どんな本?
『世界は経営でできている』は岩尾俊兵著の書籍で、2024年1月18日に講談社から出版された。
この本は、経営とは何か、そしてそれが私たちの日常生活にどのように関わっているのかを解説している。
主な内容としては、組織の上層部が無能だらけになる理由、張り紙が増えると事故も増える理由、飲み残しを置き忘れる夫が経営が下手である理由など、一見経営と無関係なことに経営を見出すことで、世界の見方がガラリと変わるという視点を提供しており。
また、本書の主張としては、誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない、誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている、誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない、といった点が挙げられている。
この本は、経営とは価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げることだと述べている。
岩尾俊兵は慶應義塾大学商学部准教授で、東京大学で初めて経営学の博士号を取得した人物。
彼の他の著書には『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』『13歳からの経営の教科書』『日本“式”経営の逆襲』『イノベーションを生む“改善”』などがある。
読んだ本のタイトル
#世界は経営でできている
著者:#岩尾俊兵 氏
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あらすじ・内容
なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか?
世界は経営でできている
張り紙が増えると事故も増える理由とは?
飲み残しを置き忘れる夫は経営が下手?
仕事から家庭、恋愛、勉強、老後、科学、歴史まで、
人生がうまくいかないのには理由があった!
一見経営と無関係なことに経営を見出すことで、世界の見方がガラリと変わる!
東大初の経営学博士が明かす「一生モノの思考法」
【本書の主張】
1 本当は誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない。
2 誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている。
3 誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない。
「結論を先取りすれば、本来の経営は『価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること』だ。
この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者となる。
幸せを求めない人間も、生まれてから死ぬまで一切他者と関わらない人間も存在しないからだ。他者から何かを奪って自分だけが幸せになることも、自分を疲弊させながら他者のために生きるのも、どちらも間違いである。『倫』理的な間違いではなく『論』理的な間違いだ」――「はじめに:日常は経営でできている」より
感想
『世界は経営でできている』は、経営学者岩尾俊兵氏による独特の視点で書かれた書籍である。
令嬢系の文書を意識しているせいか、元は熱血系の文体の筆者の文書が少しおかしく感じるが、テンポよく読めるようになっており自身としては、かなり面白く読めたと思っている。
この本は、日常生活のあらゆる場面が経営の原則によって成り立っていることを解説している。
家庭や恋愛、健康、勉強、そして仕事まで、一見経営とは関係ないと思われるようなテーマでも、経営の手法を適用することで、その本質が明らかにされる。
例えば、家庭生活は、家族という組織の中で各メンバーがどのように貢献し合っているかが、家庭の幸福度を左右する。
仕事の場面では、個人の生産性がどのように組織全体の成果に影響を与えるかが論じられている。
各章で、岩尾は経営の三大要素―価値創造、対立の解消、共同体の構築―を日常生活にどのように応用できるかを示している。
この本を通じて、日々の選択が経営的思考によってどのように向上できるかを学ぶことができた。
特に新自由主義が主流の現代において、岩尾 氏の提案する共創の精神は新鮮であり、個人主義が強調されがちな社会での新たな方向性を示している。また、軽妙な筆致で書かれており、経営学の難解さを感じさせないアプローチは、多くの読者にとって魅力的でもある。
この本は、自己啓発の域を超えて、私たちの生活を豊かにする経営の原則を具体的に提供している。それは、競争ではなく協働に重点を置いた持続可能な社会を築くための指針となるだろう。
最後までお読み頂きありがとうございます。
その他ノンフィクション
備忘録
1 貧乏は経営でできている
本文は、貧困とは経済的な困窮だけではなく、お金、時間、知識、信頼のバランスが崩れることによって生じると説明している。富裕層に見える人々でも、見栄を張る生活が原因で実際には金銭的な困窮を経験しているケースが多い。
