「バッタを倒しにアフリカへ」科学冒険ノンフィクション 感想・ネタバレ

「バッタを倒しにアフリカへ」科学冒険ノンフィクション 感想・ネタバレ

どんな本?

バッタを倒しにアフリカへ』は、昆虫学者である前野ウルド浩太郎氏による科学冒険ノンフィクション。
この本は、バッタの大発生が引き起こす食糧危機を防ぐために、前野氏が単身アフリカのモーリタニアへと旅立った経験を描いている。

主な内容としては、サハラ砂漠での青春、アフリカでの生活、旅立ちの準備、大干ばつとの闘い、聖地での挑戦、地雷の海を越えて、彷徨う博士、神の罰に挑む、サハラでの生存などが含まれている。

前野氏は、サバクトビバッタという種類のバッタがアフリカで数年に一度大発生し、農作物に大きな被害を与えることから、その防除技術の開発に従事。
彼は、自然界でのバッタの観察を通じて、その生態について深く理解しようと試みた。

また、前野氏は、モーリタニアでの研究活動が認められ、現地のミドルネーム「ウルド(〇〇の子孫の意)」を授かる。
彼の冒険と研究の結果は、バッタの大発生を防ぐ可能性を持っている。

この本は、科学者の視点から見た現地の生活や研究の困難、そしてそれを乗り越えるための努力と情熱を描いており、読者にとって非常に興味深い一冊となっている。
また、本書は光文社から2017年5月17日に出版され。
後続作として『バッタを倒すぜ アフリカで バッタを倒しにアフリカへ』が2024年4月17日に出版されている。
これらの本は、バッタの研究者としての前野氏の奮闘と冒険を描いた作品となっている。

読んだ本のタイトル

バッタを倒しにアフリカへ
著者:前野ウルド浩太郎 氏

gifbanner?sid=3589474&pid=889458714 「バッタを倒しにアフリカへ」科学冒険ノンフィクション 感想・ネタバレBookliveで購入 gifbanner?sid=3589474&pid=889059394 「バッタを倒しにアフリカへ」科学冒険ノンフィクション 感想・ネタバレBOOK☆WALKERで購入 gifbanner?sid=3589474&pid=890540720 「バッタを倒しにアフリカへ」科学冒険ノンフィクション 感想・ネタバレ

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あらすじ・内容

バッタの群れは海岸沿いを飛翔し続けていた。夕方、日の光に赤みが増した頃、風向きが変わり、大群が進路を変え、低空飛行で真正面から我々に向かって飛んできた。大群の渦の中に車もろとも巻き込まれる。翅音は悲鳴のように重苦しく大気を振るわせ、耳元を不気味な轟音がかすめていく。このときを待っていた。群れの暴走を食い止めるため、今こそ秘密兵器を繰り出すときだ。さっそうと作業着を脱ぎ捨て、緑色の全身タイツに着替え、大群の前に躍り出る。

バッタを倒しにアフリカへ

感想

昆虫、農業を少し齧った者からしたら大半は害虫。

私もかつて、農薬を駆使していかに作物を護るか、いかにスキなく、最小限の被害で相手を倒すか、病気も含めて考えてもいた。

そんな中、不思議な事にバッタは倒す側の昆虫ではない感覚ではあるが、、

中国の歴史でよく現れる、飛蝗は悪魔以外の何者かでもない。

『バッタを倒しにアフリカへ』は、サバクトビバッタの生態に魅了されたポスドク研究者、前野ウルド浩太郎 氏が主人公である。
彼は自らの研究によってバッタの謎を解き明かし、飢饉を引き起こす大発生を防ぐ方法を見つけ出すことを夢見ていた。
本書は、彼がアフリカのモーリタニアに赴き、研究活動を展開するところから始まった。
しかし、予想外の干ばつとバッタの不在が彼の研究を困難にさせた。

本書の魅力は、主人公が直面する様々な挑戦と、それに立ち向かう強い意志にある。
アフリカでの環境や文化、地元の人々との交流を通じて、異文化理解の大切さを学ぶことができた。
また、困難な状況の中でも研究を続ける主人公の姿勢は、勇気を与えてくれた。

研究とは単にデータを集める活動ではなく、未知との対話であることを教えてくれた。
主人公は、地元の人々や他の研究者たちと協力しながら、自然のリズムとバランスを理解しようと試みる。
バッタへの深い愛と尊敬を持つ彼の姿勢からは、一つの生物種を研究することがいかにして人々の生活や自然環境に影響を与えるかが感じ取れた。

しかし、本書の中で研究者が研究費用の制約に悩まされる場面もあり、科学研究の現実の厳しさが描かれている。
終盤には、資金不足による研究の中断が迫るが、地元コミュニティや国際的な支援のおかげで何とか継続できることになった。
この経験を通じて、主人公は研究者としてだけでなく、一個人としても成長を遂げた。

結末では、バッタの大発生を防ぐために新たな防除方法が発見され、主人公はその成果をもって母国へ帰る決心をした。
帰国する彼の心境には、達成感とともに、未来への希望が満ち溢れていた。彼の研究がもたらす影響は、一人の科学者の努力がいかに世界に変革をもたらすかを力強く示していた。

本書は、科学の冒険がもたらす苦難と喜びをリアルに描き出しており、研究者を志す者にとっても、他分野の読者にとっても心揺さぶる内容となっていると思われる。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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バッタを倒すぜ アフリカで

その他ノンフィクション

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Nonfiction

備忘録

まえがき

本書は、バッタ研究に生涯を捧げた博士の壮絶な闘いを綴ったものである。
若き日の著者は、子供の頃から昆虫に魅せられ、特にバッタに対する強い興味を持っていた。
成人してからはバッタの研究を専門とし、それが高じてバッタの被害が深刻なアフリカのモーリタニアへと研究のため単身赴いた。
しかし、彼の到着と同時にバッタは姿を消し、予想外の干ばつが研究を困難にした。
結局、バッタに関する研究は進まず、貯金を切り崩しながらの苦しい生活を送ることとなった。
彼の夢は、バッタと共に生き、バッタに囲まれることにあり、その夢を実現させるためには、どんな困難も乗り越える覚悟であった。

