「底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?」感想・ネタバレ

「底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?」感想・ネタバレ

どんな本?

概要

本書は、現代日本社会の病理を多角的に検証するノンフィクションである。専守防衛を放棄し戦争を招く政府、悪人が処罰されない社会、監視役を放棄したメディア、不条理に従い続ける国民など、社会の自浄作用が機能していない現状を、事実やデータを駆使して明らかにする。
特徴

著者の山崎雅弘氏は、戦史・紛争史研究家としての視点から、政治、社会、メディア、国民性など多方面にわたり現代日本の問題点を分析している。各種の事実やデータを用いて、社会の自浄作用が失われた「底が抜けた」状態を徹底的に検証している点が特徴である。

出版情報
• 出版社:朝日新聞出版
• 発売日:2024年12月13日
• ISBN:9784022952943
• 価格:新書版 957円(税込)
• ページ数:216ページ

読んだ本のタイトル

底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?
著者:山崎雅弘 氏

gifbanner?sid=3589474&pid=889458714 「底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?」感想・ネタバレBookliveで購入gifbanner?sid=3589474&pid=889059394 「底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?」感想・ネタバレBOOK☆WALKERで購入gifbanner?sid=3589474&pid=890540720 「底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?」感想・ネタバレ

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あらすじ・内容

専守防衛を放棄して戦争を引き寄せる政府、悪人が処罰されない日本社会、「番人」の仕事をやめたメディア、不条理に従い続ける国民。社会の自浄作用が働いていない「底が抜けた」現代日本社会の病理を、各種の事実やデータを駆使して徹底的に検証!

底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?

感想

底が抜けた日本社会と腐敗する仕組み

自浄能力を失った組織と社会構造
現在の日本では、立法、司法、行政、さらにマスメディアまでもがそれぞれの使命を忘れ、利己的に動いている状況が見られる。
隣国では不正を行った議員が拘束され裁判を受けるのに対し、日本では与党・野党を問わず、不正が追及されるケースはごく少ない。
この現状は、自浄能力を失った社会構造の象徴であり、「底が抜けている」という表現が非常に的を射ているといえる。

公文書改ざんと著者の意図
現政権は統計データと公文書の改ざんも行っており、正確な記録が失われつつある。
著者は、この異常な状況を記録に残すべく本書を執筆したらしい。
しかし、戦前の出来事に関する記述が多く、説明の必要性は理解できるものの、読者としては冗長に感じる部分もあった。より具体的な現代の事例や解決策が知りたかった。

権力の監視装置としてのマスメディアの崩壊
特に「本当にソレ」と感じたのは、権力を監視する役割を持ってるはずのマスメディアが完全に権力側に寝返っているという指摘である。
大手メディアは、自らの利益を優先し、記者クラブで役所からの発表を検証もせずに垂れ流すだけでなく、残虐な事件やスキャンダルといったウケる話題ばかりを報道する。
その結果、日本社会全体の公益が損なわれ、腐敗が蔓延する一因となっている。

動かない検察と「美しい国」への皮肉
裏金問題や公職選挙法違反が発覚しても、検察は動かず、政治家の不正が追及されない現状が続いている。
「美しい国」を掲げる現政権の本質が、実際には腐敗と無責任であることを浮き彫りにしている。どこまで堕ちていくのか、暗澹たる思いにさせられる。

本書の価値と物足りなさ
本書には、解決策が示されていない点が残念であるものの、現代日本の「底が抜けた」醜悪な現実が的確に描かれていた。
既知の情報が多かったという声もあるが、社会の腐敗構造を整理し、理解を深めるには役立つ一冊であった。。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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その他ノンフィクション

6bf795f904f38536fef8a54f53a8a299 「底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?」感想・ネタバレ
Nonfiction

備忘録

はじめに

政界における自浄作用の消失

かつての日本では、政治家の汚職が発覚した場合、責任が追及され、辞職や逮捕といった形で問題が解決されていた。しかし現在では、そのような自浄作用が失われ、不正は放置されるか、さらにエスカレートする事態となっている。第二次安倍政権以降、この傾向は岸田政権下でより深刻化した。

政界・官界・財界の癒着

内閣人事局の設置により、官界が政界の支配下に入り、さらに企業献金などを通じて政界と財界が癒着関係を深めた。この構造は、民主主義が未熟な国家に見られるものであり、日本の社会構造に深刻な影響を及ぼしている。

大手メディアの役割放棄

本来であれば権力を監視する立場にある大手メディアも、政治的圧力や経済的利益と引き換えに政界・財界と結びつき、その役割を果たさなくなった。これにより、政界・官界・財界・メディアという四つの勢力が巨大な支配層を形成し、日本社会に倫理の崩壊を招いている。

倫理規範の喪失と私益追求

公職者が持つべき良識や節度が失われ、権力は私益のためだけに行使されている。こうした状況は、野蛮国と同様の構造を日本社会に作り出し、公益を軽視する風潮を広げている。

社会病理への分析と提言

著者は、事実やデータを基に日本社会の異常な状態を分析し、その改善策を提示している。これらの問題は、社会全体の意識と行動による解決が必要であり、未来の日本において再び社会の自浄能力を取り戻すための問いを投げかけている。

第一章  平和国家の底が抜け、戦争を引き寄せる自民党政府

《いとも簡単に既成事実化された「専守防衛の放棄」》

専守防衛の転換点

2022年12月16日、岸田内閣は専守防衛を事実上放棄する閣議決定を行った。戦後日本が保持してきた「戦争を行わない」という大方針が転換され、防衛費増大や反撃能力の保有が決定された。この重大な政策変更について、大手メディアは専守防衛放棄の本質を深く報じることなく、財源の議論に重点を置いていた。

防衛三文書の改定

「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の三文書が改定され、新たに「反撃能力」が明記された。この能力は、日本を攻撃する兆候がある場合に相手国を攻撃するという概念であったが、実際には現行の自衛隊には発射前の目標探知能力が欠如しており、実現可能性は乏しかった。

