どんな本?
『日本人の7割が知らない世界のミカタ』は、佐藤優氏と古谷経衡氏が4年にわたって行った対談をまとめた本である。国際情勢から社会問題、教育や差別に至るまで、二人が幅広いテーマを深く掘り下げ、現代日本の課題や世界の変化について議論している。ウクライナ戦争や北方領土問題、親ガチャや教育虐待、AIの進化など、時事的でありながら普遍的な話題が豊富に盛り込まれているのが特徴である。
特に、佐藤氏の外交官としての経験と古谷氏の鋭い洞察力が組み合わさることで、読者は普段気づきにくい視点や考え方に触れることができる。また、サブカルチャーについての議論も盛り上がり、『鬼滅の刃』や映画に関する話題が現代の文化と社会を照らし出す形で取り上げられている。
この本は、複雑な現代社会を理解し、日々の情報に流されない「生き抜く力」を養うための一助となるだろう。国際問題に興味がある人や、社会の裏側に隠された真実に目を向けたい人にとって、非常に興味深い一冊である。
読んだ本のタイトル
日本人の7割が知らない世界のミカタ
著者:佐藤 優 氏
古谷 経衡 氏
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あらすじ・内容
国際情勢、メディア、親ガチャ、教育虐待、ネトウヨ、インテリジェンス、AI、カルチャー……異才の二人が縦横無尽に語りつくした4年に及ぶ対談が待望の刊行です。
●ウクライナ戦争後の世界はどう変わる?
●北方領土返還の可能性はあるのか
●差別はなぜ起こる?
●ネトウヨは若者ではない
●親ガチャはなくならない
●教育虐待が起こる背景
この国を覆う無意識の世界を鮮やかに描き出し、「生き抜く力」「直観力」「だまされない力」を磨き、進むべき未来を照らす、混迷の時代に必読の一冊です。
感想
『日本人の7割が知らない世界のミカタ』は、佐藤優氏と古谷経衡氏が4年にわたって展開した対談をまとめた一冊である。
二人は国際情勢から教育問題、差別や親ガチャといった社会問題、AIやカルチャーに至るまで、縦横無尽に議論を繰り広げた。
ウクライナ戦争や北方領土問題、現代日本における教育虐待やネット右翼の実態について深く掘り下げ、現代社会で生き抜くための視点と知恵を提供している。
また、サブカルチャーに対する二人の独自の視点も挟まれ、アニメや映画の話題が議論を一層魅力的なものにしている。
この本は、国際情勢だけでなく、日常に潜む問題にも目を向けさせてくれる点が非常に興味深い。
特に、ウクライナ戦争や北方領土問題に関する二人の考察は、新しい視点を与えてくれた。
佐藤氏の外交官としての経験と、古谷氏の現代文化に対する鋭い洞察が組み合わさり、幅広い知識を学べる。
また、サブカルチャーの話題も挟まれており、『鬼滅の刃』についての議論や、アニメが社会に与える影響について、海外で持て囃されてるアニメが好きでも、その国が好きだと云う人は少なかった。
アニメと外交は別だという分析も印象的であった。
本書は、世界や日本の現状を多角的に捉えたい読者にとって、貴重な知識と洞察を提供してくれる一冊である。
議論の中で紹介される書籍や映画も魅力的で、読後にさらに興味が広がった。
現代社会を生き抜くための「だまされない力」を養うために、多くの人に読んでほしい一冊であった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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その他ノンフィクション
備忘録
プロローグ ~シンクロする二人の人生 ~
佐藤氏と古谷氏は、世代の違いと共通の経験を背景に対話を展開していた。佐藤氏は1960年生まれ、古谷氏は1982年生まれであり、親子ほどの年齢差があったが、北方領土問題や京都での学生時代など、いくつかの共通点があった。特に9・11同時多発テロに関する話題では、古谷氏は当時の自身の記憶を詳細に語り、佐藤氏は外務省での経験を共有していた。古谷氏は、その時代背景や出来事に対して個人的な見解を述べ、佐藤氏もまた外交官としての見解を述べていた。
9・11に関しては、古谷氏がその日を鮮明に覚えており、自動車教習所に通うために実家にいたときの出来事として振り返っていた。佐藤氏は外務省でその映像を目の当たりにし、当時すでに情報機関の間ではオサマ・ビンラディンが関与していると確定していたことを語っていた。事件後、日本はアフガニスタンやタジキスタンでの米軍展開に協力するための外交交渉に尽力していた。
二人の対談は、政治、歴史、社会に関する幅広い話題に及び、古谷氏は自身が浅学非才であると述べながらも、読者との共通感覚を持ちながら対話を進めることを目指していた。
1 歴史から読み解く日本と世界の今
北方領土問題を考えるなら必須の知識
古谷氏は、対ロシア感情の原点としてソ連時代末期の「コンスタンチン君事件」を挙げていた。彼は、この事件を通じて、ロシアに対して同情的な感情を抱くようになったと語っていた。また、北方領土問題については、古谷氏は日ソ共同宣言に基づく2島返還で決着するのが現実的だと述べ、佐藤氏もそれに賛同していた。しかし、国民感情や歴史的背景から、国後と択捉についても要求する権利があるとする見解も紹介されていた。
佐藤氏は、国際法の観点から4島返還は無理があると述べつつ、過去の外交交渉においても、4島返還に固執することが当時の冷戦下での日本の戦略だったと説明していた。特に、冷戦期にはソ連に対して強硬な姿勢を取ることが日本政府の重要な目的であり、そのために4島返還を求める立場を取った経緯があった。
さらに、近年のプーチン政権下での北方領土問題について、佐藤氏は56年宣言の履行が焦点であると述べていた。プーチン氏が法を重視する人物であることから、日ソ共同宣言に基づく2島返還にはこだわりを見せていたと語っていた。しかし、プーチン政権が終わると、次の政権が異なるスタンスを取る可能性があるとも指摘していた。
総じて、対談は北方領土問題に関する歴史的背景や国際法、ロシアとの外交交渉に関する詳細な議論が展開されており、特にプーチン政権下での進展が焦点となっていた。
ロシアも領土を手放すことがある