第 1章  サハラに青春を賭ける

2011年4月11日、著者はモーリタニアに向かったが、入国の際に住所が存在しないという理由で一時入国拒否された。
フランス語が苦手な著者は、研究所のマネージャーが入国審査に介入するまで困難に直面した。
ヌアクショット空港で、荷物検査時に酒類が発見され全て没収されるなど、さらなるトラブルに遭遇した。
モーリタニアはイスラム法の下で酒の持ち込みが制限されているため、著者は知らなかった規制に直面した。

著者は研究所のゲストハウスに宿泊し、研究所が世界銀行の支援で新たに建てられたことを知った。
また、現地スタッフとの言語の壁にも苦労しながら、安定した環境で生活することに感謝した。
地元の食事を楽しみ、ゲストハウスでの快適な設備に驚いた。
国際連合食糧農業機関のアメリカ人スタッフ、キースさんと出会い、バッタ問題についての詳しい話を聞く機会を得た。
キースさんのバッタ防除の専門知識と経験に影響を受け、著者はモーリタニアのバッタ研究所を訪れることになった。

翌日、キース氏と共にバッタ研究所の殺虫剤倉庫を訪れることになった。
殺虫剤の使用は、人や家畜に有害であり、環境汚染の恐れがあるため、倉庫は街から遠く離れた場所に位置していた。
車で砂漠地帯を通り、鉄条網で囲まれた倉庫に到着すると、厳重な防御態勢の中、殺虫剤が入ったドラム缶が大量に保管されていた。
この倉庫は、過去に街のいたるところに散らばっていた殺虫剤保管場所を一か所に集約したもので、電気や水道はまだ通っていなかった。
ドラム缶は厳重に管理され、使用済みのものは専用の圧縮機で潰され、出荷元に返送されていた。この保管体制は、バッタ発生時の迅速な対応を可能にしており、殺虫剤は経年劣化するため、近隣諸国との間で貸し借りを行って新しいものを維持している。

研究所に戻ると、アルジェリア出張から帰ったババ所長に出迎えられた。
所長は私を温かく迎え、研究者としての責任と誇りを感じさせる挨拶を行った。また、専属ドライバーとしてティジャニが紹介された。
彼は国際経験豊かであるが、言葉の壁があり、意思疎通は身振り手振りで行われた。
モーリタニアでの生活に必要な物資を購入するために街に出た際、ティジャニとのコミュニケーションは難しかったが、美味しい中華料理を楽しむことができた。
また、スーパーマーケットで必需品を購入し、夕食時には地元のアラビアレストランでヤギ肉のソースを楽しんだ。

翌朝、ババ所長にバッタの最新情報を伺った。
現在、北部でバッタが発生しているが、所長は会議があり、英語を話せる職員も不在であるため、調査は来週以降になるとのことだった。
私はシダメッドと相談し、急遽チームを編成することにした。
チームメンバーには、ドライバーのティジャニ、コックのレミン、そして英語を少し話す学生モハメッドを選んだ。
チームミーティングをゲストハウスで行い、モハメッドが給料に不満を持っていることを知った。
私は給料を2倍にし、食費も負担すると提案し、全員が同意した。

翌日、ティジャニと共に必要なキャンプ用品を研究所から借りるために倉庫に行き、物資を準備した。
日本で準備していたフィールドワークの装備を整えた後、予定より遅れて出発した。
学生の寝坊やコックの食材調達の遅れがあり、アフリカンタイムのために時間がずれ込んだ。
到着後、サバクトビバッタの幼虫を観察し、トゲのある植物に潜むバッタの生態について新たな仮説を立てた。
研究のデザインを考えながら、フィールドワークの成果を論文にする計画を立てた。

コックが作ったスパゲティで砂漠の晩餐会が開かれた。
食事後、研究者である私はデータ収集を続けた。
深夜まで作業をし、翌朝は朝食を手早く済ませ、バッタが多くいるエリアへ向かった。
GPSを使用して調査部隊と合流し、バッタの群生相を観察した。
学生モハメッドは、初めてのミッションでありながら群生相のバッタに興味を示した。

進行中、ティジャニの卓越した方向感覚で目的地に辿り着き、大量のバッタが行進している様子を目撃し、感動した。
写真撮影を試みながら、バッタの動きを詳細に観察した。
翌日、前線基地で防除の様子を見る予定で、砂漠のおもてなしを受けた。
基地ではヤギの肉を食べ、地元の食文化に触れた。
その後、基地のリーダーからバッタの情報を得て、砂漠での生活について学んだ。
これからも砂漠での調査を続ける予定だ。

殺虫剤のドラム缶を積んだ防除部隊が先導し、これまで見た中で最大級のバッタの群れが広がっていた。
防除のショーが予定されていたが、研究者はバッタの行動を観察し、論文のネタにしたいと考えていた。
チームメイトは滞在の延長を承諾し、防除を待ってもらうことにした。

研究者は予定外の群生相の幼虫の研究に着手することに決めた。
これには、現場でのみ可能な地の利を活かした研究を目指すというこだわりがあった。
観察を通じて、バッタがどの植物にも群がり、逃げ方には二つのパターンがあることを見つけた。
この発見を基に、バッタの逃げ方を研究する計画を立てた。

研究は砂漠の過酷な環境の中で行われ、日中の暑さや夜間の寒さに対応しながらデータを収集した。
最初のフィールドワークにもかかわらず、研究者は新たな発見に興奮し、楽しみながら作業を進めた。
帰路につく際には、地元のマーケットで「歯磨きの木」を用いて歯を磨く体験もした。
これが驚くほどの磨き心地であり、研究旅行は多くの新発見と共に成功裡に終了した。

