「人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 」感想・ネタバレ

「人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 」感想・ネタバレ

どんな本?

『人間はどこまで家畜か――現代人の精神構造』は、精神科医の熊代亨 氏によって執筆された新書。
この本は「自己家畜化」という概念を探求している。
自己家畜化とは、人間が生み出した環境の中で、先祖より穏やかに・群れやすく進化していく現象を指す。

進化生物学の成果によれば、人間自身にも自己家畜化が起き、今日の繁栄の生物学的基盤となっている。
しかし、清潔な都市環境や健康管理、生産性の徹底など、「家畜人たれ」という文化的な圧力が強まる現代社会において、誰もが適応できるわけではありません。
このひずみは、発達障害や社交不安症といった形で表れている。
現代社会の未来について考えさせられる一冊。

読んだ本のタイトル

人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造
著者:熊代 亨 氏

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あらすじ・内容

精神科医が「自己家畜化」をキーワードに読み解く、現代の人間疎外

清潔な都市環境、健康と生産性の徹底した管理など、人間の「自己家畜化」を促す文化的な圧力がかつてなく強まる現代。だがそれは疎外をも生み出し、そのひずみはすでに「発達障害」や「社交不安症」といった形で表れている。この先に待つのはいかなる未来か?

人間はどこまで家畜か──現代人の精神構造

感想

本書では、現代社会における「自己家畜化」という現象に焦点を当てている。
この本は、人間が文化的な圧力の下でどのように進化してきたか、そしてその結果としてどのような心の問題が発生しているのかを探求している。

昔の人は野蛮だった。
口論の最中に

殴るし、、、

刃傷沙汰にする。

子供も大切にしないで大人と同じ扱いをしていたらしい。
それに反感を持つ自身は家畜化しているんだなと本書を読みながら実感。社会に無意識に適合していたんだな。
でも、野蛮になったら良いと言うわけではない。
いや、その反動が各国の暴力的な右傾化になってるのかもしれない。

序章では、動物園の動物たちと現代人の生活が類似している点を例に挙げ、人間もまた自己家畜化の過程を経ていることを示している。
これは、安全で管理された環境の中で生活することが、人間の行動や身体的特徴に変化をもたらしていると説明している。

第一章では、「自己家畜化」という概念がどのようにして人間の進化に関わってきたのかを詳述している。
特に、進化生物学の観点から、ギンギツネの家畜化実験を例に挙げて、人間においても類似の現象が起こり得ることを説明している。

第二章では、文化の変化がどのように自己家畜化を進行させたかについて考察している。
歴史的な文化の変遷を通じて、人間がどのようにしてより協力的で穏やかな社会を構築してきたのかを探る。

第三章では、現代社会における自己家畜化がもたらす問題を検討している。
特に、健康が義務化され、死生観が変わることで、人々が感じる疎外感やストレスが増加していることを指摘している。

第四章では、自己家畜化に適応できない人々、つまり現代社会の枠組みにはまらない人々が直面する問題を詳細に説明している。
精神疾患が増加している背景には、このような環境の変化が大きく関係しているとされる。

最後の章では、これからの未来にどのように対応していくべきかを考察している。
技術の進展や社会の変化が、人間の行動特性にどのような影響を与えるのか、そしてそれにどう適応していくべきかについての展望を示している。

あとがきでは、著者が現代社会における文化的自己家畜化の問題をどのように捉え、それに対してどのような解決策を提示しているのかをまとめている。
この書籍は、現代人が直面する精神的な問題の原因を探り、より良い未来を築くための指針を提供することを目指している。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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その他ノンフィクション6bf795f904f38536fef8a54f53a8a299 「人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 」感想・ネタバレ
Nonfiction

備忘録

序章 動物としての人間

動物園にいる動物たちは、外見や行動は野生のままでも、安全で健康な環境で暮らしており、人間の現代生活と似ていると考える人もいる。
かつて人間も野生で生活していたが、現代では法律や医療に守られた環境で暮らしている。
しかし、これにより人間は一定の自由を失い、教育や職業といった社会システムに縛られている。
また、動物園の動物と同様に、現代人も物質的には豊かでも、精神的には自由ではなく、社会や文化の速い変化に進化が追いついていない可能性がある。