歴史的視点と防衛政策の課題

過去の大日本帝国の失敗には、情緒や空気による戦略策定、情報の遮断・独占といった欠陥が存在した。安倍政権以降、自民党政権は過去の失敗を批判的に評価せず、防衛政策を推進した。これにより、過去の誤りが再び繰り返される危険性が高まっている。

権力者の合理性と課題

日本政府は、政策決定において指導層の理性と合理性を前提としていた。しかし、現実には独善的な思考や詭弁が横行し、国民にとって重要な議論が避けられていた。防衛政策における課題は依然として深刻であり、これが将来の日本に影響を及ぼすことが懸念される。

《日本の軍備増強と三菱重工業》

三菱重工業をめぐる異なる視点

2024年7月17日、三菱重工業に関する記事が二つの新聞に掲載された。一つは日経新聞で、三菱重工業の株価急騰を「防衛の受注急増」という肯定的な視点から報じていた。他方、しんぶん赤旗は、公的年金資金が軍事企業に流れ込む問題を指摘し、株価上昇を「大軍拡路線」の結果として批判していた。

軍需産業と防衛費の急増

三菱重工業は、防衛費の増額を背景に長射程ミサイルの受注を増やし、売上を急伸させていた。2023年度には、防衛省との契約額が4.6倍となり、1兆6803億円に達していた。一方で、しんぶん赤旗は年金資金が国内外の軍需企業に投資されている点を問題視し、公益性に欠ける運用と批判していた。

政策決定における利害関係の問題

三菱重工業の会長や社長が、防衛政策や経済安全保障に関する政府会議の委員を務めていた。この状況について、立憲民主党の辻元清美議員は、利害関係者が政策決定に関与することの公正性を国会で問題提起していた。岸田首相や防衛大臣は、防衛産業の知見を理由に挙げたが、辻元議員はヒアリング形式で十分だと反論していた。

政治献金とその影響

三菱重工業は自民党の政治資金団体に毎年多額の献金を行っていた。辻元議員は、この献金が防衛政策の透明性に影響を与えている可能性を指摘し、政策決定への疑義を深めていた。岸田首相は、多様な意見の反映を理由に献金者の関与を擁護していたが、議論は平行線をたどっていた。

《岸田政権が既成事実化し拡大しつつある「兵器輸出」政策》

三菱重工業と自民党の政治献金問題

辻元清美議員は、自民党が三菱重工業から多額の政治献金を受け取り、その後三菱重工業に対して巨額の発注を行う構造を「キックバックのようだ」と批判した。これに対し、岸田首相は「政策決定は献金に影響されない」と答弁したが、議論の核心には触れず、曖昧な返答に終始していた。

政策決定過程と利害関係者の問題

辻元議員は、防衛政策会議に三菱重工業の会長が委員として参加している点を指摘し、「政策に影響を受けないと言いながら利害関係者を委員に加えるのは矛盾している」と批判した。これに対し、岸田首相は「防衛産業の実態を把握する必要がある」と述べたが、参考人としての参加にとどめるべきだという議員の主張には答えなかった。

武器輸出政策の転換

辻元議員は、日本とイギリス、イタリアが共同開発する次期戦闘機に関連し、日本が殺傷能力のある武器を輸出する国になる可能性を指摘した。岸田首相は「第三国への移転を可能にするべきだ」と述べ、武器輸出を推進する姿勢を示した。これに対し、辻元議員は「武器輸出を禁じることは日本の国是であり、国のあり方を根本から変える問題だ」と強調した。

密室政治と透明性の欠如

辻元議員は、防衛政策における政府与党と三菱重工業の関係が密室的であり、国民の声を無視して進められている点を問題視した。彼女は、政策転換が国是を覆す重大な問題であることを指摘し、国会や国民による十分な議論を求めたが、政府側から明確な回答は得られなかった。

《三菱重工業と昭和の日中戦争・アジア太平洋戦争》

三菱重工業の戦闘機輸出計画の承認

2024年3月26日、岸田内閣は「グローバル戦闘航空プログラム」に関する閣議決定を行い、三菱重工業が共同開発する戦闘機の第三国への輸出を認めた。これにより、防衛装備移転三原則の運用指針が改正され、自民党と公明党の協議の結果、三菱重工業に新たな兵器輸出の道が開かれた。

三菱重工業の歴史と軍需産業への転換

三菱重工業は1934年に誕生し、戦前から軍需産業として成長を遂げた。戦艦「武蔵」や零式戦闘機などを製造し、日本の戦争遂行を支えてきた。同社の起源は幕末の長崎製鉄所であり、明治政府のもとで三菱財閥に引き継がれた。昭和期には航空機や戦車、軍艦の生産を拡大し、日中戦争やアジア太平洋戦争での需要増加に応えた。

防衛特需と防衛費の増加

日中戦争以降、三菱重工業の軍需産業としての役割は拡大し、1944年には航空機の機体とエンジンの受注額が当時の国家予算の63%に相当する18億円に達した。戦後も分割された同社は再統合され、防衛費の増加に伴い、再び大規模な防衛特需を享受している。

武器輸出政策の転換

岸田政権は、安倍政権時代に導入された防衛装備移転三原則をさらに緩和し、三菱重工業が製造した武器の輸出を推進した。この方針転換により、殺傷能力を持つ兵器の輸出が現実となり、日本の平和主義政策が大きく揺らいだ。

防衛費増額と産業構造の問題

防衛費の増額に伴い、三菱重工業をはじめとする防衛関連企業は巨額の受注を受けた。一方で、防衛装備品の価格決定はブラックボックス化し、特需による利益率の高さが批判を招いている。防衛産業の拡大がもたらす経済的利益と、その背後にある政策の透明性の欠如が議論を呼んでいる。