フィールドワーク歴5日目で、フィールドの魅力に気づいた。
室内での実験ではバッタの飼育に多大な労力が必要であるが、フィールドでは研究の準備が整っており、後片付けも不要である。
フィールドワークは実験室での研究と比べて同じくらい、あるいはそれ以上に大変だが、フィールドでの作業はローテクスタイルでデータを取ることができ、安定したパフォーマンスを発揮できる。
フィールドワークを苦に思わないことが強みとなり、サハラ砂漠での研究が自分にとって理想的な舞台であると感じている。
この調子で新発見を重ねれば、論文の発表も可能であり、昆虫学者としての夢を実現できるかもしれないと考えている。

第 2章  アフリカに染まる

ティジャニは初めてのフィールドワークの日に、給料交渉を試みた。
彼の通訳であるモハメッドを通じて、月給 6万ウギア(約2万円)でいつでも運転するとの提案がなされた。
これにより、ティジャニは研究所からの給料が得られなくなると知り、研究者のフルタイムのドライバーとして働くことになった。
しかし、後にティジャニが研究所からも給料を受け取っていたことが発覚し、問題が生じた。
それにもかかわらず、彼は研究者としての立場を守り、専属ドライバーとしての地位を確保するために奮闘した。
最終的には、ババ所長の介入により問題が解決し、ティジャニは研究者の専属ドライバーとして再雇用された。
この経験を通じて、彼らの間には単なる雇用関係を超えた友情が生まれた。

ババ所長のもとで働く研究者は、アフリカでの生活において孤独感に苦しみ、それを乗り越えるために忙しく働いて寂しさを紛らわせる方法を採用した。
ババ所長自身も、社会への貢献と家族との時間のバランスに苦悩しながら、研究所の重責を担っている。
所長は、子供の頃に遭遇した生死をさまよう体験から、人生を他人のために生きることを誓い、教育を受けて研究者として成長した。
この研究所では、バッタの問題解決を目指す研究が行われており、研究者はフィールドワークを重視し、実験室の研究者たちに現実を届けたいと考えている。
しかし、彼らの努力にもかかわらず、実際には現場と理論の間には大きなギャップが存在している。

また、研究者は緊急事態に直面し、郵便局での荷物受取りが困難であることを経験する。
この際、郵便局員から不当な料金を請求されるが、最終的に荷物は受け取れたものの、この出来事は地元の腐敗した体制の一端を露呈するものであった。
研究者は、この経験からさらなる対策を講じることを決意し、ババ所長からも支持を受けることとなる。

研究者は、母親から送られたスーツを含む支援物資を受け取るが、開封時に問題が発覚する。
荷物にはネズミが侵入し、中身を食べ散らかした形跡があり、粉々になったインスタントラーメンとネズミの糞が散乱していた。
荷物のダンボールが耐久性に欠けるため、ネズミに侵入されてしまったと考えられる。
研究者は、ネズミによって食い荒らされたラーメンを安全のために捨てる決断をし、これがネズミに対するトラウマを引き起こした。

一方で、研究者は日本語とフランス語の言語混在を使い、ティジャニとのコミュニケーションを図る。
この独自のコミュニケーション方法は、双方が理解しやすく、フランス語の勉強を怠っているが故に生じたものである。
研究者はこのコミュニケーション方式を効率的だが、将来的には不十分な対応になる可能性を自覚している。

さらに、研究者はモーリタニアで物乞いする子供たちに遭遇し、その様子に戸惑いながらも、地元の習慣に従って小額の金銭を渡す。
この体験を通じて、研究者はモーリタニアの社会構造と貧困について深い洞察を得る。
また、贈り物が人々にとってどれだけの意味を持つかを理解し、そこから多くの優しさと人間性を感じ取っている。

研究者は、調査がない日はゲストハウスで過ごす。朝5時にモスクからの祈りのアナウンスがあるが、彼はまだ寝ている。
7時に起き、水の断水が頻繁なため、大きなタライに水を貯めておく。
洗濯機がないため手洗いを行い、太陽の下で衣類を乾燥させる。
昼食は主に自炊で、現地の野菜や肉を利用するが、豚肉は宗教上の理由で一切売買されていない。

研究者は料理が得意で、以前は居酒屋でアルバイトをしており、料理のスキルがある。
また、日本政府からの支援米が流通しているため、日本米を食べることができる。
野外調査のために体力作りを行い、熱さに順応するためエアコンを使用しないようにしている。
夜は研究所内を徘徊し、虫を観察する。

また、治安に関しては比較的安全と感じており、犯罪に巻き込まれるリスクを避けるために引き籠もりが最強の安全対策だとしている。
週末はほとんどゲストハウスに引きこもり、インターネットを通じて日本の知人とコミュニケーションを取ることで、孤独感を解消している。

モーリタニアでは、多くの人がモハメッドという名前を持っており、研究所内でも多くのモハメッドが存在するが、職業や体格などの特徴で区別している。

第 3章  旅立ちを前に

著者は、昆虫に興味を持ち始めた幼少期から、昆虫学者になることを夢見て育った。
特に「ファーブル昆虫記」に影響を受け、将来は昆虫の謎を解明する昆虫学者になることを決意する。
秋田に育ち、豊かな自然環境の中で昆虫に親しむ中で、その夢への情熱はさらに強まる。

しかし、昆虫学者として生計を立てる現実は厳しく、正式な昆虫学者になるためには長い教育と訓練が必要だった。
大学、大学院を経て博士号を取得する過程は、著者にとって多くの試練となる。
特に大学入学後は、研究室配属までの間、充実したキャンパスライフを送るが、最終的には昆虫学を専攻し、イナゴの研究からサバクトビバッタの研究に至る。