また、過度な節約もまた一種の貧困であるとされ、楽しむことを忘れた生活は精神的な貧困につながる。
貧乏は、不必要な出費や無計画な貯蓄、過度な消費など、不均衡な資源管理によってもたらされる。
文は、日常生活における楽しみを見つけ、それを創造することで、経済的なバランスを取り戻し、より充実した生活を送ることが可能であると提案している。
2 家庭は経営でできている
本文は、幸离な家庭と不幸な家庭の違いを探るものである。
幸离な家庭は一定の条件を全て満たしているが、不幸な家庭はそれらの条件の一つ以上を満たしていないため、それぞれ異なる形の不幸が存在する。
夫婦間の問題や家事の分担、親子関係など、家庭内での多くの課題が挙げられている。
夫婦間では、相互の理解不足や期待の違いがトラブルの原因となり得る。
また、子供との関係では、親が子供の生き方を決めつけることが対立を生じさせることもある。
家庭内の問題は、家庭を経営するという考え方でアプローチすることで解決の糸口が見つかる場合がある。
家庭内での問題解決には、家庭の各メンバーがお互いの価値を認識し、積極的に貢献することが求められる。
3 恋愛は経営でできている
本文は、恋愛における失敗や課題を、経営の問題として分析するものである。
恋愛の失敗は、目的に対して過剰な手段を用いたり、目的と手段が逆転するなど、不適切な経営戦略から生じることが多い。
たとえば、相手に好まれるために過剰に努力することが、かえって関係の破綻を招く場合がある。
また、理想的な相手を求める過程で、選択肢が多すぎることによって、他人の欠点ばかりが目につくようになる問題も指摘されている。
恋愛は単なる「マッチング」と捉えるのではなく、クリエイティブなアプローチが求められる。
理想の相手との恋愛が成就する可能性は極めて低いが、相互作用を重視し、理想の関係を創造することに注力すれば、より健全で幸せな関係が築ける可能性が高まる。
このように、恋愛の成功は相手そのものを変えるのではなく、自分と相手の相互作用を工夫し、問題解決に取り組むことで、理想的な関係を創出することが可能であると論じられている。
4 勉強は経営でできている
本文は、効率的な学習方法と注意散漫になる学習スタイルについて論じている。
一心不乱に教科書をカラフルにする学習法は、視覚的には魅力的であるが、実際には注意力が散漫になり学習効果は低下する。
同様に、蛍光ペンで重要箇所を強調する行為も、過剰に行われると本来の目的を見失う。
さらに、注意を引くための「張り紙」が多過ぎると、重要な情報が埋もれてしまうことから、注意散漫になる現象が生じる。
これは「グレシャムの法則」に喩えられ、重要な注意がどうでもいい問題に取って代わられる状況が生まれる。
また、学習においては全体の理解を深めるために部分的な知識を習得することが重要であり、無駄な時間を避けて効率的に学習を進めるべきである。
しかし、多くの人が勉強方法を誤り、無意味な暗記や間違った勉強計画に時間を費やしてしまう。
結局、学習は経営と同じで、賢明な計画と戦略が必要であると結論付けている。
5 虚栄は経営でできている
本文は、高級ホテルのカフェと動物園のサル山が似ている点、すなわち人間の虚勢やマウンティング行動について批評している。
両場所での地位確認や競争が虚勢によるものであることを指摘し、虚栄心が原動力となっていることを述べている。
さらに、虚勢行動が生物学的な機能としての意味を持つが、現代社会ではその機能が減少していると分析している。
人間の技術進歩や社会の変化により、必要以上の資源が存在し、本来の競争が意味をなさなくなっていることから、虚勢行動はしばしば無駄であると論じている。
結局のところ、虚勢を追い求める行動は自己満足に過ぎず、真の尊敬や地位を得るための効果的な手段ではないと結論づけている。
本文は、尊敬を得るためには虚勢を展開するのではなく、他人を尊敬し、相互に尊敬を育むことが有効であると提案している。
6 心労は経営でできている
本文は、「気にしすぎ」によって発生する心労について分析している。
例えば、重要なメールの返信が遅れることに対する過剰な心配や、部下の仕事への過干渉が挙げられている。
これらの行動は、最終的には自分自身の精神的負担を増大させる結果を招くと説明されている。
さらに、感受性が豊かな人々が日常生活において遭遇する刺激に対する過敏な反応も触れられている。
これによって、彼らが必要以上にストレスを感じることがあると指摘されている。
最終的に、心労に対処するためには、生活や仕事における最終的なゴールを常に意識し、不必要なプロセスに囚われすぎないことが重要であると述べられている。
また、日常的な刺激に対する過敏性を管理するための環境作りの重要性が強調されている。
これらの分析を通じて、人は「経営の失敗」によって自らの心労を増加させることがあると結論づけられており、心労を効果的に管理する方法についての洞察が提供されている。
7 就活は経営でできている
本文は、就職活動における多くの学生の苦労と戦略的ミスに焦点を当てている。