古谷氏は、北方領土問題についてさらに掘り下げ、ロシア国内の保守的な意見やナショナリズムに対するプーチン氏の対処法について質問していた。佐藤氏は、ロシアの国民世論は日本ほど重視されておらず、ロシアでは外交はエリートによって決定され、民衆はその決定を追認する傾向が強いと述べていた。さらに、ロシアにおける領土問題は「国境線の画定」として処理され、ナショナリズムによる反対を抑えられると説明していた。
佐藤氏は、歴史的な事例として中ソのダマンスキー島や大ウスリー島での領有権問題が引き合いに出され、ロシアは実利を重視し、領土を手放すこともあり得ると語った。しかし、北方領土問題は第二次世界大戦後のソ連の勝利の結果であり、軍事衝突の背景が異なるため、簡単に妥協できる問題ではないとも述べた。
また、佐藤氏は技術的な問題として、千島列島の範囲や国後・択捉を放棄することを明確にすべきだと強調した。彼は、日本がサンフランシスコ平和条約で千島を放棄したことを認め、国後と択捉をロシア領とすることで、北方領土問題を解決する道があると提案した。
最後に、佐藤氏は、北方領土問題を解決するためには、時の首相がロシアとの安定的な関係を築く必要性を確信し、強い政治的意思を持つことが重要であると述べていた。また、現実的な外交戦略が必要であり、観念的な勇ましい主張だけでは解決に至らないと強調していた。
北方領土問題の解決の可能性
古谷氏は、北方領土問題において日ソ共同宣言がまだ有効かどうかを確認し、佐藤氏はそれが今も有効であり、両国ともに認めていると回答していた。また、ビザなしでの墓参も継続されていると述べていた。
佐藤氏は1993年の東京宣言に基づき、4島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)の帰属問題が平和条約締結の前提であることを説明していた。しかし、2018年のシンガポール日ロ首脳会談で安倍元首相が2島返還に踏み切ったことで、国後島と択捉島に関しては過去の問題と見なされるようになったと述べていた。
古谷氏は、日本が国後島と択捉島を放棄して国境線を画定する未来について質問し、佐藤氏はその可能性はあると答えたが、その条件として歯舞群島と色丹島に米軍基地が設置されないことの保証が必要だと述べていた。さらに、文書による合意は難しいが、日本が一方的に軍事基地を置かないと宣言する方法もあると提案していた。
古谷氏は、押井守監督の映画『イノセンス』に登場する近未来の択捉島の描写を引き合いに出し、日本のかつての強気な時代と比較し、現在の日本の弱体化を嘆いていた。そして、4島一括返還の主張を捨て、ロシアと平和条約を結び、北方の国境線を確定させることが望ましいと強く述べていた。
日本人にあまり知られていない東欧の歴史
古谷氏は、東欧についての基礎知識しかないと述べ、バルト三国で反ソ感情が根強い理由について質問していた。佐藤氏は、バルト三国では第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期に反共主義と反ユダヤ主義が強かったと説明し、関連書籍を薦めていた。
ポーランドについても議論が展開され、佐藤氏はピウスツキ政権をファシスト政権として評価し、イタリアに次ぐ世界で2番目のファシズム政権であったと述べた。また、日本陸軍とポーランド陸軍が戦前に協力していたことも触れられていた。
古谷氏はさらに、カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)について質問し、佐藤氏は同地域が歴史的にロシアとドイツの影響下にあったことを説明した。ロシアはこの地域を「ヨーロッパに対する戦略拠点」として重視しており、手放すことはないだろうと述べていた。
2 メディア・ネットの渦を渡る
国民の目は欺ける
佐藤氏は、1936年の政局に学ぶべきだと述べ、国民の目をそらす方法について言及していた。古谷氏が「二・二六事件」について触れると、佐藤氏はその数カ月後に起こった「上野動物園のクロヒョウ脱走事件」を例に挙げて説明していた。この事件は新聞を大いに賑わせ、帝都を恐怖に陥れたとして大々的に報道された。
同年には他にも「阿部定事件」などがメディアの注目を集めており、二・二六事件と合わせて1936年の三大事件として扱われた。一方で、同年に軍部大臣現役武官制が施行されるという重要な政治的出来事があったが、大きなニュースにはならなかったと佐藤氏は指摘していた。
佐藤氏は、このようにメディアがワイドショー的な話題に集中すると、国民の目がそちらに向かい、政治的な危機や重大な出来事が見過ごされる危険があると警告していた。古谷氏もこの見解に同意し、警戒が必要だと述べていた。
あふれる情報を見る目
古谷氏は、昔からラジオを愛用しており、今でも多くの情報をラジオから得ていると述べていた。佐藤氏はラジオの活用を賢明と評価し、特にNHKのラジオニュースがテレビニュースの基本であると語っていた。佐藤氏は、各国政府の公式媒体を重視しており、ウクライナ戦争以降、日本の新聞が事実よりも「正しいこと」を教える姿勢になっているため、NHKへの依存度が高まったと述べていた。NHKは事実を報道し、認識や評価を切り分けている数少ないメディアとして評価していた。
また、佐藤氏は「聖教新聞」と「赤旗」を毎日読んでおり、日本の政治情勢を理解するために不可欠だと考えていた。古谷氏もこれらの新聞を「現代日本政治を読み解く教科書」として認識していた。さらに佐藤氏は、池田名誉会長亡き後も創価学会の論調が変わらず、学会がシステム化されているため崩れることはないと述べていた。
古谷氏は、新聞として「日本経済新聞」を定期購読し、電子版では「朝日新聞」を利用していると語り、週刊誌やオカルト雑誌『ムー』も購読していることを付け加え、自身の情報源を紹介していた。
メディアと仕事する作法
古谷氏は、佐藤氏がメディアで多くの記事を執筆していることに触れ、書き手としての心構えについて質問していた。佐藤氏は、朝日新聞や産経新聞、『Hanada』などさまざまな媒体で執筆していると述べ、読者がいる限り執筆することが「売文業者」として当然のことだと考えていた。