この章の著者は精神科医であり、人間の生物学的な特性と社会・文化との関係に深い関心を持っている。
人間も動物として自己家畜化の過程を経ているとし、これが進化心理学により支持されている。
ただし、社会の変化に生物学的な進化が追いつかないことで、精神疾患が増加しており、現代社会はその矛盾に直面している。
本書では、生物学と人文社会科学の両視点から現代人の問題を探求している。

本書では、文化的で合理的な人間と、動物としての人間との関係、その進化について議論されている。
第一章では「自己家畜化」という進化現象に焦点を当て、進化生物学からこのトピックを解説する。
第二章では、人間の文化や感情が歴史的にどのように変化してきたかを探る。第三章では、文化や環境の進歩が人間にどのような影響を与えているかを考察する。
第四章では、精神医療を通じて現代人の社会適応の問題を検討し、最後の第五章では、進化と文化の交差点で未来をどのように捉えるかを展望する。
全体を通して、人間の生物学的な特性と社会・文化との兼ね合いがどのように進化しているかを探求し、理想的な未来像を提示しようとする。

第一章
自己家畜化とは何か
進化生物学の最前線

ホモ・サピエンスの進化に焦点を当て、「自己家畜化」という進化の現象を解説する。
進化とは「集団中の遺伝子頻度の時間的経過」と定義されており、特定の形質が自然選択や性選択により遺伝され、世代を超えて受け継がれていくプロセスを指す。
進化のスピードは生物によって異なり、人間の進化は他の生物と比べて進行がゆっくりであるため、現代では文化や環境の変化の方が速い。
自己家畜化の概念を説明するために、ソビエト連邦で行われたギンギツネの家畜化実験を例に挙げる。
この実験では、従順なギンギツネのみが繁殖を許され、数世代にわたり選択育種された結果、人間に慣れやすく従順なキツネへと進化した。
この進化は、行動上の特徴だけでなく、身体的特徴にも影響を及ぼし、家畜化症候群と呼ばれる一連の現象を引き起こした。
この章では、自己家畜化と家畜化症候群がどのように動物たちの進化に影響を与えているかを探求する。

人間の進化が文化を生み出し、その文化が進化に影響を与えることが、ジョセフ・ヘンリックの研究によって示されている。
ヘンリックは、「文化が人間を進化させた」という視点で、文化と進化の相互作用を説明している。
特に、農耕や酵素の進化、アルコールや乳糖分解酵素の遺伝的適応などが文化の影響を受けた進化の例として挙げられる。
また、ジェームズ・C・スコットは「反穀物の人類史」で、人間が穀物や動物と共生する文化を通じて自己家畜化が進んだと述べている。
さらに、火を利用する文化が食物摂取や社会構造に革命をもたらし、進化に寄与したことが指摘されている。
これらの文化的行為が、遺伝的な適応や進化を促進してきたと考えられている。

第二章
私たちはいつまで野蛮で、いつから文明的なのか
自己家畜化の歴史

昭和時代の日本は、現在の令和時代に比べ、暴力や迷惑行為に鈍感で、飲酒や喫煙が一般的であったとされる。
一方、令和時代の日本は、安全性が高く、自己家畜化の概念に適合するような穏やかな文化が特徴である。ただし、過去の日本も含め、時代や地域によって文化は大きく異なり、埼玉県川口市で起こったクルド人の病院への押し掛けるようなトラブルもあった。
このような文化の変遷は、アナール学派の研究や、ヨーロッパの歴史的文化変化の研究からも支持される。

有史以前の文化では、狩猟採集社会が主流で、その文化は現代人にとっては野蛮に感じられるかもしれない。
しかし、ピンカーの研究によると、狩猟採集社会は殺人や暴力が多く、近代よりもはるかに危険だった。
しかし、パプアニューギニアの例など、解決策としてのコミュニティベースの問題解決や協力関係も見られた。このように、文化は常に進化し、変化していると言える。