《軍備増強と戦争準備に再び関与し始めた大企業と新聞》

防衛政策と大手メディアの関与

2022年12月16日の岸田内閣による「防衛三文書の見直し」を推進する有識者会議に、読売新聞社の山口寿一社長と日経新聞社の喜多恒雄顧問が委員として参加していた。山口社長は防衛力強化の必要性を訴え、喜多顧問は防衛産業の成長と安定財源確保の重要性を述べていた。これを受けた報告書では、反撃能力の保有や防衛費の大幅増額、増税が明記された。

財界と政府の連携の歴史

財界と政府が戦争遂行に協力した例として、1937年の盧溝橋事件後、近衛内閣は主要メディアや財界を集めて協力を求めた。財界は「挙国一致」の名のもとで戦争を支持し、利益を追求する姿勢を見せていた。当時の実業家である小林一三も戦争を「天佑」と称え、中国との戦争が日本経済に利益をもたらすと考えていた。

軍事産業へのシフトと経済効果

岸田政権下で防衛費が増額され、三菱重工業は過去最高の売上を記録した。株価上昇の背後には、兵器受注を背景とした軍需産業の成長があった。しかし、大手メディアはこれを積極的に報じず、国民の多くは経済成長の成果とみなしていた。

倫理観の欠如と破壊的産業への転換

日本の財界は、戦後平和主義の影響で「兵器製造は避けるべき」との暗黙の了解を持っていたが、近年は利益のために軍事産業を歓迎する風潮へと変化していた。株価上昇を維持するため、防衛政策の拡大が不可欠とされる状況は、経済的繁栄の健全性を問われるべき事態であった。

《自民党政権下で大きく歪められた「自衛」の概念》

日本国憲法第9条の解釈と自衛権の歴史

戦後、日本国憲法第9条は「戦争の放棄」を明記し、戦争経験の反省から自衛行動と戦争行為の線引きが議論されてきた。1953年、下田外務省条約局長は、自衛行動は許されるが敵国領土への攻撃を伴う「戦争」は憲法上認められないと述べた。また、集団的自衛権については、1969年に高辻内閣法制局長官が「憲法違反」と解釈していた。

安倍政権による集団的自衛権の行使容認

2015年、第二次安倍政権は安全保障関連法案を可決し、集団的自衛権の行使を可能とした。この憲法解釈の変更は2014年の閣議決定に基づいて行われたもので、「国民を守るための必要最小限の実力行使」と説明された。しかし、これに対する国内外の批判は多く、特に国内では大規模なデモが展開された。

防衛白書における解釈の変化

2014年以降、防衛白書から「集団的自衛権は憲法違反」との記述が削除され、新たに「武力行使の三要件」が追加された。この変更により、自衛隊が海外での武力行使を行う可能性が明文化され、政府の判断次第で戦闘参加が可能となる枠組みが整えられた。

国際情勢と自衛隊の新たな役割

これらの法改正と解釈変更により、自衛隊の活動範囲は大幅に拡大した。政府が「国の存立が脅かされた」と判断すれば、海外の紛争地に自衛隊が派遣され、実戦を行うことも可能となった。この動きは、従来の平和主義から大きな転換を示している。

《空文化した憲法第 9条と「日本軍」に回帰する自衛隊》

日本の平和主義と集団的自衛権を巡る議論

ニューヨーク・タイムズの指摘

ニューヨーク・タイムズ紙は2015年、安倍政権による集団的自衛権の行使容認が日本社会に与えた影響について記事を掲載した。同紙は、憲法改正を伴わず法案成立で政策転換を図った手法に批判的であり、日本国内外での広範な反対運動や世論調査結果を詳細に伝えた。また、安倍首相の歴史観や戦争観が国際的にも疑念を生んでいることを指摘し、戦争への道を進む可能性に懸念を示した。

欧米メディアの分析と安倍政権の思想的背景

エコノミスト誌は安倍政権を「過激な国家主義者の政権」と形容し、日本会議との関係や教育政策を例に挙げて分析した。一方、2023年にはタイム誌が岸田首相について「平和主義を放棄し軍事大国化を目指している」と報じ、安倍政権から岸田政権への継続的な軍事路線の深化を強調した。

自衛隊内文化への影響

自衛隊内部でも、旧日本軍の精神文化を引き継ぐ姿勢が見られる。2024年、陸上自衛隊第32普通科連隊はSNS上で「大東亜戦争」や「近衛兵の精神」といった表現を用い批判を受けた。この部隊は旧日本軍と直接の関係を持たないが、象徴的に「近衛兵」の伝統を掲げている。これにより、憲法に基づく自衛隊の本来の役割と矛盾する行動が問題視された。

憲法解釈変更と自衛隊の変容

2014年の集団的自衛権行使容認と2022年の「反撃能力」保有決定により、自衛隊の性格は実質的に軍隊へと変容した。この変化は自衛隊員の心理や文化にも影響を与え、旧軍への憧憬や歴史的回帰が広がる傾向が見られる。沖縄での事例や靖国神社参拝など、自衛隊の行動は地域社会や国民感情とも摩擦を生んだ。

日本の平和国家から戦争国家への移行

2012年以降の自民党政権は、日本を「戦争ができる国」へと急速に変化させた。軍事費の増加、兵器開発の推進、政財界やメディアの一体化、そして国民の従順さが、この変化を支える要素である。戦後守られてきた「平和国家」の理念が崩壊しつつある現状に対し、国民がその意味を正しく認識できているかが問われている。

第二章  倫理の底が抜け、悪人が処罰されなくなった日本社会

《戦後政治史で空前の自民党「大量裏金脱税」事件》

自民党の「裏金」問題と政治資金規正法改正

パーティー券による収入隠ぺいの実態

2022年、しんぶん赤旗が自民党の複数派閥による政治資金パーティー券収入の隠ぺいを報じたことをきっかけに、組織的な不正が明らかとなった。この問題は、政治資金規正法が定める20万円超の購入者名の記載義務を回避し、収入を小口に分割して裏金として流用する手法によるものであった。自民党の2018年から2021年にかけての収支報告書では、4168万円の過少記載が指摘された。