佐藤氏は、媒体によって内容を調整しているとも語り、『Hanada』では沖縄辺野古基地反対の意見をあえて書かないが、習近平氏の訪日が国益に適うという意見を述べたこともあると話していた。古谷氏は、保守系媒体での執筆経験を共有し、保守業界の批判により一部の媒体から切られたことを振り返ったが、現在は執筆の幅が広がり、地元の北海道新聞での連載も行っていると語っていた。
また、佐藤氏はテレビ出演が少ない理由について、拘束時間が長いことや講演に興味がないことを挙げていた。ラジオの生放送は準備時間が短く、効率的であるため、テレビよりもラジオ出演を好んでいたと説明していた。
出版はどこに向かうのか
古谷氏は、出版業界の未来が厳しいと言われる中、出版に対する考えを佐藤氏に問いかけた。佐藤氏は、編集の質が低下していると感じることが多く、最近では原稿に対する修正の指示がほとんどないと述べていた。古谷氏も、ブログやノートに書くべき内容がそのまま新書として出版されている現状を指摘し、出版不況の中で粗製乱造が進んでいると感じていた。
さらに、自己啓発本の増加や、ライターや編集者によって文体が変わることへの懸念も共有された。佐藤氏は、作品ごとに文体が異なる場合、編集者やライターの影響が大きく、誰の作品かわからなくなると述べていた。古谷氏は、編集による手の入り方が作品の質に影響し、作家の寿命を縮めることがあると感じていた。
また、文体の重要性についても議論され、古谷氏は文体こそが作家の生命線であり、差別化の要因になると強調していた。佐藤氏も、文体が作家の思想を表現するものであり、編集やAIが文体を均質化してしまう危険性を指摘していた。二人は、文体を持つ作家のみが将来に生き残るとし、その重要性を強く認識していた。
SNS帝国の住人
古谷氏は、SNSの利用者がフォロワーの反応を過大に恐れていることを指摘し、特に「X(旧ツイッター)」の利用が過剰に評価されていると述べていた。佐藤氏は自身がSNSを使わない理由を「売文業者として金にならない文章を書かないため」とし、古谷氏も同意していた。Xの有料化に伴う収入は微々たるものであり、多くの利用者がフォロワーに依存しているため、自由な発言が難しくなっていると感じていた。
佐藤氏は、SNS上でフォロワーを喜ばせる発言が増える一方、フォロワーが減ると精神的に悪影響を受ける人が多いと指摘し、古谷氏もフォロワーの増減に一喜一憂する利用者が多いことに同意していた。古谷氏は、自身のフォロワーが7万5000人以上いるものの、フォロワーの反応は一切見ず、動物関連の情報だけを優先的に表示していると語っていた。
また、古谷氏はX、フェイスブック、インスタグラムを利用しているが、各SNSには異なる雰囲気があると述べていた。Xは殺伐としており、フェイスブックは比較的平和、インスタグラムは動物や食事の写真が多いため純粋に平和だという色分けがあると指摘していた。最も興味深いのはXであり、他人の争いを見て楽しむと述べていたが、それが「性格が悪い」と言われる理由だとも語っていた。
3 生まれて育つ未知の旅路をめぐって
登園しぶりだった幼稚園時代
古谷氏は、佐藤氏の幼少期から青春時代について尋ね、佐藤氏は幼稚園時代に「悪い見本」としてスキップをさせられた体験を語った。この屈辱的な体験により、佐藤氏は登園時に高熱が出るようになり、結果として幼稚園をやめることになったが、その後の教師とのやりとりで再び登園することを決めた。しかし、結局他の子どもが「悪い見本」にされるという問題は解決せず、佐藤氏はこの経験を通じて幼少期に教育の不条理を目の当たりにしたと述べた。
古谷氏は、子供の頃に集団行動が苦手でいじめも受けていたと語り、当時は不登校という選択肢がなかったと述べた。佐藤氏も、今では不登校が一般的になってきたが、学校のシステム自体が産業社会の遺産であり、現代の柔軟な労働環境に適応していないと指摘した。古谷氏は、産業社会の変化に伴い、日本の教育も変わるべきだと同意し、現在の教育システムが時代遅れであると感じていた。
佐藤氏は、義務教育の再構築が必要であり、不登校を前提にした新しい教育システムを考えるべきだと強調していた。
多動でちょうどいい
佐藤氏は、型にはめようとする教育が、ADHDの子どもに対して薬を投与するアメリカの状況につながっていると述べていた。古谷氏は、ADHDが器質的なものだと考え、薬で治るものではないのではと疑問を呈していたが、佐藤氏は薬理作用で一時的に症状を抑えることが可能であり、その効果が認められているため、ADHD対策が広まった背景にあると説明していた。
古谷氏は、自身が多動の傾向を持っていると語り、物書きには多動や自閉スペクトラムの傾向がある人が多いと佐藤氏も同意していた。多動があるからこそ、複数のテーマに興味を持ち続け、様々なことに関心を持てると述べていた。古谷氏は、自分の注意欠如のエピソードも披露し、生活の中で起こる様々な失敗談を共有していた。
また、古谷氏は小学校時代に特別学級への編入が検討されたことがあり、奇行が目立つ子どもだったと振り返っていたが、佐藤氏は他人に迷惑をかけていなければ問題ないと述べていた。佐藤氏は、学校が「いい子ちゃん」を作り出すことは、工場労働に適応するための教育と同じであると指摘し、現代の社会に合わない教育システムを再考する必要があると語っていた。
コロナ禍での教育の変化についても議論が展開され、佐藤氏はオンライン学習が普及する中で、従来の学校システムが崩れてきたと述べていた。さらに、佐藤氏は「引きこもり」が推奨されるようになり、労働しない2割の人々がいることを受け入れてもよいのではないかと半ば真剣に提案していた。古谷氏も、現在の学校教育が社会の現状とずれていると指摘し、人間には個々の違いがあるからこそ社会が面白いと共感していた。
教育虐待の残す傷跡
佐藤氏は古谷氏の著書『毒親と絶縁する』を読み、内容に興味を持ちつつも、不謹慎ながら面白いと感じたと述べた。古谷氏は自身の両親からの教育虐待を詳細に描いたこの本について、多くの反響があったことを語った。彼の両親は極端な学歴信仰を持ち、彼を北海道大学に進学させるために過酷な監視や矯正を行った。古谷氏はこのような虐待的な環境で育ち、高校時代にパニック障害を発症した経験を語っていた。
両親からは身体的な暴力ではなく、主に精神的な虐待を受けていたが、彼はその後、親との絶縁を決意した。佐藤氏は、古谷氏の経験が「教育虐待」という社会的な問題を象徴していると指摘し、このテーマについてさらに深掘りして書くべきだと提案していた。