エリアスの『文明化の過程』において中上流階級に焦点を当てられている一方で、庶民の生活は別の歴史学者、ミュシャンブレッドによって『近代人の誕生』で詳述されている。
15世紀から16世紀の庶民は日常的に暴力に直面しており、居酒屋での小競り合いや村と村との間での争いが頻発していた。

この時代の庶民文化は、裁判所が十分に機能していなかったため、暴力によって自らの命や財産を守ることが求められた。

庶民の文明化は上流階級に比べ遅れをとっており、17世紀から18世紀にかけては、庶民の生活様式や振る舞いが軽蔑の対象とされるようになった。

また、ジェンダーに関する期待も存在し、男性は能動的であり、女性には受動性が求められていた。
男性の決闘は名誉を守るためのものであり、この慣習は第一次世界大戦の頃まで続いていたが、その後は法の遵守が求められるようになり、フェミニズムの影響で男性のジェンダーロールにも変化が見られるようになった。

中世から近代にかけては、ヨーロッパ社会で暴力が減少し、礼儀作法が広まり、社会が洗練されていった。
しかし、狩猟採集社会と比較すると、近代以前のホモ・サピエンスの文化はかなり荒々しいものであった。
ヨーロッパ社会の変化は技術の進歩や中央集権化、生活水準の向上とともに進んだものである。

狩猟採集社会から中世以降の文化に至るまでを概説している。ヘンリックによれば、文化が自己家畜化に影響を与え、人間の行動形質は協力的で模倣しやすい方向へ進化した。
しかし、アナール学派などの研究から見る過去の文化は、現代人から見れば非常に衝動的で危険だった。
中世以降も、人間の命には危険が常に付随し、社会の中で攻撃性を発揮する必要があった場面が数多く存在した。

アナール学派は、攻撃性や衝動性が重視される文化が礼儀作法を重んじる、穏やかで協力的なコミュニケーションを優先する文化へと変化していくプロセスを詳述している。
この変化は、ジェンダー、死生観、健康、子どもの概念の進化と並行している。
現代の文化が如何に変化したかを考えると、数百年は人間の歴史の中で短い期間に過ぎないが、その間に文化は大きく変貌した。
この変化は「文化的な自己家畜化」と呼べる現象であり、現代人をより長寿で、清潔で、合理的な方向へ導いている。
次章では、この進行中の文化の進展に焦点を当て、それが私たちにどのような影響を与えているかについて詳述する予定である。

第三章
内面化される家畜精神
人生はコスパか?

前章で紹介されたのは、中世以降に洗練された穏やかな文化である。
この章では、変化し続ける文化と環境の影響を受けている現代社会に焦点を当て、その文化的な自己家畜化がどのように進行しているかを確認する。
現代社会では、制度やメディア、都市の空間などが相互に関連しながら高度に発展し、私たちをより穏やかで安全、長寿にする方向へと促している。
しかし、文化や環境の変化が人間に与える影響は必ずしも恩恵ばかりではなく、健康が義務化される社会となっている。

生活の中で命のリスクが伴う時代から医療が発展し、健康リスクの管理が強化された現代に変化したことで、私たちの寿命や死生観に変化が生じている。
死にまつわる言動が医療化され、社会全体での長寿が強調される一方で、死を公に扱う文化が減少している。
このような現象は、死生観の変化だけでなく、文化全体の変化を反映している。

今後の文化の進展においても、私たちはより安全で健康に過ごすことが求められるが、その中で個々の自由や死生観がどのように形成されるかが問われている。
文化的な自己家畜化のメカニズムがどのように私たちの日常生活や価値観に影響を与えるかを理解することは、現代社会を生きる私たちにとって重要な課題となる。

日本は暴力が減少し、法が守られるようになり、お互いに危害や迷惑をかけることが少なくなった。
この変化は、功利主義の思想の浸透とそれを支える法制度、警察機構の強化によるものである。
社会契約と呼ばれる思想が、法に基づく個人の自由な活動を保証し、社会が法に治められることを前提としている。
しかし、社会契約の理想と現実にはギャップがあり、過去には決闘などが行われていたが、時間が経つにつれて法が整備され、暴力行為は減少した。