大量の裏金の発覚

2023年、松野官房長官を含む多くの自民党議員が、パーティー券収入のキックバックで数千万円規模の裏金を得ていた事実が次々と報じられた。裏金の総額は、確認されたものだけで6億7000万円を超える規模に達していた。これにより、自民党の資金運用の不透明さが一層浮き彫りとなった。

政党交付金・企業献金・パーティー券収入の「三重取り」

自民党は政党交付金、企業献金、パーティー券収入を通じて多額の資金を得ており、2023年には約159億円、2024年には約161億円の政党交付金を受領していた。これらの収入に対し、後援会への寄付を利用した資金隠ぺいが常態化していた。特に茂木幹事長は、10年間で約3億2000万円を後援会に寄付しており、その詳細な使途は公開されていなかった。

骨抜きとなった政治資金規正法改正案

2024年、自民党主導で改正された政治資金規正法では、パーティー券購入者の公開基準額を20万円超から5万円超に引き下げるなどの改正が行われた。しかし、施行が2027年に先送りされたほか、企業献金禁止や政策活動費の透明化など根本的な改革は含まれておらず、実効性に乏しい内容であった。

政策活動費とその不透明性

自民党は「政策活動費」を名目に年間14億円以上を党幹部らに配分していたが、その具体的な使途は明確にされていなかった。この資金が選挙活動に用いられている可能性が指摘されたものの、総務省は調査権限を持たないとして問題を放置していた。改正法には第三者機関の設置が検討されるとされたが、具体的な規制は含まれていなかった。

「抜け穴」を残した改正法

後援会への寄付金に関しては、年間1000万円以上の寄付があった場合の明細記載が義務化されたが、寄付を複数の後援会に分散させることで規制を回避できる抜け穴が残された。結果として、政治資金の透明性を高めるという目的は十分に達成されなかった。

岸田首相の楽観的な評価

岸田首相は改正法成立後、「実効性のある制度」と評価したが、多くの問題点を無視した姿勢を貫いた。自民党内で広がる不正に対し、実質的な対策が講じられないまま、国民からの不信感が増大している現状が続いている。

《なぜか「ほぼ不起訴」の日本の検察と「追徴課税しない」国税庁》

検察の不起訴基準と「裏金」問題

不透明な基準での不起訴処分

2023年末から2024年初頭にかけて、自民党の「裏金」問題に関する検察の対応が大きな議論を呼んだ。東京地検特捜部は、自民党安倍派や二階派の家宅捜索を実施し、派閥の会計責任者らを立件したものの、多くの国会議員は不起訴とされた。不記載額が3500万円未満の場合は起訴しないという独自の基準が適用されたためである。この基準に基づき、多くの議員が責任を免れた。

会計責任者への偏った処罰

現行の政治資金規正法では、収支報告書の記載義務は会計責任者に課されており、虚偽記入や不記載が発覚しても、派閥幹部らは「共謀を立証できない」として処罰の対象外とされた。2024年1月の記者会見で検察は、この方針について説明したが、実態としては会計責任者の独断で巨額の不正が行われたとは考えにくい状況であった。

改正法でも導入されなかった連座制

2024年に改正された政治資金規正法では、政治家自身への責任追及を可能にする「連座制」の導入は見送られた。その結果、会計責任者が処罰を受けても、当該政治家は影響を受けない状況が温存された。

国税庁の追徴課税見送り

巨額の「裏金」が発覚したにもかかわらず、国税庁は議員への追徴課税を見送った。議員たちは収支報告書を「不明」だらけに訂正し、事実上、金銭の流れの透明性を失わせた。収支報告書の訂正に関する規定が存在しない現行法の不備を利用した脱法行為が横行した。

安倍政権以降の「法治国家」の崩壊

自民党の「裏金」問題や汚職疑惑に関して、政権の不正を正す機能が失われたことが明らかになった。特に、森友学園や加計学園、桜を見る会といった一連の疑惑では、責任が明確にされないまま幕引きとなった。法やルールが権力者に有利に運用される現状は、近代的な法治国家としての基盤が失われていることを示している。

「政治倫理の底」が抜けた現状

自民党政権下で進行する法や倫理の形骸化により、日本は法治国家としての基準を満たしていない状況に陥っている。法律の適用基準が権力者と一般国民で異なることは、近代国家の本質に反していると言える。

《与党自民党と旧統一教会のグレーな互助関係》

安倍元首相銃撃事件と旧統一教会の関係

銃撃事件が浮き彫りにした癒着問題

2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良県で演説中に銃撃を受け死亡した。この事件の背景には、犯人の供述による旧統一教会への不満があった。安倍元首相が教団関連のイベントでビデオメッセージを送っていた事実も判明し、自民党と旧統一教会の関係が改めて注目を集めた。

自己申告調査による接点の公表

2022年9月、自民党は党所属議員と旧統一教会の接点に関する調査結果を発表した。議員379人中、47%に当たる179人が教団と何らかの関係を認めた。これには祝電送付や会費支出、選挙での支援などが含まれていたが、調査の信憑性には疑問の声が上がった。

旧統一教会と自民党の歴史的な結びつき

岸信介から始まる親密な関係

旧統一教会は1954年に韓国で設立され、岸信介元首相がその日本展開を支援した。1964年には日本支部が宗教法人認可を受け、岸の私邸の隣に本部を移転した。岸や自民党は反共主義を掲げ、教団とも共通の利益を持っていた。

安倍晋三元首相への影響

岸の孫である安倍元首相も、旧統一教会や関連団体と深い関わりを持ち続けた。2022年には、教団の関連イベントへのメッセージ送付が批判を呼び、その影響力の根深さが浮き彫りとなった。