就職活動は戦略が不足しており、そのために多くの学生が非効率的な方法で多数の企業に応募してしまい、結果として質の低い応募書類を提出することが多いと指摘している。
これにより、適切な内定を得ることが困難になるとされている。
また、極端な例として、限られた数の企業しか受けずに内定を得る学生もいるが、その成功はしばしば運に左右されることが強調されている。
加えて、就職活動においては、不安を煽る業者に騙されやすい学生も多く、これが更なる就職活動の失敗を生むことにつながっている。
この文書は、就職活動における「経営思考」の重要性を説いており、学生たちに自己のキャリアを戦略的に管理し、自分にとって本当に意味のある選択をするよう促している。
また、内定後も自分の選択が本当に自分の価値観に合っているかを見直すことが必要であると述べている。
8 仕事は経営でできている
本文は、現代社会における「仕事」が多くの場合、意味のない「作業」に過ぎないと批判している。
具体的には、多くの労働が形式的なものや不必要なプロセスに費やされており、そのために本来の生産性や創造性が失われていると指摘している。
例えば、無意味なデータ入力や会議、形式的なドキュメント作成などが仕事の大部分を占めており、これが職場の不満や効率の悪さを生んでいる。
また、組織内で「顧客」を意識した仕事の重要性が説かれている。
すなわち、どのような職務であっても、その最終的な目的は顧客(消費者や取引先、社内の他部署など)の満足を得ることであり、それが達成されなければ仕事の意味はないとされる。
更に、仕事を形式的なものではなく、本当に価値を生み出す活動へと変革することで、職場の生産性や個々の仕事の満足度を高めることができると論じている。
それには、各個人が経営的思考を持ち、自身の業務が組織全体の目標にどのように貢献しているかを常に自問自答する姿勢が求められる。
最後に、多くの労働者が本来の業務目的を見失い、形式的なタスクに追われることが多い現状を「制度的無能」と評し、その改善のためには組織全体での意識改革が不可欠であると結論付けている。
9 憤怒は経営でできている
本文は、他者の怒りとその背後にある感情を理解し、適切に対処する方法について説明している。
他人が怒りを示す背後には、嫉妬や不安、失望などの感情が隠れていることが多く、その真の原因を見極めることが怒りを解消する鍵である。
怒りが怒りを呼ぶ負の連鎖を断ち切るには、相手の感情を理解し、冷静に対応することが重要である。
また、怒りの本当の理由が明らかになれば、解決策を提案したり、誤解を解いたりすることが可能になる。
さらに、怒りの感情を管理するためには、自分自身の怒りも客観的に捉えることが求められる。
自己の怒りが他人や事象に対する不合理な反応である場合、その怒りを経営する視点が必要である。
冷静に自分の怒りの目的を再考し、それが目指す結果に適した行動かを評価することで、効果的に怒りをコントロールすることができる。
最終的には、怒りの連鎖から抜け出すための適切な方法を見つけ出すことが、個人の精神的な健康と人間関係の安定に寄与する。
10 健康は経営でできている
本文は、日常生活における塩分や糖分の過剰摂取の問題点と、それに対する合理的な対策について述べている。
特に醤油を使った例を挙げ、醤油の味を楽しみながら塩分摂取を抑える工夫を提案している。
例えば、醤油を刷毛で塗る、スプレーで散布するなどの方法がある。
このようにして、味を楽しみつつ健康にも配慮する方法が効果的であると主張している。
また、塩分や糖分の摂取制限を突然に行うことの危険性に触れ、バランスを崩してしまうことで反動が大きくなると警鐘を鳴らしている。
適切な範囲での減少を推奨し、極端な制限を避けることが健康を害することなく維持する鍵であるとしている。
さらに、長時間労働や健康を蔑ろにした生活習慣がどのように個人の健康を害し、経済的な損失をもたらすかを説明しており、健康を経営の一環として捉え、持続可能な方法で健康を管理することの重要性を強調している。
このアプローチは、単に健康を維持するだけでなく、生活全般の質を向上させるために必要であるとされている。
11 孤独は経営でできている
本文は、孤独がどのように生じるかと、その孤独感をどのように克服するかについて述べている。
特に三種類の孤独が挙げられており、それぞれが異なる原因によって引き起こされる。
最初の孤独は他者からの尊重や理解が得られないと感じることから生じる。
孤独な人はしばしば連絡を試みるが、無視されることで孤独感が増すという悪循環に陥る。
次に、他人が自分を理解してくれないという孤独は、自分自身の意図的な行動が原因であり、理解されるための努力が足りないことが多い。
最後に、親しい人との別れによって生じる孤独は、進学や転勤などの生活の変化によるもので、新しい環境で新たな人間関係を築くことによって克服が可能である。
孤独感を克服するための具体的な対策として、自分が求める関係を創造することが提案されている。
専門知識を活かした相談役となる、孤独な人々が集まるコミュニティを作る、芸術やペットとの関わりを深めるなどの方法が挙げられている。
また、自分の行動や環境の変化に対して正しい期待を持ち、無駄に自己開示を避けることなく、他者との健康的な関係を築くことが重要であると強調されている。