博士号取得後のキャリアパスは、非常に競争が激しく、多くの博士が安定した職を得るために苦労している。
ポスドクとしての生活は不安定であり、定職に就くためには、高いインパクトファクターを持つ論文を多数発表する必要がある。
学術界では「Publish or Perish」という厳しい現実があり、研究者は常に次の職を探し、新たな発見を目指して日々を過ごしている。

読者は著者が困難な道を歩んできたと思っているかもしれないが、その半生を知ることは意義深い。
著者は幼少期、肥満であり運動が苦手だったが、昆虫に興味を持ち始めた。
昆虫の動きや形に対する疑問から、科学的探究心を育み、『ファーブル昆虫記』に触れて昆虫学者になる夢を抱くようになる。
自然豊かな秋田で昆虫に親しみながら、その夢を追い続け、大学と大学院で学び、最終的に博士号を取得する。

博士号取得後の職の競争は非常に厳しく、ポスドクとして一時的な研究職を転々としながら生計を立てる。
研究者としての定職を獲得するためには、高インパクトの論文を多数発表する必要がある。
論文は研究者のキャリアにおいて重要な役割を果たし、その数と質が職業的な成功を左右する。
著者はサバクトビバッタの研究を通じて、新たな発見を目指し、学術的な貢献を続けている。

バッタは「飛蝗」とも書かれ、世界各地の穀倉地帯に固有種が存在する。
特にサバクトビバッタはアフリカの半砂漠地帯に生息し、大発生することで農業に甚大な被害を及ぼす。
大発生時には天地を覆うほどの数百億匹が群れをなし、広範囲の緑を食い尽くす。
この現象は、聖書やコーランにも記されており、古代エジプト人はバッタの翅の模様を「神の罰」と解釈していた。
バッタは高密度で発育すると、群生相に変わり、より活発に行動し、飛翔能力も向上する。この変身能力は「相変異」と呼ばれ、ロシアのウバロフ卿によって発見された。

研究者はこの相変異のメカニズムを解明しようと努力しており、群生相の阻止が大発生の予防につながる可能性がある。
バッタ研究は非常に発展しており、多くの論文が発表されている。
バッタとイナゴは相変異の有無で区別され、日本のオンブバッタやショウリョウバッタはイナゴに分類される。

ポスドクとして、著者は安定した職を求めて研究を続けなければならないが、アフリカでのフィールドワークは困難が伴う。
室内実験ではバッタの生物現象を詳細に調べることができるが、野外での観察は本来の研究の目的である自然理解に不可欠である。
しかし、実験室と現場の環境の違いは、研究の解釈に誤解を招く恐れがあるため、安定と本物の研究との間で葛藤している。
アフリカへの移動は、新たな発見の機会を提供するが、未知のリスクも多いため、どちらの道を選ぶかは重大な決断を要する。

第 4章  裏切りの大干ばつ

サハラ砂漠では乾季と雨季がはっきりと分かれており、雨季には数日間だけ猛烈な雨が降る。
この雨は地面を深く掘り返し、一帯をドロドロの泥状態にする。
しかし、これが大地に水を与え、植物が生い茂る契機となる。
モーリタニアでは7月と8月が雨季で、それ以外はほとんど雨が降らないが、雨が降れば植物が育ち、バッタも見られるようになる。

調査では、短期集中の雨期にバッタを捕まえるため、飼育用のバッタを保険として確保しておく必要があった。
また、研究所では職員が長期休暇を取り、主要なアシスタントであるティジャニも休暇を取って家族に会いに行った。
雨季に休まれると困るため、バッタがいない時期に休暇を取る条件で合意した。

ティジャニが不在の間に、砂漠の奥地で大雨が降り、すぐにバッタが見つかることを期待していたが、実際には見つからなかった。
一週間後にもう一度砂漠に行ったが、依然としてバッタはおらず、モーリタニア中の調査部隊もバッタを発見できていなかった。

この状況にも関わらず、ティジャニはリフレッシュして帰ってきたが、南のエリアからの情報に基づき、再度バッタを探すための緊急ミッションを開始した。
荷物を車に詰め込み、南下してバッタの生息地を目指したが、期待とは裏腹にバッタは見つからなかった。

以前、ティジャニから砂漠での注意事項として、ラクダは怒らせると危険であることを教わった。
ラクダは見た目におとなしそうでも、飼い主が車からエサをあげることが多いため、エサを期待して車に近づく習性がある。
ラクダの体格は威圧感があり、リーダーが特に大きい。
しかし、実際には攻撃的ではなく、エサを求めているだけだという。

その後、目的地に向かう途中でバッタを見つける。
しかし、捕獲したバッタは少なく、期待していたほどの数はいなかった。
再び移動を開始し、井戸がある場所でゴミムシダマシを見つける。この昆虫は砂漠地帯で水分を得るために独特の方法を用いる。
さらに進むと、村人からの情報でバッタの発生が予想される場所に向かう。

目的地での探索にも関わらず、バッタはほとんど見つからない。
ティジャニと一緒に風景を楽しむことにし、その日は野宿をする。
夜には、調理中に飛んでくる虫たちに悩まされる。
スパゲティを作るが、モーリタニアの茹で方は日本と大きく異なり、非常に柔らかくなる。
スパゲティを食べきれずに地面に置くと、ゴミムシダマシが食べ残しに群がる。

夜遅く、ゴミムシダマシを落とし穴に誘い込む実験を行い、多数が罠にかかる。
この体験は、砂漠での生活の厳しさと昆虫の行動パターンを示している。
次の日、バケツにゴミムシダマシを集めて持ち帰ることに決める。

目的地でバッタが見つからなかったため、20km離れた地点に向かうが、バッタの群れには遭遇できない。
目に飛び込んでくるのはゴミダマのみで、本格的にサバクトビバッタはいないと結論付ける。
しかし、手ブラで研究所に帰ることは避けたいため、別のバッタへのターゲットを変更し、毒バッタを採集する計画を立てる。毒バッタは毒植物を食べて体内に毒成分を貯える。
途中で子供たちを使ってバッタを集める「バッタ高価買い取りキャンペーン」を実施するが、子供たちの間で混乱が起こり、収拾がつかなくなる。
結果として集めたバッタの数は少なく、多くは握り潰されてしまう。