教団と自民党の関係継続と改憲推進

改憲推進大会への教団の動員

2023年、安倍元首相の名を冠した改憲推進大会で、旧統一教会が組織的に動員を行っていたことが報じられた。この大会では、教団関係者が岸田首相の演壇に触れる場面も確認され、安全対策への疑問が生じた。

教団解散命令請求と矛盾

2023年10月、岸田政権は旧統一教会に解散命令を請求したが、その一方で自民党との関係を断ち切れない姿勢が続いていた。教団が霊感商法などで多額の損害を与えた事実が挙げられる中、党内では依然として教団とのつながりが見られた。

政治倫理の喪失と批判の行方

外国宗教団体との癒着の危険性

旧統一教会との長年の癒着は、自民党政権における政教分離や情報保全への懸念を引き起こした。この関係が安全保障や政治倫理に与える影響は深刻である。

未解決の問題としての位置付け

裏金問題や安倍元首相をめぐる不正疑惑とは異なる次元で、自民党と旧統一教会の癒着問題は、「政治倫理の崩壊」の象徴として後世の批判に晒される可能性が高いと言える。

《第二次安倍政権から繰り返される政治部の与党追従報道》

偽りの中立性と日本メディアの退廃

メディアの中立性の誤解

日本のメディアは、政権与党と野党の「中間」に立ち、双方の意見に耳を傾ける姿勢を「中立」として主張していた。しかし、政権与党の持つ権力の大きさと野党の立場の非対称性を無視したこの態度は、真の中立ではなく「偽の中立」であった。ジャーナリズムが本来求められるのは、権力に対する厳しい監視であり、権力が不公正な振る舞いをした場合、それを批判することで公正さを保つ行動であった。

「政治とカネ」という言葉の欺瞞性

かつて日本のメディアは、政治家の不正行為を「汚職」と呼び、その悪質さを明確に批判していた。しかし近年では、「政治とカネ」という曖昧な言葉に置き換えられた。この言葉は、犯罪性や不正の深刻さを薄める効果を持ち、批判の対象を曖昧化する役割を果たしていた。この言葉の普及により、汚職事件に対する世間の追及が弱まり、権力者が不正を行っても辞任や責任追及を免れる風潮が広がった。

報道の自由度の低下

国際的な報道の自由度ランキングにおいて、日本の順位は自民党の第二次安倍政権発足後に急激に低下した。民主党政権下では日本は上位に位置していたが、2013年以降は50位台から70位台に低迷した。これは、メディアが政府や企業からの圧力を受け、自己検閲を行うようになった結果である。特に記者クラブ制度はフリーランスや外国人記者を排除し、既存メディアが政府に従属する構造を助長した。

戦前の教訓を忘れた現代のメディア

戦前から戦中にかけての日本のメディアは、政府や軍部に迎合し、戦争を推進する役割を果たしていた。この過去を反省して戦後のメディアは批判的なジャーナリズムを志向していたが、第二次安倍政権以降、この姿勢は失われつつある。大手メディアは政府の広報的役割を担うようになり、記者たちは自主的に報道内容を制限する「自己検閲」を行うようになった。その結果、日本のメディアは「報道の自由の底」が抜けた状態に陥った。

《国会や記者会見を無意味にする「詭弁」の氾濫》

詭弁の蔓延と議会制民主主義の崩壊

詭弁が常態化した政治の風景
日本の政治において、詭弁の蔓延が顕著となった。特に自民党政権下では、質問や批判に対して「お答えを差し控える」や「適正に処理されている」といった曖昧な表現を用い、回答を避ける態度が日常化していた。この現象は、権力者が説明責任を逃れる手段として詭弁を濫用していることを示していた。

詭弁を支える「お答えを差し控える」という言葉
「お答えを差し控える」という表現は、形式的には礼儀正しく見えるが、実質的には論点のすり替えである。これにより、権力者は自分に不都合な事実について責任を問われることを避けてきた。この手法は、第二次安倍政権以降に急激に増加し、重要な国会議論の場においても多用されるようになった。

記者会見での説明責任の放棄
首相や閣僚が国民の代表として記者会見で説明責任を果たすことは、民主主義国家における基本であった。しかし、日本では首相や閣僚が詭弁を用いて質問をかわし続ける光景が常態化していた。記者側もこれを批判せず、無抵抗な姿勢で追従することで、政治家と報道記者の間に不健全な関係が形成されていた。

詭弁が生む上下関係の固定化
「説明を差し控える」という態度は、権力者が自らの立場の優位性を強調し、上下関係を固定化する役割を果たしていた。このような詭弁がまかり通る状況では、記者や野党議員は権力者に対して効果的な追及ができず、結果として民主主義の基本原則が揺らいでいた。

国会における議論の空洞化
詭弁の蔓延は、国会という「言論の府」においても深刻な影響を及ぼした。首相や閣僚が重要な質問に対し曖昧な回答を繰り返し、野党の追及をかわすことで、貴重な審議時間が浪費された。これにより、国会での論理的で意義のある議論が成立しなくなり、議会制民主主義の基盤が崩壊しつつあった。

報道の責任と民主主義の危機
政治家の詭弁を批判せず、それをそのまま報じるメディアの姿勢は、民主主義国としての日本の信用を損なう要因となっていた。詭弁の拡散は、国民の「知る権利」を侵害し、権力者の説明責任を曖昧にすることで、議会制民主主義の機能不全を招いたと言える。

《権力によって「言葉」が破壊された国の行き着く先》

詭弁の濫用による強権政治の固定化

詭弁がもたらす議論の空洞化
自民党が政策を強引に推し進める際、野党の指摘や批判は詭弁でかわされることが常態化していた。この結果、問題点が放置されたまま法律が成立し、欠陥を抱えた法制度が社会に適用される事態が頻発した。批判を封じることで一時的に権力を維持できても、長期的には統治機構自体が崩壊する可能性があることが歴史的に証明されている。