12 老後は経営でできている
本文は、特定の高齢者が退職後も働き続ける理由とその影響について述べている。
これらの高齢者は、家に居場所がなく、健康のためにも通勤が必要であると語り、実際には経済的な不安や会社に対する強い帰属意識から働き続けていることが多い。
しかし、このような高齢者の存在が、職場での若手社員のモチベーション低下を招いている可能性が指摘されている。
また、これは単に高齢者への批判ではなく、誰もが経験する可能性のある老後を、経営の失敗によって不幸にしないための警告である。
老後の経営失敗は、不幸な状態を生み出すだけでなく、社会的な悲劇につながることもあるため、若手のうちからこれを意識し、適切な老後の準備を行うことが求められる。
13 芸術は経営でできている
本文は芸術が個人の努力だけではなく、多くの他者との関連性やネットワークによって成立することを指摘している。
すべての芸術活動は、必要な物資や他人の協力、観客の存在など、多方面からのサポートが不可欠である。
たとえば、公道での奇抜なパフォーマンスも、何らかの社会的文脈や他者の認識なしには理解されない。
これによって、芸術家は作品を創造する過程で「第二の自己」あるいは拡張された観客を想定し、作品を修正しながら進めていく。
また、芸術作品が社会に受け入れられるかどうかは、芸術ネットワークによるサポートと文脈の共有があってこそであり、このネットワークが作品の成功に大きく寄与する。
したがって、芸術活動は単なる創造行為ではなく、その背後にある経営的側面や共同作業の結果として見るべきである。
この理解が深まることで、芸術家自身も自分の作品と関わる多様な人々との関係性をより重視するようになる。
14 科学は経営でできている
科学、特に現代科学は理想とは異なり、多くの非効率と不合理に満ちている。
科学行政は科学者に対し、研究論文よりも多くの管理書類を要求することがしばしばであり、科学者はこの大量の書類作成に追われることで、本来の研究活動に必要な時間が削がれる結果となっている。
また、科学行政は科学者に対して同時に確実な成果と革新的な発見を求めるが、この矛盾した要求は科学者にリスク回避的な研究スタイルを強いることになる。
科学者が受けるこの種の矛盾したプレッシャーは、科学の本質的な目的である真理の追究から離れ、形式的な成果に焦点を合わせる傾向を強め、科学の進歩を阻害することになる。
このように、科学の経営が不合理に運ばれることで、科学そのものの発展が停滞する恐れがある。
15 歴史は経営でできている
すべての国家や政権は衰退する運命にあるが、その主な原因は国家経営の失敗である。
しばしば歴史や映画では、異民族の侵略や大災害、内乱などが国家の滅亡の直接的な原因として描かれるが、これは表面的な理解に過ぎない。
実際には、これらの危機は常に存在しており、政権がそれに対処できないほど衰退している時に、それらが致命的な打撃となる。
例えば、古代エジプトや漢王朝は多くの危機を乗り越えてきたが、結局のところ、経営の巧拙が彼らの命運を分けた。
政権が重税を課し、圧政を敷くことで国民を疲弊させ、政治的な腐敗が進行すると、国民は政権に対する支持を失い、政治的な危機が政権を脅かすことになる。
さらに、政権が国民を手段とし、国家自体を目的とする逆転現象が発生すると、国民は苦しむことになる。
国家経営の失敗は、経済的、社会的な混乱を招き、最終的には国家の崩壊につながる。
また、租税政策が国民の負担となり、租税回避が一般的になると、税収は増加せず、国家の財政は更に悪化する。
これにより、新たな権力層が台頭し、既存の政権はさらに弱体化する。
これらの事例から、国家や政権の経営失敗が、歴史的な変革の主な原因であることが分かる。
国家経営の成功とは、単に政治的な安定や経済的な繁栄をもたらすだけでなく、国民一人ひとりの幸せを実現することに他ならない。
おわりに:人生は経営でできている
世界では本来の経営が失われつつあり、その代わりに、他者を出し抜くような短期的で利己主義的な行動が広まっている。
これは、人々の人生に実害を与え、社会を不幸にしている。
本来の経営は、価値創造を通じて対立を解消し、豊かな共同体を築くことにある。
しかし現代では、多くの人がこの経営概念を忘れてしまっている。
経営の欠如が引き起こす問題には、目的と手段の転倒や手段の過大化などがある。
これらは、人々が手段であるべきものに価値を見出しすぎるために生じる。
日本の場合、特に平成時代の経済状況がこれを加速させた。
しかしこれからの令和時代は、人材不足が経営の危機をもたらすという新たな認識が広がっており、経営概念の再転換が求められている。
経営が忘れられた社会では、個人も集団も不条理と不合理に苦しみ、短命な組織が増えていく。
価値創造を通じてこれを解消し、無限の価値を生み出す経営を取り戻すことが、現代社会において急務とされている。
この本は、そうした経営の重要性を訴え、読者に価値創造の可能性を再認識させることを目指している。
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