を突くもので、後継者の奇妙丸を総大将に据え、静子、佐久間、平手、水野の軍を配下とし、大軍団を組織した。浜松城には静子軍が主力として送り込まれ、徳川軍と合わせて武田軍と同等の兵力となる。
信長の命により徳川への援軍を指揮することになった静子は、部隊長を含めた軍勢を集めた。すでに多くが派遣の話を知っていたが、静子は改めて軍としての方向性を確認するため、決意を宣言した。簡潔に「いつも通りに出陣し、戦い、勝利する」と述べ、特別な準備を強調することはなかった。
信長が徳川への後詰めを命じたことが広まり、敵方は織田軍の余力に驚きを見せたが、信玄はこれを予測しており、岐阜にはまだ2万から3万の兵が残っていると見ていた。そのため、二俣城の水源を断つことで兵の降伏を促した。一方、静子軍1万と佐久間、平手、水野の軍が浜松城に到着し、徳川軍と合わせて1万5000の兵力となった。
浜松城で籠城する間、他の城から武田軍の背後を突き、挟撃する作戦が立てられていた。しかし、信玄はこの作戦を予測しており、静子は才蔵を伴い家康のもとへ向かった。家康は苦悩していたが、静子は二俣城がすでに落ちていることを伝え、信玄を包囲しないようにする策を説明した。
静子の策に家康は一応納得したが、信玄がこの策に乗らない可能性もあり、賭けに出ることに不安を抱えていた。徳川家の選択肢が少ない中、信長の策に賭けるしかなかった。静子は浜松城に軍備を運び入れる許可を得て、輸送作戦を開始した。静子は順調に事が運んでいることに満足し、さらに他の懸念事項についても話し合うことにした。
静子は、補給部隊を白須賀に待機させ、浜松城への物資輸送を迅速に進めていた。足満は効率的に指示を出し、補給部隊はコンテナを積んで浜松城へ向かい、圧倒的な物量が徳川家臣たちを驚かせた。だが、これらの物資の多くは武田軍と戦うための軍需物資であり、籠城のための生活物資ではなかった。
静子はヴィットマンファミリーを連れて浜松城に到着しており、その圧倒的な存在感に家康は驚きを隠せなかった。家康は静子とともに運び込まれた物資の視察を行い、そのスムーズな流れに感心したが、物資の中身やその意図は理解できなかった。静子は視察を終え、兵士たちへの振る舞いを指示した。静子の準備が着々と進んでいることに家康は安心し、信頼を寄せるようになった。
織田軍が徳川軍への後詰めとして出陣し、静子は兵士たちに酒を振る舞った。これは、明日から始まるであろう籠城戦に備えたものだった。静子軍の兵士たちは騒ぎ立て、徳川家家臣たちもそれに加わり、共に夜を楽しんだ。
彼らは籠城戦が長引くことを恐れており、今のうちに不安を忘れるために盛り上がっていた。静子は、その騒ぎを見守りつつ、武田軍との決戦が控えていることを意識していた。彼女は、準備してきた策を信じ、武田軍を圧倒する意気込みを持っていた。
足満は静子を信頼し、彼女の思いを支える覚悟を示した。彼は、静子が政治の世界に巻き込まれることを危惧していたが、彼女を守ることが自分の役目であると考えていた。静子は静かな決意を胸に、明日が歴史を変える日になることを確信していた。
その夜、兵士たちは星空を見上げながら静子の言葉に耳を傾け、運命の日である翌日に備えて就寝した。
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