古谷氏は子どもに自由を与える育て方をしており、自分の子どもには同じような苦しみを味わわせたくないと強調していた。また、親との関係を完全に断つために名前を改名した経験も語り、その結果、自身の問題が心理的にも法的にも解決されたと感じたと述べていた。
両親との再接触についても触れ、古谷氏が本の内容を巡って両親から誇張だと抗弁されたことや、親に謝罪を求めるために嘘の余命宣告をしたエピソードが紹介された。しかし、両親は謝罪することなく、事実を否定する姿勢を続けていた。この状況に対し、佐藤氏は加害者が都合の良いように記憶を改ざんする傾向を指摘し、被害者は一生その記憶を忘れないと結論付けていた。
過熱する中学受験
佐藤氏は、古谷氏の著書『毒親と絶縁する』を読み、北海道の特殊性や学歴信仰について感じたことを述べた。特に、北大を頂点とする学閥が北海道の政財界において影響力を持つことが、古谷氏の両親の「北大進学」へのこだわりを強めた要因であると指摘した。古谷氏は、両親の学歴コンプレックスが自分に強制的な教育方針を押し付けた結果、自我が抑圧されていったと振り返っていた。
また、佐藤氏は、中学受験の過熱についても触れた。特に首都圏での中学受験は過熱しており、親の経済力や母親の執念が成功の要因になると述べた。古谷氏も自身が中学受験に失敗した経験を語り、中学受験が過度に重視される現状に疑問を呈していた。
佐藤氏は、中学受験で早期に成功を収めた生徒が高校以降で伸び悩むケースが多いと指摘し、偏差値を上げることが逆に脆さを生む可能性があると述べた。また、受験の過熱は「宝くじを買うようなもの」として、無駄ではないがコストパフォーマンスが悪いと評価し、地方の公立学校でも十分な教育を受けられることを強調した。
古谷氏は、この記事を読んでいる保護者に対して、中学受験に過度に依存せず、子どもの成長を長期的に見守ることの重要性を訴えた。
人生の支えとなる出逢い
古谷氏は大学生の頃から佐藤氏の本を愛読しており、特に『十五の夏』や『先生と私』、『友情について』といった作品が印象に残っていると述べていた。これらの本は、若い頃に人生のメンターや旅といったテーマに触れる内容であり、古谷氏にとって非常に興味深いものであった。
佐藤氏は、若い頃に体験したソ連圏での旅行や学生運動が人生の節目であったと振り返っていた。特に、大学院時代の「田辺町移転粉砕闘争」での出来事が、後の人生の予行演習のように感じたと述べていた。この経験は、佐藤氏の価値観や人間性に大きな影響を与えたものであった。
古谷氏は自分の世代では、神戸の事件などが影響を与えた時期があり、その中で自らの人格形成を助けたのは文学やアニメーションであったと述べていた。特に『新世紀エヴァンゲリオン』に出会ったことが、彼の人生を大きく変えた転機であり、その影響で純文学や旧約・新約聖書など幅広い分野に興味を持つようになったと振り返っていた。
佐藤氏は、古谷氏の『新世紀エヴァンゲリオン』への情熱を理解し、自身の仕事場が箱根にあることも関係性を見出していた。また、エヴァの影響が箱根を舞台にした背景などについても共感を示していた。
Fラン大は絶対に必要
古谷氏は大学教育に関する佐藤氏の見解を伺い、特に国立大学の学費値上げや、いわゆる「Fランク大学」の存在意義について議論した。佐藤氏は、学費の値上げを容認する立場を取りつつ、経済的に困難な学生には支援が必要だと述べた。また、抜本的に制度を改めて高等教育を無償化することも選択肢であり、ただし高等教育にふさわしい内容を習得できない者は卒業させるべきではないと主張した。
佐藤氏は、「Fランク大学」や地方の小規模私立大学は地域経済を支える重要な役割を果たしていると述べた。これらの大学は地場産業の労働者を養成し、社会に出る準備を助けているため、存在意義は大きいとしている。一方で、中学・高校レベルの基礎的な学習が不十分な学生に対しても、Fランク大学は補完的な教育を提供していると説明した。
また、佐藤氏は専門高校や工業高校、商業高校が、資格や技能の取得に特化しており、普通科高校よりも厳しいが、卒業後に仕事に直結するスキルを身に付けられる点を評価していた。さらに、無認可校や専門学校についても、目的が明確な生徒が集まり、実用性の高い授業が行われるため、重要な教育機関であると述べた。
4 カルチャーが映す社会の深層
映画に魅了されて
古谷氏は、大学時代に映画の世界に足を踏み入れ、大阪の映画専門学校で学んだ経験を語っていた。彼は当時、映画監督を目指し、大学と専門学校のダブルスクールを行っていた。特にカメラ技術や光量の理論など、映画制作の基礎を徹底的に学んだことが、作家活動にも生かされていると述べた。
佐藤氏は、古谷氏の作家としての活動に、映画の経験が活かされていることを指摘し、特に小説『愛国商売』のデフォルメ手法にそれが見られると評価した。古谷氏は映画や写真が自身の創作活動に大きな影響を与えていることを認め、中でもスタンリー・キューブリックの作品やシンメトリックな映像美に深い影響を受けたと述べた。
さらに、古谷氏は映画に対する関心が幼少期から始まっており、父に連れられて観た『ヴイナス戦記』が映画への入り口となったことを語った。この映画体験が、その後の彼の映画や映像に対する情熱を育んだ。また、佐藤氏は自身の映画体験として、戦争映画『連合艦隊司令長官山本五十六』や『戦争と人間第三部完結篇』を挙げ、映画が持つ歴史的描写の力について語り合った。
戦時中の日本映画 3選
古谷氏は、日本の戦時中に制作された映画について言及し、特に特撮映画『ハワイ・マレー沖海戦』やアニメ映画『桃太郎の海鷲』『桃太郎海の神兵』を挙げ、その中に見られる人間愛や友情が印象深かったと述べた。また、手塚治虫もこれらの作品に感銘を受けたことを指摘し、監督の瀬尾光世がアニメを通じて普遍的な人間愛を描こうとしたことに感動したと語った。
佐藤氏も『開戦の前夜』や『間諜未だ死せず』といった戦時中の映画を紹介し、これらがプロパガンダ映画でありながらも史実に忠実で、当時の日本の状況を描いていると指摘した。特に『間諜未だ死せず』では重慶爆撃のシーンから始まり、日中関係や帝国主義との対立をテーマにしていたことを強調した。