その後、ティジャニは飼育アシスタントとしてバッタの飼育を手伝うことになり、再び砂漠でバッタ採集に向かう。
ライトトラップを用いて夜間に虫を集める試みを行うが、装置の故障や、サソリなどの危険な生物の発生に直面する。
最終的にはバッタ採集は成功せず、対応策として飼育アシスタントの訓練に注力することにする。

朝の散歩中に、すべての物が湿っていることに気づく。
高湿度により霧が発生し、砂漠の植物に水滴が付着していた。
ゴミダマがその水を飲んでおり、霧が瞬時に消える砂漠のオアシスのような存在だった。
前日に設置した落とし穴はゴミダマで満杯となり、チビサソリも観察される。
チビサソリが穴を掘る様子を観察しながら、砂漠では毒を持った生物が潜むため穴に手を突っ込まないよう注意が必要だと理解する。

この日もゴミダマの足跡が多く見られ、さらにヘビの足跡が発見される。
足跡を追い、テントから数メートルの植物の根元の穴で終わる。
ババ所長から、砂漠のヘビは水を求めて移動するため、ベッドの近くに水を置くとヘビが寄ってくる危険があると教わる。
帰り支度をして、お礼がてら前日にライトトラップ設置を手伝ってくれたおじさんのもとを訪れる。
その家族は明らかに裕福で、搾りたてのヤギミルクを提供されるが、招待は断り出発する。

さらに、毒バッタを大量に安上がりに獲得するための第二回買い取りキャンペーンを実施。
しかし、子供たちのバッタ発見能力により、一度に多くのバッタを買い取ることになり、パニックが発生する。
多くのバッタが集められるが、保存状態が悪く、ほとんどが活動しなくなる。
この経験から、自身の非を悔い改める。

締めくくりとして、ジブリに作ってもらったバッタの巨大な飼育ケージがすべて壊れてることを知る。
塩害と潮風のために金網が腐食し、期待していた実験ができなくなる。
最終的に、金網の代替品も同じ運命を辿る。ババ所長からは砂漠の厳しい環境での苦労を共感されるが、失敗から学び、新たな挑戦に備える決意を固める。

バッタがいないことは、ポスドクの研究者にとって致命的な問題であった。
研究対象のバッタが不在となり、論文執筆に必要なデータが不足していた。これにより、研究成果が出せず、キャリアが停滞する危機に瀕していた。
研究者は、予想外の自然の挑戦に直面し、途方に暮れることもあったが、この状況を乗り越えるために、他の昆虫への関心を深めることにした。

具体的には、ゴミダマへの関心を高め、その飼育と研究を開始することに決めた。
この新たな研究対象を通じて、研究者は昆虫学の基本に立ち返り、異なる生態を持つ昆虫の行動や生態系への適応を深く理解することを目指した。
また、研究者はゴミダマを利用して、昼行性と夜行性の行動パターンを調査する実験を計画し、その結果を学術論文にまとめるためのデータ収集を行った。

この新たな研究方向により、研究者は自身の研究能力と適応性を試されるとともに、学術界での位置を確立するための重要な一歩を踏み出した。
ゴミダマの研究は、バッタがいない状況を補い、研究者のキャリアに新たな展望をもたらした。

研究者は、ゴミダマの活動を記録する方法として、砂漠の砂を使い、足跡を追跡することを思いついた。
これにより、ゴミダマがどの時点で活動しているかを明らかにすることができる。
観察容器の中に敷かれた砂には足跡が残り、シェイクすることで容易にリセット可能であることが判明した。

さらに、ゴミダマに快適な環境を提供するために、昼間は暗い場所に隠れる習性を利用して、パイプを使った人工の隠れ家を作成した。
これらのパイプは市場で容易に入手可能であり、大量に製造することができた。

活動記録は「人間レコーダー」として、研究者自身が直接観察により行うことにし、この方法は停電などのアクシデントに強いという利点がある。
この野外実験により、自然条件下でのゴミダマの行動パターンを詳細に調べることが目指された。

しかし、実験途中で多数のゴミダマが脱走し、失敗に終わる。
さらに、ハリネズミによるゴミダマの捕食が新たな問題として浮上した。
この予期せぬ出来事から、研究者は天敵の存在を考慮することの重要性を痛感し、その対策としてハリネズミとの同棲を始めることにした。

この予備実験を通じて、研究者は自然の予測不可能な要素に直面しながらも、次のステップへと進む準備を整えた。

研究者はモーリタニアでハリネズミの侵入に悩まされつつも、ゴミダマの行動を観察し続けた。
研究の中でハリネズミとの共生を強いられ、その結果、予備実験ではハリネズミをエサに頼らせることで、共生関係を築いた。
この過程で研究者は自然の予測不可能な側面と直面し、実験室では得られない貴重な学びを得た。

モーリタニアの厳しい干ばつの中、研究者はバッタが一切現れない事態に直面し、研究が行き詰まる。
同時に、地元の人々や他国からの難民が厳しい状況に置かれていることを知り、モーリタニア人の献身的な精神に触れた。

研究者自身も、バッタを研究するためにモーリタニアに来たにもかかわらず、バッタが見つからず、研究者としての将来に危機感を抱く。
しかし、この困難を乗り越えることで、より一層の研究者としての成長を遂げることを期待していた。

第 5章  聖地でのあがき

研究者はアフリカでの初年越しを蕎麦と海老のてんぷらで祝い、新年を迎えた。しかし、砂漠での撮影後に体調を崩し、悪化する頭痛と寒気に悩まされた。手持ちの薬も効かず、強制帰国の危機に瀕するも、日本大使館の医務官の介入で回復。
この体験を通じて、健康の重要性と自身の医療対策の甘さを痛感した。