社会契約の徹底によって、私有財産の保護が強化され、個人間のやりとりも法に基づくものとなった。
これにより、社会の隙間が減少し、ホームレスなどの社会の隙間に生きる人々に対する対策も強化されている。
日本ではホームレスの数が減少しており、福祉政策により再雇用や保護が行われているが、これも社会契約の内側に彼らを回収し、統治を実現させるための政策である。
社会契約の思想が広まった背景には、資本主義の進展があり、個人の権利が守られることで経済活動が活発になった。

個人主義は社会契約や資本主義と共に、現代日本人の行動原理となっている。
戦後日本は徐々に集団主義から個人主義へとシフトしており、それに伴い核家族化が進行し、近年では単身世帯が増加している。
この個人主義の影響で、日本人は地縁や血縁に束縛されることが少なくなり、自由なライフスタイルが定着してきた。
また、勤務形態においても、年功序列や御恩と奉公の関係が薄れ、win-winの関係を期待する社会になっている。
しかし、この個人主義が進むことで、親や地域コミュニティから独立することが多くなり、子育ての際には寄る辺の無さを感じることがある。
従来は親以外の大人が子どもの育成に参加していたが、現代ではそのような関係が希薄になり、親の心理的負担や子どもの心理的成長に影響を与えている。

都市空間においては、個人主義や資本主義が具現化されており、社会契約が徹底されている。
東京のような都市は、社会契約を体現する空間として、私たちをその思想に従うように形成している。
しかし、これによって都市は人口学的には自立できず、常に外部からの人口補充が必要とされている。
都市の発展と共に、人間としての世代再生産が難しくなるという課題が浮かび上がっている。

思想は現代社会の基盤を形成し、私たちの生活に深く根ざしている。
21世紀の人々にとって、死のリスクを冒すライフスタイルは無謀に映り、健康と長寿の追求は合理的な行動とされる。
これは、未来を見据えて行動し、健康を維持することが資本主義や個人主義にとって重要であるためだ。
アリエスが言及した「飼い馴らされた死」という概念もこの流れを象徴しており、死生観が個人主義に適応的なものへと変化している。
その結果、自己家畜化された人間の行動特性は、文化や環境によってさらに形成され、現代社会の安全で長寿な文化の下で生活している。
この社会では、過去の衝動的で暴力的な行動は許されず、合理性が求められる。
この変化により、本来の人間の行動形質が文化的な自己家畜化によって上書きされている。
文化や環境に完全に適応できずに生きづらさを感じる人々も存在し、これが現代の精神医療の現場で顕著になっている。

第四章
「家畜」になれない者たち

前章で現代人を「真・家畜人」と称したが、文化や環境の進化に伴い、私たちが穏やかで安全に暮らしている一方で、その進歩についていけない人々が存在する。
たとえば、すぐに感情的になり手が出てしまう人は、現代社会の学校や職場、家庭で矯正を余儀なくされることが多い。
現代社会は快適で効率的だが、その一方で、個々人に対しても安全で長寿であることが求められる。
精神疾患と診断される人々や、現代の環境にすぐに適応することが期待される子どもたちに焦点を当てる。

精神医療の歴史を振り返ると、精神疾患の有病率は文化や環境の変化に強く影響されており、診断基準の変更などによっても左右される。
精神疾患の見方は時代と共に変わってきており、たとえばギリシア時代には現在の精神疾患と考えられる行動や状態も、病気とは見なされていなかった。
しかし、現代では新たな疾患概念が導入され、社会が進歩するにつれて新しい能力や行動が求められ、それが不十分な場合に精神疾患と認定されるようになる。
現代社会では、勤勉と効率を追求する倫理が強化され、その結果、精神疾患の有病率が先進国で特に高くなっていることが指摘されている。