大日本帝国の失敗に学ぶべき教訓
昭和の大日本帝国は批判を封じ込めるため、治安維持法や軍機保護法を活用し、国内の反対意見を抑え込んだ。これにより、日中戦争が長期化し、さらにアジア太平洋戦争へと拡大した。国民は虚偽の「大本営発表」により真実を知らされず、最終的には国家の破滅を迎えた。この歴史は、批判を受け入れることの重要性を示している。

「記憶にありません」という詭弁の悪質性
政治家が不都合な質問に対し「記憶にありません」と答える詭弁は、説明責任を回避する典型例であった。この回答は、一見曖昧に見えるが、実際には問題の存在を暗に認めていると解釈できる。記者がこの詭弁に有効に対応する方法を持たないため、政治家は責任を回避し続けることができた。

論理的思考と形式的思考の混同
日本社会では、論理的思考よりも形式的思考が優先される傾向が強まっていた。形式的思考は、既存の慣例に従うだけで物事の是非を判断するため、論理性を欠いていた。この思考の混同により、詭弁が容易に通用し、権力者が対話を無効化する手段として悪用される結果となった。

詭弁が民主主義を損なう危険性
詭弁は、言論の自由を侵害し、民主主義の基盤を蝕むものである。権力者が詭弁を濫用し続ければ、独裁国家のような状況が静かに進行する可能性が高まる。報道記者は、胆力と論理力をもって詭弁に対抗し、国民の知る権利を守る責任を果たす必要があった。

政治報道の責任と浄化の必要性
現在の日本では、記者が権力者に追従し、批判精神を欠く報道が常態化していた。この姿勢を改めなければ、政治腐敗と報道の劣化はさらに進むと考えられる。政治報道の改革は、民主主義を守るための第一歩であると言える。

第三章  公正の底が抜けても、不条理に従い続ける日本国民

《「大企業優遇政策」へと舵を切った安倍晋三と自民党政権》

自民党と大企業の癒着とその影響

自民党への政治献金の実態
2023年12月、自民党の裏金問題が社会を揺るがす中、経団連の十倉雅和会長は、経団連が毎年自民党に約24億円の献金を続けていることを「民主主義維持のための社会貢献」と正当化した。しかし、この献金の実態は、自民党に対する大企業の利益誘導の一環であった。例えば、三菱重工業は3年間で約1億円を献金し、防衛政策の転換による大規模な兵器受注という形で見返りを得ていた。

政治献金と政策決定の不透明な関係
自動車業界は自民党に約17億円を献金し、1兆4000億円の減税措置という利益を得た。同様に、他の業界でも高額な政治献金を通じて、自民党の政策に影響を及ぼしていた。これらの献金は形式的には「適切」とされたが、実質的には大企業と政府の利害関係を明示するものであった。

マイナ保険証推進の背後に潜む利益構造
政府が推進するマイナ保険証は、その運用開始直後から多くのトラブルが発生していた。医療現場では読み取りエラーや資格情報の不一致が頻発し、患者に負担を強いる事態が続いていた。それにもかかわらず、政府はシステム導入を強行し、その背景にはNTTや富士通など、自民党に多額の献金を行ってきた企業が事業を受注している構図があった。

健康保険証廃止をめぐる不透明な議論
健康保険証廃止に関する政策決定過程では、公文書管理法に基づく記録が作成されていなかった。河野デジタル大臣やデジタル庁は「議論は口頭で行われた」と説明したが、これは法的義務を無視したものであった。この政策が国民の利益よりも企業の利益を優先している疑惑が強まった。

大企業と政府の相互依存の危険性
マイナ保険証や健康保険証廃止の政策には、大企業の利権が深く関与していた。経団連や経済同友会の幹部は、政府の政策に直接的な影響力を行使し、その過程で国民の命や健康に関わるシステムの不備が放置されていた。この状況は、民主主義の基本である透明性と説明責任を大きく損ねるものであった。

《自民党政権が進める軍備増強は本当に「国民を守るため」なのか》

能登半島地震と被災地への冷淡な対応

甚大な被害を受けた能登半島地震
2024年1月1日、石川県能登半島で最大震度7、マグニチュード7.6の地震が発生した。輪島市や珠洲市などで家屋の倒壊、津波、火災が発生し、死者401人、行方不明者3人、重傷者359人、軽傷者977人に及ぶ被害が確認された。住宅被害は全壊6,421棟、半壊22,823棟、一部損壊10万棟を超えた。半年が経過した時点でも、上下水道の断水などで日常生活が困難な地域が多数存在していた。

被災地での復興の遅れ
地震から半年後、輪島市の朝市通りでは焼け残った車や骨組みだけの建物が放置されており、仮設住宅に住む被災者は復興の遅れに不満を抱いていた。NHKや東京新聞は、8か月が経過した時点でも被災直後と変わらない状況を報じ、多くの被災者が自宅に戻れず苦しい生活を強いられている現実を伝えた。

子どもたちの切実な訴え
「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が行ったアンケートでは、被災した子どもたちから政府への感謝の声とともに、「復興の遅さ」「見捨てられたような状況」への不満が多く寄せられた。「仮設住宅に住めない人々への支援不足」や「復興の進捗の透明性」を訴える声も目立ち、子どもたちが不安や失望を抱えたままの生活を送っていることが明らかになった。

軍備増強と被災地対応の落差
同時期、自民党政権は防衛費を大幅に増額し、5年間で43兆円、実際には60兆円近くに達する予算を計上していた。多額の防衛費が軍需産業に流れる一方で、被災地への復興支援には十分なリソースが割かれず、政府が「国民の命を守る」という説明に欺瞞的な側面があると指摘された。