モーリタニアでは冬が到来し、驚くほどの寒さに見舞われる。
研究者は研究対象の虫が見られなくなり、孤独と戦いながらフランスへの短期滞在を決める。
フランスの研究機関からの招待を受け、そこで新たな研究の機会を見出し、統計学を学びながら研究を続けることを決意した。
この期間、研究者は書籍執筆の機会を得て、研究と執筆に専念する。

研究者の体験は、異国での健康管理の重要性と、研究対象の不在がもたらす精神的な試練を浮き彫りにした。
自然の変動に左右される職業の不安定さと、それに立ち向かうための準備の必要性を痛感している。

モーリタニアのゲストハウスに戻った研究者は、大量の昆虫が発生していることに直面した。
この昆虫は、フランスからの帰国直後のゲストハウスが理想的な繁殖環境となっていたため、撲滅に努めた。
この騒動を通じて、研究者はモーリタニアへの帰国を実感した。

一方、ティジャニとの朝食では、彼が二人目の妻との間に問題があることが明らかになった。
モーリタニアでは体型が大きいことが美の基準とされ、伝統的に女性を無理やり太らせる風習が行われている。
これは、女性を健康に良くない方法で太らせる文化であり、健康に悪影響を及ぼすこともある。
ティジャニの家庭では、この伝統が家庭内の争いを引き起こし、最終的には妻が家出する事態に至った。
この経験を通じて、ティジャニは文化的背景と家庭内の調和の難しさを痛感した。

この文書では、文化の違いが人々の生活にどのように影響を及ぼしているかが描かれている。
また、個人の価値観と社会的慣習が衝突する場面が生々しく表現されている。

モンペリエに戻った研究者は、以前宿泊していたホームステイ先で再び滞在することに決める。
今回の目的は、モーリタニアから送られたサバクトビバッタの卵を使用して実験を行うことである。
しかし、フランスに到着する数日前に、温度管理システムの故障により、使用予定のバッタの多くが熱死してしまうという事態に直面した。
その結果、研究計画を急遽変更する必要が生じる。

さらに、フランスの研究所では労働時間が厳格に制限されており、研究者は早期に業務を終えなければならない。
これにより、夜遅くまで実験を行うことができず、研究の効率が低下する。

一方、研究者はファーブルの家を訪れることを楽しみにしていた。
ファーブルの家は、フランスのセリニャン・デュ・コンタ村にあり、昆虫学者ファーブルが晩年を過ごした場所である。
研究者はこの場所を聖地と考え、自らの研究成果をファーブルに捧げる原稿を屋敷に持参する。
しかし、訪問日が休館日であったため、内部を見学することはできなかったが、村全体を散策し、ファーブルの精神を感じ取ることができた。

研究者はファーブルの屋敷を訪れ、世界中の昆虫標本やファーブルの道具を見学する。
ファーブルのコレクションの多くはパリの博物館に保管されているが、その創造的な業績は壁一面のキノコの絵や多言語に訳された『ファーブル昆虫記』にも見られる。
研究者は実験室を訪れ、ファーブルの科学的遺産に感動し、彼の実験環境で深呼吸をする。
庭を散策し、自然の美しさに心を癒やす。

訪れた研究者たちは、ファーブルに関連する場所で記念撮影をし、研究者は日記帳に感謝の言葉を記す。
また、フランスでの滞在中に研究者は出版前の原稿の最終打ち合わせを行い、完成への準備を進める。
フランスでの研究と出版作業を終えた後、研究者はモーリタニアに戻り、ティジャニと再会する。
彼の帰還は、研究所の職員たちに喜ばれ、ティジャニは彼の早期の帰還を予見していたことで同僚たちを驚かせる。
この経験を通じて、研究者は次の研究課題に取り組む準備を整える。

第 6章  地雷の海を越えて

待望のバッタシーズンが到来し、研究者は全国を駆け巡る。
首都から100km離れた地点でバッタの成虫が確認されたため、クリスマス直前に現地に急行する。
到着後、サッファと呼ばれる地域で塩湖の存在を認識し、その危険性から回避する。
サッファは塩と水が多く、車がハマる可能性があるため、直接通過することを避ける。
サッファは古代に海の底だった地域であり、その歴史を感じながら塩の状態を観察する。

砂漠での移動時は、明確な轍を選ぶことで安全かつ効率的に進む。
万が一の事態に備え、衛星電話を用意しているが、携帯電話の普及によりその利用は限定的である。

調査地では、バッタの観察と生態調査を行い、ティジャニと新妻は調理を行う。
特にクリスマスにはチキンを用意し、伝統的な食事を楽しむ。
この楽しい時を過ごす中で、ババ所長が訪れ、クリスマスの激励としてチキンのディナーを提供する。
これは、研究者にとって大きな喜びとなり、バッタシーズンの調査活動における特別な出来事となる。

冬場のバッタの活動パターンについて、ババ所長への報告が行われた。
バッタは日中体が温まると飛び回るが、朝方は冷えて活動が鈍るため、敵から逃れるために大きな植物に移動する。
この行動は、敵に捕まるリスクを減らし、日の出と共に体を温める戦略として有効だった。
また、寒くて動けない際には自ら地面に落ちて植物の根元に隠れることで、天敵の目を逃れることが判明した。
これらの発見により、バッタの賢明な生存戦略が明らかにされ、研究者にとっては重要な発見となった。

モハメッド宅で2日過ごした後、一向に現れないバッタの群れを求めて出陣することにした。
地元の運転手からの情報で、最近群れが道路を横切ったとの証言を得て、その方向へ車を進めた。
道路上でバッタの死骸や潰れた痕跡が確認され、群れがこの地を通過したことが確認された。砂漠の風向きを頼りに群れを追跡し、ついには巨大なバッタの群れを発見した。
群れは壮大な光景を見せており、その圧倒的な大群に驚愕した。
しかし、群れが地雷地帯へ向かっていくため、追跡を中断せざるを得なかった。
その後、数日間粘ったが、群れは再び現れず、首都に戻ることとなった。
撮影した映像を所長に披露したが、所長はその規模を小さいと評した。
その後も研究を続けることを誓いながら、ティジャニと共に食事を楽しんだ。