さらに、佐藤氏は『敵機空襲』という映画にも触れ、この作品が東京空襲を予見し、国民に防空訓練や疎開の必要性を訴える内容であったことを述べた。この映画は1943年に公開され、後の東京大空襲を予感させる内容であった。
古谷氏は、戦時中に日本がワシントンを爆撃するような派手な架空の戦記映画を作らなかったことに疑問を呈し、戦後の架空戦記ではそのような大胆な展開が描かれていることを指摘した。特に「富嶽」シリーズを挙げ、日本軍が西海岸に上陸するなど、想像力豊かな内容であったことに感嘆した。
意外な北朝鮮作品
佐藤氏は、日本では北朝鮮語のみの映画作品はあまり観ることができないと述べ、『太陽の下で』を例に挙げた。これは2015年に製作されたドキュメンタリーで、西側のメディアが平壌で隠し撮りした映像を編集したものである。古谷氏もこの作品を都内の劇場で観ており、市井の平壌市民に党中央の役人が演技指導を行う様子が映されていたことが印象的であったと述べた。
さらに、佐藤氏は1972年に製作された北朝鮮の映画『花を売る乙女』についても触れ、日本をひどく描写しているものの、作品としては面白いと評した。
小説で感じる世代経験
古谷氏は、自宅に本はあったが、人文系の深い内容のものはなく、社会科学の書籍もなく、自ら図書館に足を運ぶ必要があったと述べた。特に中学生の頃、筒井康隆や村上龍の影響を強く受けたと語った。また、父親は小説を低く評価しており、古谷氏は中古書店で自ら小説を購入していた。
佐藤氏の家にはほとんど本がなく、父母は小説を読むことを恥ずかしいと感じていたため、飛行機や技術関連の書籍が主であった。筒井康隆の作品についても触れ、彼の世代の学生運動の影響が強かったことを振り返った。
古谷氏は、村上龍の『69』が中学時代のバイブルであり、青春の物語として強い影響を受けたと述べ、大人になってからも続編に共感した経験を語った。
漫画が描く時代の空気
古谷氏は、佐藤氏に最近注目している漫画について尋ね、『闇金ウシジマくん』の作者である真鍋昌平の新作『九条の大罪』が話題に挙がった。佐藤氏は『九条の大罪』の2巻に推薦文を書いたことを述べ、真鍋作品がアップデートされている点に注目した。特にタクシー運転士の社会的な位置づけや介護施設を取り上げた点に関心を示し、現代の下流社会の変化を反映していると評価した。
続いて、古谷氏は『鬼滅の刃』について話題を振り、佐藤氏は『約束のネバーランド』の方が面白いと語った。二人とも『約ネバ』の緊張感やストーリーの練り込み具合を高く評価し、『鬼滅の刃』においては兄弟愛が強調されている点に触れた。佐藤氏は、『鬼滅の刃』が国民的ブームになった要因として「無害さ」を挙げ、特に有害な影響を与えることなく楽しめる作品であると評価していた。
カルチャーは国際問題を解決する?
古谷氏は、日本のアニメや漫画が世界的にファンを持つ一方で、対日感情にどのように影響しているかについて、クールジャパン機構の政策に言及しながら佐藤氏に質問した。佐藤氏は、アニメが普及してもそれが対日感情の改善に直接結びつくわけではないと答えた。韓国のK-POPやドラマが日本で流行しても、日韓関係がすぐに改善するわけではないという例を挙げ、文化コンテンツの受容と国の評価は別物であると述べた。
さらに、古谷氏は、中国の若者が日本のアニメや漫画を濃密に受け入れているが、それが日本への評価に直結していないことを指摘した。ディズニー作品の例も取り上げ、グローバルに展開されるコンテンツは無国籍性を強調し、国への好意とは無関係であると論じた。
佐藤氏は、ロシアの若者も日本文化に共感を持っているが、政治的な面では日本に対して厳しい姿勢を示していると述べた。これに対し、古谷氏は、日本の若者もロシアに対する感情が似ていると感じ、どの国の若者も同様に自分のことに集中しており、他国に対する関心は薄いと結論づけた。
後日談・古谷
──佐藤先生「推し」作品に触れて
古谷氏は佐藤氏が推した映画4作を対談後に鑑賞し、それぞれの感想を述べた。
『間諜未だ死せず』では、重慶爆撃のシーンが歴史的価値を持ち、編集や演出も適切であったと評価した。一方で、アメリカ人役を日本人が演じる点に違和感を覚えたが、全体的には視聴に耐える作品であった。
『開戦の前夜』は『間諜未だ死せず』の続編であるが、戦局の影響で急造された印象を受け、演出が雑になっていると感じた。それでも、スパイ活動を阻止する芸者のシーンには迫力があり、印象的だったと述べた。
『敵機空襲』は戦意高揚が目的であるにもかかわらず、全体的に沈鬱な雰囲気が漂っており、大失敗と評した。しかし、空中戦や特撮シーンには見応えがあり、特に東京が空襲される場面は予言的な面白さを持っていた。
『花を売る乙女』は、北朝鮮で製作された作品で、植民地時代の朝鮮の貧困をリアルに描写していた。政治的イデオロギーを抑えつつも、少女の希望と美しい自然の対比が印象的であり、完成度の高い傑作であったと評価した。
最後に、番外編として『二月の勝者』について言及し、受験産業には虚無感を感じるものの、漫画としての完成度は高く、特にカメラ角度や人物の描き分けが優れていると述べた。
5 イデオロギーのはざまで
同和問題を直視する
古谷氏は佐藤氏に被差別部落問題について質問し、北海道出身で京都の大学に通うまで、この問題について全く理解していなかったと述べた。大学で近世史を学び、初めて被差別部落問題に触れたという。古谷氏は、部落解放同盟や共産党系の全解連(現・全国人権連)など、組織によって部落問題の解釈が異なることを指摘した。
佐藤氏は、被差別部落問題が特に結婚に関する場面で差別感情として現れやすいことを説明し、現在も結婚に際して相手の出自を気にする人がいると述べた。また、部落差別は表向きには解消されているように見えても、結婚や恋愛といった人間関係では根強く残っていると指摘した。
佐藤氏はまた、部落解放同盟と共産党が分かれた理由として、共産党内の政治的対立が影響していると説明し、封建制の残滓として差別が残るという共産党の理論と、資本主義下で新たに再編された差別だとする解放同盟の理論の違いについて語った。
古谷氏はさらに、被差別部落問題がネット上で新たな形で浮上していることを指摘し、例えば部落出身地を特定するような動画が無神経にアップされていることなど、新しい差別問題が生じていると述べた。
寝た子を起こすのが悪なのか