精神疾患の診断の拡大の中で、特に注目されるようになった発達障害について議論されている。
発達障害は、社会や環境への適応が難しいとされる神経発達の先天的な特性を持つ疾患で、ADHD(注意欠如・多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム障害)が主要な病型である。
これらの疾患は、1990年代から21世紀にかけて、子どもだけでなく成人においても診断される対象が広がり、治療の対象にもなっている。
特にADHDは、20世紀後半にメチルフェニデートという精神刺激薬が治療薬として認可され、その後、広く治療に用いられるようになった。

日本でも、2000年頃はADHDの診断は主に典型的で重症度の高い子どもに限られていたが、10年も経たないうちにADHDはより広く認知されるようになり、行政や福祉の対応も充実していった。
ADHDやASDは、スペクトラム的な疾患概念であり、重症度の高い人から傾向の乏しい人までが連続的なものと見なされ、診断基準に当てはまりきらないグレーゾーンの人々も想定される。

学校や社会での発達障害の普及は、研究者や医療関係者の努力の成果とされ、教育改革の進展によって学校環境に適応できなくなっていく子どもたちを支援するための救済措置として発達障害の診断と治療が進んだ。
特別支援教育の実施は、昭和時代には普通学級にいただろう多くの障害特性を持つ子どもたちを対象にしており、少子化が進んでいるにもかかわらず、その対象となる子どもは増え続けている。
これは、より安全かつ効率的で、よりコンプライアンスに適った教室運営が行われるためには必要な措置とされている。

子どもたちがより管理されるようになった現代の学校環境について議論されている。
文科省の統計によれば、暴力行為やいじめの発生件数は時折増加しており、平成25年以降には特に小学生の暴力件数が急上昇しているが、警察庁の統計では校内暴力で検挙された人数は減少している。
これは、学校環境がより穏やかになり、暴力や逸脱に対する感受性が高まり、子どもたちの行動が厳密に管理されていることを示していると考えられる。

また、文科省が行う統計の方法の変更や暴力やいじめの定義の変更が、不連続なグラフを生んでいると指摘されている。
これにより、暴力行為やいじめの認識が変わり、かつては無視されがちだったそれらの行為が今では認識され、報告されるようになった。
結果として、子どもたちの行動が以前よりもさらに厳しく管理されるようになり、管理教育が推進されている。

このような変化は、子どもたちを保護し、より効率的で安全な教育環境を提供するという利点がある一方で、子どもが本来持つ野生的な特性を抑制し、文化的な自己家畜化に沿った行動を早期から要求することにもつながっている。
これは、特に発達障害の診断や特別支援教育の対象者が増えている現状に反映されている。
これらの動向は、子どもの人権が保護される一方で、社会の期待に沿わない子どもが排除される可能性もはらんでいるため、批判的に見る必要がある。

精神科医として自身も社会の変化に適応するのが難しいと感じている人物が、日本の精神医療の現状を述べている。
日本は医療や福祉が充実しており、精神科病床数が多く、患者の長期入院が問題となっている。
患者が退院できるかは、精神症状だけでなく、社会との摩擦や攻撃性の有無によっても左右される。
日本における精神科患者の退院は、地域住民や家族、行政の反対によって難しい場合がある。
また、医療保護入院という制度があり、患者の自由と人権が制限されていると国内外から批判されているが、廃止には至っていない。
この背景には、患者の行動とその結果の責任が家族や社会に及ぶ日本特有の文化がある。
アメリカの例を引き合いに出しながら、個人の自由と社会の責任の違いを指摘している。
日本では、患者の自由が制限される一方で、社会全体が患者を保護する責任を負っていると述べている。

第五章
これからの生、これからの家畜人

ホモ・サピエンスが現在の繁栄を享受しているのは、生物学的な自己家畜化による行動形質が大きく影響している。
しかし、進化した文化や環境に適応できない人々が増え、医療や支援の対象となっている。
社会の進歩に伴う疎外や、人間が自然を利用してきたことによる問題が現れている。
著者は、実証主義の限界を指摘しながら、未来についての悲観的な予測を示す。
悲観的な未来予想では、日本の人口は減少し続け、生身の異性への関心が低下し、人口動態の停滞や高齢化が進む中で社会保障制度が縮小し、厚生労働省の管理が強化される。
一方、楽観的な未来では、技術の進展が生物学的問題を解決し、人間が制度化された労働ユニットとして再評価され、伝統的な家族制度が消滅し、人工的な生産と集団育児が進む。
最終的には、未来の形は私たちの行動と選択によって左右されると述べている。