第 7章  彷徨える博士

32歳の冬に自分の夢を追い求めた代償は、無収入という現実だった。
研究と生活費の保障が終わろうとしていた時、来年度の収入源は未だ未定だった。
日本に帰るか、アフリカに残ってバッタ研究を続けるかの決断が迫っていた。
選択は、収入のない中での研究続行か、別の昆虫を研究しながら給料を得ることかだった。
苦悩の中で、ババ所長から励まされ、感謝の気持ちを伝えた。
どちらの道を選んでも、昆虫学者としての夢を追い続ける使命感に駆られていた。

記念すべき無収入初日に、日本のジュンク堂書店池袋本店で著書のサイン会兼トークショーが開催された。
帰国したばかりの彼は、言語障害に苦しみながらもイベントを成功させた。その場には、彼のブログを見ていた多くのファンが訪れ、サイン会では長蛇の列ができた。
イベント中には、「プレジデント」というビジネス誌の編集者から連載のオファーがあり、彼の無収入の生活やアフリカでの工夫がビジネスマンに役立つと言われた。
最終的には、その不思議な提案に惹かれて連載を引き受けることにした。
彼はこの連載を通じてビジネス界にバッタの問題を広め、文章能力も向上させることができた。

帰国中に多くの異職種の人々から声をかけられた経験から、バッタ研究者が日本社会で有用であることを認識した。
バッタ研究の魅力を改めて認識し、さまざまな人々からのアドバイスを受けて、その社会的価値をより高める方法に気づいた。
バッタ研究そのものは変わらないが、その見せ方を変えるだけで、社会での重要性が高まるということを学んだ。

中国での国際学会を終えた後、京都で白眉プロジェクトの面接を受けていた。
面接前には越川滋行博士と偶然会い、彼もまたライバルとして出会うことに驚いた。
彼もまた世界最高峰の科学雑誌に掲載されている研究者であり、その場は緊張感に満ちていた。

面接には特別な策を用意しており、「白眉」というテーマに合わせて自らの眉毛を白く塗ることにした。
これは、他の受験者と差をつけ、記憶に残るアプローチとして計画されていた。
また、万が一のために顔をすぐに洗い流せるよう準備もしていた。

面接は予想に反して穏やかな流れで進み、自身の研究への情熱や経験を伯楽委員たちに伝えた。
最終的には、京都大学の松本総長との面接が行われ、そこでのやり取りは非常に感動的なものだった。
松本総長は、モーリタニアでの研究生活に対する感謝の意を表してくれた。

面接後、先に面接を終えていた越川博士と再会し、一緒に東京へと戻ることになった。
面接の結果はモーリタニアで待つことになるが、その間にモーリタニアは大雨に見舞われ、バッタが出現する状況にあった。
バッタ問題への対応を考える中で、バッタ防除の重要性が再確認され、その情報網を活用していた。

結果的に、白眉プロジェクトの面接では個性的なアプローチを試みたことで、印象に残る面接となった。

モーリタニアに渡って2年半が過ぎ、行われた研究が次々に論文として発表された。
これにより、研究所内での評価が高まり、これまでの外国人研究者との差別化が図られた。
特に共同著者として研究所の研究者たちの名を連ねたことで、信頼を得た。

日本とモーリタニアとの間の友好関係も強化された。
日本国の特命全権大使が研究所を訪問し、バッタ問題に関する会談が行われたり、晩餐会が開催されたりした。
これらの活動は、研究所内での日本に対する印象を向上させた。

国際農林水産業研究センター(JIRCAS)は、ババ所長を日本での国際シンポジウムに招待し、その来日は外務省やモーリタニア大使館との関係強化にも寄与した。
この経験を通じて、モーリタニアと日本の関係は一層密接になった。

また、京都大学白眉プロジェクトからの合格通知を受け取り、大きな安堵と喜びを感じた。
これにより、研究に専念できる環境が整い、研究者としてさらに成長する機会を得た。
内定式には他の生物系研究者も同時に白眉研究者として迎えられ、新たなスタートを切った。
これで、モーリタニアでのバッタの大発生を待ちながら、研究に全力を尽くす準備が整った。

第 8章  「神の罰」に挑む

その年、アフリカでは「神の罰」とも称されるバッタの大発生があり、多くの地域で農作物に甚大な被害が発生し、飢饉の恐れも生じていた。
FAOバッタ対策本部は、バッタとの全面戦争に備えるよう各国に通告を発していた。

モーリタニアでは、研究所が調査部隊を連日砂漠に送り込んでいた。
この大発生は、例年にない大雨が一因とされ、過去に同様の状況が発生した際も大雨があった後にバッタが大量発生していた。
砂漠で干ばつにより天敵も減少し、大雨の後に緑が生えると、バッタがその少ない緑を求めて移動し、増殖するというサイクルがある。

バッタが成虫になると飛翔能力が高まり、近隣諸国にも被害を広げるため、モーリタニアはバッタの発生源として、初期段階の幼虫を叩くことが重要であった。
ババ所長は総力を結集してバッタ防除に取り組み、年間の運営予算約1億円の大部分が防除費用に使用されていたが、資金がいつまで持つかが問題だった。
日本を含む国際的な支援により運営が行われているが、資金は不足気味であり、過去の大発生時の教訓から、初動の遅れを防ぐためにも早急な資金確保が求められていた。

この危機を国内外に訴えるため、研究所は砂漠の真ん中で緊急記者会見を行い、その場でメディアや関係者に現状を視察してもらった。
この広報活動により、ババ所長はバッタ防除の重要性を強調し、必要な支援を求めた。