軍備優先の政策と国民の命
防衛省は2025年度の予算要求で過去最大の8兆円を計上し、長距離ミサイルや人工衛星システムの導入を進めた。一方、能登半島地震の被災地では、基本的な生活インフラの復旧すら進まない状況が続いていた。この対照的な政策は、自民党政権が「戦争への備え」に執着し、国民の日常的な命や暮らしに関わる問題を軽視していることを象徴していた。

政府の基本責任への疑問
政府は外国からの軍事的脅威への対応に熱心である一方、地震や感染症、物価高騰といった日常的なリスクへの対応は消極的であった。能登半島地震への対応を通じて、「国民の命を守る」という言葉が戦争準備に偏ったものであり、日常的な課題に向き合う姿勢が欠如している現実が浮き彫りになった。

《人を粗末にする政府と、それに慣れてしまった国民》

震災復興より大阪・関西万博を優先する政府

万博開催決定と低い支持率
2025年の大阪・関西万博は、2015年に招致活動が本格化し、2018年に開催が決定した。しかし、建設費の高騰や準備不足により、国民の支持は低く、2023年の世論調査では68.6%が「不要」と回答していた。当初の建設費1,250億円は資材価格高騰などで2,350億円に倍増し、総費用は3,187億円に達した。

震災復興との対立を避ける発言
能登半島地震発生からわずか8日後、経団連会長であり万博協会会長の十倉雅和氏は記者会見で、「万博も復興も両方やる」と発言した。復興資材や人手不足の懸念について問われたが、具体的な対応策を示さず、被災地復興への影響を否定した。

建設業界の逼迫と事故の発生
建設業界ではセメントやケーブルの供給不足が生じ、工期の遅れが問題となっていた。さらに2024年3月、万博会場敷地内でメタンガス爆発事故が発生したが、工事は中断されなかった。政府や経団連の強硬な姿勢は、万博開催を優先する一方で震災復興を軽視するものだった。

労働環境への配慮の欠如
自民党の万博推進本部では、労働者の時間外労働規制を超法規的に緩和する提案が議論された。これは、労働者の命より万博開催を優先する姿勢を示すものであった。「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマとは裏腹に、準備過程で労働環境が軽視された。

物価高騰と政府の失策

物価高と企業利益の対比
2024年9月、食品の値上げが1,300品目を超え、消費者への負担が増加した。同時に、国内企業の経常利益が過去最高の35兆円を記録し、内部留保も600兆円を超えた。大企業の利益拡大と対照的に、実質賃金は26カ月連続で減少していた。

「節約志向」と政府の責任回避
NHKは物価高を「値上げ時代」として取り上げ、節約と健康維持の工夫を国民に呼びかけた。一方で、政府の政策の欠陥や責任については指摘されず、国民に「我慢と工夫」を強いる姿勢が戦時中を思わせた。

大企業優遇と労働者の犠牲

労働分配率の低下とストライキの減少
大企業の労働分配率は過去最低を記録し、労働者への還元が縮小していた。一方で、ストライキ件数は1970年代と比較して大幅に減少し、労働者が権利を主張しない従順な社会となっていた。

ストライキの希少性と例外的事例
2023年、そごう・西武の労働組合が大規模なストライキを実施したが、これは例外的な事例であり、多くの労働者は経営者に対して声を上げることを避ける状況にあった。

総括としての政府の無策
自民党政権は大企業からの献金や利益を優先し、物価高や震災復興といった国民生活の問題を軽視した。これにより、国民の命と暮らしを守る責任感が大きく欠如している現実が明らかになった。

《日本人の心にいつまでもまとわり付く「あきらめと服従への誘惑」》

封建的な服従心理の起源

戦後の価値観の転換と教育の指針
第二次世界大戦の敗戦後、日本はGHQの占領下で大日本帝国から民主主義国家へと価値観を転換した。戦前の日本では、天皇を中心とした国家体制が主体であり、国民は「従僕」として国家に奉仕し、命を差し出すことが美徳とされた。一方、戦後の日本では国民が主体となり、政府は国民の命と暮らしを守る役割を負うと憲法で定められた。

1946年から1947年にかけて文部省が発行した『新教育指針』では、日本人の封建的な性質として、「権威による服従の強制」「批判的思考の欠如」「官尊民卑」の風潮を指摘した。これらは政治や教育の場において、人間性を抑圧し、個性を無視する傾向を助長してきた。

封建的価値観の教育とその弊害
『新教育指針』では、封建的な価値観が教師と生徒の関係にも影響を与え、画一的な教育が生徒の個性を伸ばさず、人間性を歪めてきたと指摘された。また、教師が権威をもって生徒を支配する構図が生徒の人格を損なう要因となっていた。

戦前の自国優越思想と差別意識

優越思想による反抗の抑制
戦前の日本では、「日本は世界で最も優れた国であり、日本人は他国民よりも優越した存在」とする思想が広められた。この優越感は国民を麻痺させ、政府への反抗を封じる役割を果たした。同時に、アジア諸国に対する差別意識を根付かせ、日本の植民地支配を正当化する論理となった。

植民地政策と傲慢な態度
日本は台湾や朝鮮を「近代化」したと主張し、植民地支配を正当化してきた。また、東南アジア侵略時には「植民地解放」を掲げたが、実際には現地住民を差別し、天皇崇拝を強制するなど傲慢な態度を取っていた。これらの思想が日本軍の行動に反映され、住民への抑圧を正当化する結果となった。

市民革命への無関心

日本と市民革命の経験
「日本人が市民革命を成功させた経験がない」という主張は歴史的事実であるが、他国も最初の革命が成功するまでには経験がなかった。ロシアや韓国、フィリピンの事例が示すように、どの国も最初の革命を成功させるまでは同様であった。したがって、この主張は日本が今後も市民革命を起こせないと結論付ける理由にはならない。

農耕民族論の誤り
「日本人が革命を起こさないのは農耕民族だから」という説も誤解である。世界各地では農民が抗議運動を行う例が多く、日本人がそれを行わないのは文化や意識の問題であり、農耕民族であることとは無関係である。このような説は、変革を諦めさせるための錯覚に過ぎない。