古谷氏は、被差別部落問題における「寝た子を起こすな」論について、大学時代に被差別部落出身の同級生から「勉強するから差別がなくならない」と言われた経験を述べ、この論が現実に存在していることを示した。佐藤氏は、寝た子は必ず起きるものであり、その際どう対処するかが重要であると指摘し、この論の限界を説明した。
古谷氏は、日本の義務教育における人権教育が地域差によって十分でないと指摘し、特に東日本では同和・人権教育があまり行われていないと述べた。佐藤氏は、日本の深刻な差別問題として、アイヌ、沖縄、朝鮮、韓国、部落問題を挙げ、これらの出自に基づく差別が解決されていないと指摘した。また、差別が構造化されており、差別する側が自身の行動を差別と認識していないことが多いとも述べた。
古谷氏は、沖縄に対する揶揄や嘲笑が広がっていることを問題視し、特にネット番組で沖縄が冷笑される場面が増えていると指摘した。佐藤氏は、差別が結婚などの場面で顕在化することを述べ、結婚差別がなくならなければ、問題の根本的解決には至らないと強調した。
また、古谷氏は、被差別部落に対する差別感情の解消が重要であるが、「無知のままで良い」という姿勢が、他の差別問題に対しては見られないことを不思議に感じると述べた。佐藤氏は、家庭や社会の中で偏見や差別が継承されることを指摘し、それを解消するためには教育が重要であると述べた。
最後に、部落解放運動や全解連に関して、佐藤氏は共産党と解放同盟の対立が重要な要素であり、差別解消を巡る党派的な緊張が存在していることを強調した。
なくなるようで残る差別
古谷氏は、ネット上でよく見かける社会的マイノリティに対する誤解について、やくざの構成が暴走族や在日コリアン、被差別部落出身者で構成されているといった話が広まりやすいことを指摘した。これは、誤解や曲解による情報がネットに流布しているためであると述べた。佐藤氏は、やくざの構成について特定の統計は存在せず、社会的に阻害された人々がやくざになることが多いのではないかと見ているが、確定的なデータはないと説明した。
また、古谷氏は「同和は怖い」といった考えが再生産されていく原因について言及し、佐藤氏はそのような恐怖感が一部の人物や事象に焦点を当て、それが組織全体に対する恐怖に拡大されていると指摘した。
食文化の話題では、古谷氏は関西地方の被差別部落に由来する「さいぼし」やホルモン料理が普及し、社会的な融合が進んでいることを示唆した。佐藤氏も、キムチや油かす、お好み焼きなどの食品が日本の食文化に深く浸透していることに言及し、食を通じた文化の融合が進んでいる一方で、社会的な差別は依然として残っていると述べた。
古谷氏は、食文化の普及が社会の背景にある問題を見えにくくする可能性があることを懸念し、食べ物は融合されるが、その背景にある差別や社会的問題が忘れられることを指摘した。
ネトウヨの実態
佐藤氏はネットをあまり見ないため、ネット右翼(ネトウヨ)の現状について古谷氏に尋ねた。古谷氏は、自身の研究に基づき、ネトウヨの実態は中高年のシニア層が中心であり、主に自営業者や中小企業経営者、開業医などが多いと説明した。彼らは自民党を支持することが多いが、近年は百田尚樹氏が代表を務める日本保守党や国民民主党にも期待を寄せているという。維新に対しては、過去の西村眞悟氏の発言や橋下徹氏の行動により、ネトウヨ層には支持されていないと述べた。
さらに、古谷氏はネトウヨの若者層であるZ世代には冷笑的な態度が多く、投票にあまり行かないと指摘した。また、ネトウヨは宗教に対して強い嫌悪感を持っており、靖国神社には8月15日に行くが、他の神社やスピリチュアルな場所にはあまり関心を示さないという。佐藤氏は、この態度をネトウヨ自身が一種の宗教的信念に基づいているからではないかと推察し、引きこもりの人々の宗教嫌いとも関連付けて考察した。
感染して商売になるイデオロギー
佐藤氏は、罵声を浴びせることが快感になるのは右派や左派に限らず、古谷氏の小説『愛国商売』と同様に「リベラル商売」も存在すると述べた。古谷氏は、右翼がNPO法人を設立する動きが増えつつあり、右派も利益を得るために法的手続きを活用し始めていることを指摘した。佐藤氏は、クラウドファンディングで訴訟費用を集める右翼も存在し、その支援が金銭に結びつく時代だと述べた。
古谷氏は、「歴史修正主義」や陰謀論が一部で人気を集めており、その中には「日本が実は勝っていた」という説もあることを紹介した。佐藤氏は、こうした陰謀論が広がる背景には、物語が固まらずに様々な説が並列する現代の過渡期が影響していると指摘した。古谷氏は、これを「思想的な感染症」と表現し、佐藤氏もイデオロギーがウイルスのように増殖していると同意した。
また、佐藤氏は現代社会における格差の問題に触れ、国家間、階級間、地域間、ジェンダー間の四重格差が広がっており、これが社会の分断や言葉の通じない状況を生み出していると警告した。古谷氏はこれを「島宇宙化」と表現し、各クラスタ間での交流が断絶している現状を述べた。
6 混迷の社会を生き抜く
親ガチャはなくならない
佐藤氏は、「親ガチャ」という概念について、重要な認識であると述べた。彼は問題の本質は、ガチャの結果を私有化することにあり、特定の運命を自分だけのものとすることが問題だと考えた。また、キリスト教の教えに基づいて、神から与えられた才能や富を他者に返すべきだという考えを説明した。古谷氏は、日本社会における寄付文化が乏しいことを指摘し、これは新自由主義の影響だと佐藤氏が同意した。
佐藤氏は、江戸時代の豪商たちが財産をばらまいて権力者に狙われることを避けた例を挙げ、富を独占することがいかに危険かを語った。また、彼は貧乏神と福の神にまつわる日本の昔話を引用し、富を過度に求めることが良い結果をもたらさないと指摘した。日本社会がここ20年で実利志向に走り、金銭的な成功を重視する風潮が加速していることにも懸念を示した。
さらに、古谷氏は「横断歩道人間」という表現を用い、損得勘定ばかりを重視する現代人を批判し、佐藤氏も日本の外交政策や将来について、主体性が欠けていると嘆いた。彼らは、日本が大国であるにもかかわらず、常に他国に従属する考えを持っている人々の姿勢を「奴隷の発想」と批判し、自国の戦略や未来を主体的に考えることの重要性を強調した。
自ら学んで追い込め!