未来の展望を考える際、精神科医としての著者が注目しているのはエンハンスメントとIoT化の進展である。
エンハンスメントとは、医学的技術を能力向上の手段として用いることであり、アメリカではアデロールのような精神刺激薬がエンハンスメントに使用されている例が見られる。
一方、IoT化はさまざまなものがインターネットに接続され、監視やデータ分析が行われるようになることを指す。
これらの進展は、新たな障害や不適応をもたらし、精神医療の対象が広がる可能性がある。

エンハンスメントが広く普及すれば、社会全体の生産性は向上するかもしれないが、個人間の競争はより激化し、社会適応のハードルが高まる可能性がある。
このような状況において、精神科医は、患者を治療するだけでなく、社会適応を包括的にメンテナンスし、コーディネートする役割を担うことになるだろう。

一方で、遺伝子編集に関する議論も重要である。
遺伝子編集は、病気の改善を含む形質を変化させる技術であり、遺伝子の介入が広がることにより、倫理的な問題や社会の受け入れ方が問われる。
遺伝子編集の技術が進むにつれて、それが日常的なものとなる未来も想像される。
その場合、遺伝子編集を受けさせないことが不道徳とみなされる可能性もある。

未来Bでは家庭の解体や集団的な子育てが議論されており、特にイスラエルのキブツで試みられた集団子育ての実験からは、子どもは親またはその代わりとなる養育者と過ごしたがるという結果が得られた。
核家族の形成過程が、プライバシーの内側で家族愛が育まれ、個人主義や資本主義が浸透した結果として描かれている。
また、核家族や婚姻制度が絶対的ではなくなり、より流動的な関係性への移行が進んでいる。
経済発展と家族観の移行のギャップが少子化を進行させており、最終的には配偶や子育てが社会的なものとなることが示唆されている。

集団的な子育てや家族観の変化は、社会契約や資本主義と密接に関連しており、個人主義の進展とともに家庭内の役割が変化している。
教育や福祉による介入が増える中で、家庭が社会契約から孤立する最後の共同体となりつつあり、家庭内の問題が法治によって対処される場合もある。
これからの家庭は、IoT化による監視と介入が一層促され、従来の家族愛が成立しにくくなる可能性がある。

進化の過程で「自己家畜化」を遂げてきた人間と、現代社会の「文化的な自己家畜化」との間にあるギャップに焦点を当て、新たな不適応を生み出している現状を批判している。
文化に服従するだけでなく、生物としての人間の性質を考慮した社会の必要性を訴えている。
特に、現代の社会構造が男性ブルジョワ的キャリアを暗黙の前提とし、女性の生物学的特徴を考慮していない点を指摘している。
文化的な進歩は必要だが、それが人間の生物学的側面を無視してはならないと主張し、真に人間にやさしい社会への転換を求めている。
この変化を推進するには、人間の生物学的特性を尊重し、それに適応する文化と環境を創出することが重要であると述べている。

あとがき
人間の未来を思う、未来を取り戻す

本書において、著者は現代社会における文化的進歩と、それに対応するための人間の生物学的な自己家畜化との間に生じるギャップを問題視している。
人間が文化によって進歩し、豊かな暮らしを実現してきた一方で、その文化のスピードが生物学的な自己家畜化をはるかに上回っており、それが恩恵であると同時に疎外も生み出していると指摘している。
本書は、医学的・進化生物学的な視点から、文化的な自己家畜化の問題を新たに論じており、既存の自己家畜化に関する書籍と異なるアプローチをとっている。
また、著者はサイバースペースやメタバースが人間の身体性を無視する方向に進むことに対して懸念を示し、未来をより人間らしく、身体性を顧みたものにするべきだと主張している。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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