公民意識の衰退

公民から臣民への回帰
戦後、日本人は「公民」としての意識を持つよう教育されてきたが、近年、その意識が薄れつつある。第二次安倍政権以降、大日本帝国時代の精神文化を継承する動きが見られ、「公民」から「臣民」への回帰が進んだ。この変化が、現在の日本社会での政治的腐敗や市民革命の不在につながっている可能性が高い。

教育と社会の責任
日本社会における「臣民」的な価値観の強化は、学校や企業、官庁での教育が大きく影響している。これにより、日本人は「公民」としての責任感を失い、政府や国家体制への批判意識を喪失している状況に陥っている。

《後世の日本人の目に「二〇二〇年代の日本」がどう映るか》

抗わなかった時代の疑問

戦前の日本人の服従と命の軽視

昭和初期の日本社会において、多くの国民が政府や軍部の暴走に抗わず、自身や家族の命を軽視した背景には、特異な精神文化があった。文部省が敗戦直後に発行した『新教育指針』では、大日本帝国時代の精神文化が当時の日本社会に色濃く残っていたことが記録されている。

教育においては、個性を無視し、学徒を同一の型にはめる全体主義的な訓練が行われた。この結果、学徒の能力は伸ばされず、敗戦による国力の衰退がこれを証明していた。指針では、個性の尊重が社会全体の調和と秩序を維持する鍵であるとされたが、戦前の指導者たちはこれを理解せず、全体主義的価値観で個性を抑圧したとされる。

全体主義社会の構造的欠陥

従順な国民と国家の暴走

個性を尊重せず、上位者の命令に盲従する体質は、国民が政府の暴走に歯止めをかけられない要因となった。大日本帝国時代には、国民の多くが「従順な人」として政府の判断に従い、それを疑う「自分の頭で考える人」は少数派だった。このため、政府の誤った政策により国全体が暴走し、国民自身がその加速装置となった。

当時の「臣民」としての国民意識は、戦争のような自滅的な行動に対して制止力を持たなかった。現代日本社会でも同様の状況が見られる中、過去の教訓を活かし同じ過ちを繰り返さない努力が求められている。

心理的負担からの逃避

主体性放棄の心理的要因

戦時下の国民が服従を選択した理由の一つに、「思考や行動の主体性を放棄することで得られる心理的な楽さ」が挙げられる。主体性を持つと、判断責任や葛藤が生じるが、上位者や集団に従うことでこれらの負担から解放される。さらに、誤った決定がもたらした結果についても、「自分は命令に従っただけ」と責任を回避する道を確保できるためである。

こうした心理的選択により、従順な態度を取った人々は離反者を攻撃し、秩序を乱す行動を抑え込もうとする姿勢を強めた。この心理的傾向が、集団の暴走を抑えるどころか助長する要因となった。

短期保身と長期的視点

保身の選択がもたらす危険

上位者や集団に従う選択は短期的には安全に思えるが、長期的には破滅を招く危険性が高い。指導者や集団が誤った方向に進んだ場合、早期にそこから離脱し安全な道を選ぶことが長期的な保身につながる。過去の歴史を参照し、冷静に全体の状況を見極める力が重要である。

市民としての責任

社会の変革を支える意識の重要性

市民一人一人が主体性を持ち、社会変革に責任を負うことが求められる。『新教育指針』では、命令に従うだけではなく、自ら考え判断し、個性を伸ばすことが国家や世界のためになると説かれていた。これは社会の健全な変革を支える重要な要素である。

現代社会においても、短期的な安定にとらわれず、未来の世代のために現状を改善する努力を続ける必要がある。社会を変えるには時間がかかるが、根気強い市民の批判と行動が、長期的な変革を実現する原動力となる。

おわりに

未来に託す責任

「社会の自浄能力」を失った日本
日本社会における政治の腐敗や堕落を止められなくなった理由として、国民の「自分は従う立場」という意識が挙げられる。この従属意識は教育現場や家庭で子ども時代から刷り込まれ、大人になっても上位者に従うことを当たり前とする価値観を形成していた。これにより、社会で起こる問題や欠陥を指摘する能力や批判的思考が育たず、結果として社会全体の自浄作用が機能しなくなった。

従属意識が招いた社会の停滞
批判的思考は、問題の所在を指摘し改善を促す重要な手段である。しかし、従属意識に囚われた社会では、批判を「秩序や調和を乱す行為」とみなす風潮が強まった。その結果、「文句を言うな」「現状を受け入れて従え」といった呼びかけが共感を集め、問題を改善する機会を失わせた。さらに、批判には必ず解決策を伴うべきという誤解も広まり、問題の指摘そのものが封じられる傾向が見られた。

批判封じと「偽の中立」
批判を無効化する方法として、「代案を出せ」という主張や、右派対左派などの単純な図式へのすり替えが利用されていた。また、政権与党の不正を批判する行為を左右の対立に還元し、「どちらにもつかない」という中道を装う姿勢も、実際には現状の問題を容認する立場にすぎなかった。これにより、社会全体が問題への無関心に陥り、自浄能力がさらに低下していった。

歴史資料としての役割
本書は、現代日本の社会や政治の問題構造を、50年後の未来の読者に伝えるための「歴史資料」として執筆された。資料価値を高めるため、政府の重要な決定や関連情報を詳細に記録した。これにより、未来の世代が現代の日本社会を振り返り、自らの社会に活かせる教訓を得る助けとなることを目指している。

希望をつなぐための努力
「日本は終わった」と絶望することは、問題をさらに悪化させるだけである。社会の問題に対して、少しでも改善に向けた努力を続けることが、未来を照らす唯一の希望であると著者は述べた。現状に絶望せず、自ら行動を起こし、次世代により良い社会を渡す責任を果たすことが求められる。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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