夜間、皆が眠りについた後、研究者は単独で砂漠に出て、以前見た幼虫の集団を探したが、見つからず、広範囲を彷徨うことになった。
野営地を離れて2kmほど歩いたところで、ようやくバッタの群れを発見し、カメラで撮影を試みたが、夜間のため写真がぼけてしまった。
地面に片膝をついて撮影を試みるも、その瞬間に右膝に激痛が走り、サソリに刺されてしまった。

刺された後、研究者は野営地に戻ることを試みたが、痛みが増していく中で危険を感じた。
ヘッドランプの赤色点滅モードを使ってSOS信号を送ったが、反応はなく、夜間2時であったため、皆が寝ている中、自力で野営地に戻るしかなかった。

朝になり、皆が起き始めた時、研究者はババ所長に事の顛末を報告し、所長は患部を確認し、呪文のようなものを唱えて応急処置を行った。
痛みは引かず、研究者は研究所に戻ることにし、セキュリティのシディが同様の行動を取ったが、やはり痛みは改善されなかった。

最終的に日本大使館の医務官の助けを借りて鎮痛剤と軟膏を処方してもらい、24時間後には痛みがほぼ消えた。
この経験から、研究者は自力で対処する方法を学び、今後も調査を続ける決意を固めた。

研究所は、広大な砂漠で全てをカバーすることが不可能だったため、バッタの大群が形成されてしまい、成虫の群れが出現した。
この群れは、砂漠奥地で小さな群れ同士が合流し、成長していた。
部隊が派遣されたが、現れた場所が国立公園内で殺虫剤の使用が禁じられていたため、手出しできなかった。

私も現場に急行したが、大群はすでに分裂し、行方不明になっていた。
成虫はほとんど見かけない状態で、群生相の幼虫の観察を開始した。ティジャニの協力を得ながら、新しい研究テーマを探りつつ、遠くの空で動く黒い物体が目に入り、それが近づくにつれ緊張が走った。
怒りを感じつつも、研究者としての使命に燃えていた。

ティジャニと共に、群れを追跡し、大群との死闘に向けて走り出した。
この闘いは、私の人生の全てがかかった決戦であり、バッタの恐怖に終止符を打つためだった。
群れの着地場所の好みを掴み、学術的価値の高い観察ノートを作成していた。

この長い研究と戦いを通じて、研究が如何に幸せなことかを感じ、家族や友人、さまざまな支援を受けたことへの感謝を改めて認識した。
そして、これらの経験を語り継ぐことが、恩返しになると確信していた。

早朝、バッタの大群が首都に向かって飛んでいるという報告を受け、研究所は群れを監視し続けるよう指示された。
首都の近くに大統領官邸があり、群れが侵入すれば大混乱が起こる恐れがあった。
国立公園を出た瞬間に速やかに叩く必要があり、群れが出るのを阻止しなければならなかった。

群れが公園を脱し、着陸地点についたとき、バッタへの愛情が再び芽生えた。
しかし、翌日、研究所は全力で群れを叩く決定を下した。
私は最終的な観察を行い、大群が息を潜めて夜明けを待っている様子を目に焼き付けた。

最終的に、研究所は総力を結集し、バッタの大群を一掃する作戦を実行した。
これにより、「神の罰」とされた群れは大地に静かに還った。
私はこの過程で、ファーブルのような昆虫学者としての道を歩みながら、夢の裏側に潜む真実を知り、研究者としての力を存分に発揮した。
そして、バッタとの別れを告げ、彼らは私の論文の中で永遠に生き続けることを感謝した。

第 9章  我、サハラに死せず

疲れから自室に籠もり、データ入力に没頭していた。ティジャニが朝食を持ってくる日課になっていた。
ある日、ティジャニはテレビで自分たちの研究所が評価されていたことを喜んで伝えた。
放送された議論の中で、ある男性が特に研究所の活動を高く評価していたが、その男性は以前自分たちを助けた親切な人物だったことが分かった。

日本への帰国が迫り、ティジャニや他のスタッフは研究所に残ることになっていた。
自身が飼っていたハリネズミたち、ハロウたちの自然への復帰を計画していたが、ノミの問題に直面していた。
ハリネズミたちを清潔にして自然に放した後、ノミが部屋に侵入する事態になり、深刻な被害が発生した。

最後の日、バッタの研究を続けながら、ババ所長との別れを惜しんだ。
所長は「ウルド」という名前を受け継ぐことに感謝し、ウルドとしての精神を持って日本に帰るよう励ました。
そして、モーリタニアの家族や友人との一時的な別れを経て、ウルドの名を胸に日本へ帰国した。

帰国後、秋田県立秋田中央高校で講演会を行った。アフリカでの経験と、研究所での業績が認められ、地元での評価も高まっていた。
講演では、民族衣装を着用し、学生たちに夢の重要性を説いた。
研究所での努力が実を結び、地元秋田での凱旋は大成功となった。

日本へ帰国して、日々の生活は地元の温もりに支えられ、地元メディアにも取り上げられた。
今後はつくばの国際農林水産業研究センターで、バッタ研究を続けながら、常勤の昆虫学者を目指している。アフリカでの学びを生かし、さらに研究を深めることを計画している。

あとがき

モーリタニア滞在中、ラマダンの断食を体験し、日々の小さな幸せを感じる体質に変わったことを自ら認めた。
その経験から、日常生活の中に幸せがたくさんあることを学び、生活が楽に感じられるようになったと述べている。
日本に帰国後、日常の小さな幸せが感じられる感性は時間とともに失われ、日本での平凡な生活に不満を覚え始めた。
そこで「なんちゃってラマダン」と称して、定期的に断食を行うことで、幸せのハードルを再調整しようとしている。
この体験を通じて、困難を乗り越えたときの幸せの感じ方について深く理解している。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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