古谷氏は、現代の教育が主体性を欠く原因について尋ね、佐藤氏は現在の教育が機能していないことを指摘した。学生たちは従来の枠組みにとらわれず、自分で学ぶ道を選んでいるという。佐藤氏は「スタディサプリ」や放送大学など、オンライン学習や専門スクールを利用する学生が増えていると述べた。また、語学の学習では短期の現地留学が効果的であるとし、セブ島でのスパルタ式の語学留学が一例として挙げられた。
佐藤氏は、背水の陣に立たされたときに人間は本気で努力するという考えを強調し、自身が外務省での休職後に作家として生き残るために奮闘した経験を語った。彼は、背水の陣の状況が成功への原動力となると考えている。古谷氏も同様に、就職を避け作家として生きる道を選んだことを述べ、背水の陣の重要性に共感した。
疑う力で備える
古谷氏は、困難な時期を乗り越えるための要素として「探究心」と「疑い」の重要性を述べていた。彼は他者に対して疑念を持ち、直観的に「うさんくささ」や「危険なオーラ」を感じ取る能力に依存していた。細かい所作や外見から危険を察知し、その結果として後日逮捕された人物が複数いたと話した。
佐藤氏は、自身の両親から受けた三つの教えを紹介した。まず、戦争体験を通じて「国家やメディアは人をだます」と学び、次に「勉強はできる時にしておけ」と教わり、最後に「政治に近づくな」「銀行からお金を借りるな」という警告を受けた。これらの教えは、人生を通じて彼にとって重要な指針となったという。
A Iが進化する社会で
佐藤氏は、タクシーの過剰なAI案内や、自動洗車機の廃止が移民労働者による低賃金労働に取って代わられたことを例に、機械と人間の労働力のバランスが変化していることを指摘していた。さらに、地方の経済構造が東京とは異なり、地方に帰る中堅層が「虎」のようなリーダーシップを発揮して生計を立てる話を紹介し、地方での生活が現実的な選択肢となりつつあることを述べていた。
古谷氏も、地方創生やUターン組の活動に対して批判的な視点を持ちながらも、生き残り戦略として地方回帰が注目されていることに触れていた。また、地方の生活費やドン・キホーテの営業時間など、都市部と地方の違いを具体的に挙げ、二極化が進んでいることを強調していた。
全体として、東京のエリート層と地方の「虎」との二極化が進行しており、高級と激安の二極化も含めて、これからの社会の変化に対する懸念を示していた。
少数派に光を当てる社会になれるか
古谷氏は、日本の医療についての現状を佐藤氏に問い、佐藤氏はアメリカと日本の医療の違いについて説明した。アメリカは医療費が高額であるが、迅速に高水準の医療を受けられる一方、日本では国民皆保険制度が整っているが、待ち時間が長くなることや、大学病院の医師が過剰な労働を強いられていることが課題であると述べた。また、地方での医師不足が深刻であるため、看護師の専門性を高めて準医師制度を導入する必要性を指摘した。
古谷氏は、病院選びや手術の症例数の重要性について尋ね、佐藤氏は症例数が多い病院を選ぶことが成功率を上げると述べた。自身が日本で腎移植を受けた際、症例数の多い病院で手術を行い、高い成功率を得たことを例に挙げた。
臓器移植の進展について、古谷氏は日本での脳死移植が進まない理由を宗教観と関連付けて問うたが、佐藤氏は制度的な問題が大きいと考え、移植件数が少なく、医療者が限られていることが問題であると指摘した。移植を増やすためには、透析技術の進展にもかかわらず、移植の方が患者の生活の質(QOL)や医療費の面で優れているため、制度改革が必要であると主張した。
精神科を恐れるな
古谷氏は、高校1年生のときにパニック障害を発症し、精神科治療を受けてきた経験について語った。佐藤氏は、精神科の受診が大切であることを強調し、医師との相性や心理士との連携が重要であると述べた。古谷氏は、自分もドクターショッピングを経験したことを明かし、精神科への偏見が根強かった1990年代の体験を共有した。
佐藤氏は、現在の大学では精神疾患に対する理解が進んでおり、パニック障害やうつ病の学生に配慮するための取り組みが行われていると説明した。古谷氏は、自身の受験経験と比べ、現在の学生たちが受けているサポートを羨ましく感じていると述べた。また、ASDやADHDの学生が多様な環境で学ぶことがプラスになるという意識が広まっていることにも触れた。
佐藤氏は、日本社会が精神疾患を発症しやすい環境であることを指摘し、古谷氏は現代の社会構造に適応できている人々を「強靭」と表現した。さらに、佐藤氏は海外での生活が逃げ道として存在することを示唆し、実際に妹がブラジルで生活している例を挙げた。
7 インテリジェンスが動かす未来
国家のインテリジェンスとは
佐藤氏は、近年欧米諸国のインテリジェンス(情報活動)が変化していると指摘した。特にウクライナ戦争以降、イギリスのインテリジェンスにプロパガンダが混在する傾向が見られると述べた。これは戦前の日本軍が行っていた「秘密戦」に近く、現在のアメリカやイギリスの情報機関もそれに似た活動を行っていると説明した。
また、古谷氏は、現代の日本にも陸軍中野学校の技法を受け継ぐ「別班」が存在することに触れ、これが注目される背景には、テレビドラマや報道があると語った。佐藤氏は、別班の実態はドラマとは異なるが、その存在を肯定した。
さらに、佐藤氏は、韓国のインテリジェンス能力の低下を憂慮しており、特に北朝鮮の金与正が韓国を「大韓民国」と呼ぶようになったことに着目し、北朝鮮の対韓政策の変化を見逃していると指摘した。金与正の発言は、朝鮮人と韓国人を別の民族と捉える思想に基づいており、主権国家としての韓国を認めつつ、対等な関係を構築しようとしていると述べた。
また、北朝鮮の「汚物風船」についても、旧日本陸軍の風船爆弾の技術を踏まえたものであり、風船を偏西風に乗せて飛ばし、汚物や生物兵器を運搬する脅威があると警告した。
スパイの条件
古谷氏は、別班とされる構成員がどのように選ばれるのかについて質問した。佐藤氏は、基本的にスカウト形式で選抜され、自ら志願することはほとんどないと答えた。鉄道オタクが鉄道会社に就職しづらいのと似たようなもので、正義感が極端に強い人や自己顕示欲の強い人は向いていないとも説明した。
また、インテリジェンスの仕事では、外見的に美男美女は適さず、人の記憶に残らないような特徴を持つことが求められる場合が多いと述べた。ただし、自己顕示欲が強くても、その特徴を偽装(カバー)として使う場合もあるという。
さらに、インテリジェンスの世界では、運営、分析、現場で動く役割が異なり、現場で動く人は断片的な情報だけで行動できる人が適していると説明した。全てを知りたがらない方が良い場合もあり、信頼関係を自ら裏切る人は長生きできないとも述べた。
最後に、二重スパイについて触れ、多額の報酬を得ることがあるが、そのお金を使い切る前に命を落とすことが多いと語った。
大局を読む
佐藤氏は、アメリカの国際的な影響力が低下し、多極化が進む中で、日本や他国の立場が変わりつつあると述べた。特に日本は、アメリカや中国などとの地政学的均衡を図り、尖閣諸島や竹島問題についても将来的に中国との対立を避けられないと考えていると語った。
さらに、日本はウクライナ戦争や中東問題に対して、従来のアラブ寄りの立場からイスラエル寄りの姿勢を取るようになっており、これは日本の国益を最優先に考えた動きであると説明した。
また、佐藤氏は、ウクライナ戦争終結において日本が仲介者として重要な役割を果たす可能性があるとも述べ、中国も同様にその鍵を握っていると指摘した。最後に、各国の動きを分析し、日本がどの問題に関与すべきかを冷静に判断することが国家のインテリジェンスであり、民間の経済活動とは異なる重要な役割を担っていると語った。
日本が進む未来
佐藤氏は、ウクライナ戦争におけるアメリカの戦略を批判し、アメリカがウクライナを勝たせるための支援をしていないことが戦争の長期化につながっていると述べた。彼は、ロシアが食糧やエネルギーを自給でき、経済制裁が効果を発揮していないため、戦争はアメリカの戦略ミスによるものと指摘した。また、ウクライナ戦争は東アジアにも影響を与える可能性があり、日本がアメリカの価値観に基づき中国と戦う状況は避けなければならないと強調した。
さらに、佐藤氏は日本が北方領土問題を解決するために「自由で開かれた北極圏」という新たな外交戦略を提案し、北極海航路の開発や天然ガス資源の利用を進めるべきだと主張した。温暖化による新たな航路の出現が日本のエネルギー自給に貢献すると述べ、北極圏には海賊がいないことが今後の航路発展に有利であると指摘した。
日本の対ウクライナ支援については、人道支援は推奨されるが、軍事支援は控えるべきだとし、戦争終結後に日本外交は東アジアの平和を重視し、価値観や人権、民主主義に固執しすぎるべきではないと述べた。
エピローグ ~二人のこれから ~
佐藤氏は、今後の世代に知識や経験を引き継ぐことを重視していた。彼は自らの経験を若い世代に伝えることで、バトンを渡すことが重要だと考えていた。対談の中で、彼は45歳までに新しいことを学び、その後にその成果を刈り取る段階に入ると述べていた。古谷氏はこの考えに感銘を受け、自らの今後について考えを深めていた。
佐藤氏は、過去の経験を次世代に伝えることが重要であり、現代の若者に対しても理解できる形で伝えたいと考えていた。彼はまた、知識が更新され続ける現代において、歴史的な視点や過去の価値観を学ぶことの重要性を強調していた。
さらに、佐藤氏は、日本社会における無意識の影響についても言及していた。戦争の記憶やアメリカへの従属的な態度が無意識に染み込んでいることを指摘し、それをどう顕在化させるかが重要だと述べた。古谷氏も、自分の本能や直感に従って行動することが成功につながると感じていた。
最終的に、二人は今後も対話を続け、互いに学び合いながら進んでいくことを誓い、対談を締めくくった。
おわりに
古谷氏と佐藤優氏の対談は、4年にわたって行われた。対談場所は赤坂の「ORIGAMI」であり、世界的な事件が起きる中でも静謐な空間であった。古谷氏は対談企画に大いに喜び、佐藤氏との年齢差に不安を抱きつつも、その対談を楽しんだ。
古谷氏は北海道出身で、佐藤氏の評価が二分されていることに触れ、対ソ・対ロ感情についても述べた。彼自身や祖先の戦争体験、ソ連との関係が深く、冷戦期や北方領土問題にも詳しかった。彼は若い世代において、北方領土問題に対する妥協的な姿勢が増えていることも指摘した。
佐藤氏との対談では、日本がアメリカ一辺倒の外交政策を見直し、ロシアとの友好関係を築く必要性が語られた。特に、地球温暖化による北極圏の航路開発が重要であり、日本の未来にとってロシアとの関係強化が不可欠だとした。
また、古谷氏は佐藤氏の知的深さや文化への造詣の広さを賞賛し、対談を通じて彼自身の知識や経験が試される緊張感があったことを振り返った。佐藤氏はロシア文学や映画にも精通しており、古谷氏はその教養に感銘を受けていた。
対談の終わりに、古谷氏は佐藤氏との対話を通じて、日本の将来や国際関係について深く考えるきっかけを得たと述べ、対談本が後世に残る重要な書物になることを確信していると締めくくった。
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