小説「准教授・高槻彰良の推察 EX3」感想・ネタバレ

小説「准教授・高槻彰良の推察 EX3」感想・ネタバレ

どんな本?

『准教授・高槻彰良の推察EX3』は、澤村御影氏によるミステリー小説である。本作は、怪異と民俗学を専門とする准教授・高槻彰良と、その助手である大学生・深町尚哉が、不可解な事件に挑むシリーズの一冊である。

主要キャラクター
• 高槻彰良:民俗学を専門とする准教授。怪異に関する深い知識と洞察力を持ち、数々の謎を解明してきた。
• 深町尚哉:高槻の助手を務める大学生。人の嘘を見抜く特異な能力を持ち、その力を活かして高槻と共に事件を解決している。

物語の特徴

本シリーズは、民俗学や怪異に関する深い知識と、現代の事件を巧みに絡めたストーリー展開が特徴である。高槻と尚哉のバディ関係や、各エピソードで描かれる人間ドラマも魅力の一つである。

出版情報
• 出版社:KADOKAWA
• 発売日:2025年3月25日
• ISBN:978-4-04-111234-5

読んだ本のタイトル

准教授・高槻彰良の推察EX3
著者:澤村 御影 氏
イラスト:鈴木 次郎  氏

gifbanner?sid=3589474&pid=889458714 小説「准教授・高槻彰良の推察 EX3」感想・ネタバレBookliveで購入gifbanner?sid=3589474&pid=889059394 小説「准教授・高槻彰良の推察 EX3」感想・ネタバレBOOK☆WALKERで購入gifbanner?sid=3589474&pid=890540720 小説「准教授・高槻彰良の推察 EX3」感想・ネタバレ

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あらすじ・内容

高槻ファミリーの大切な「思い出」と、推しキャラエピソード満載の番外編!
ゼミ合宿の写真を見ながら、
尚哉は写真にまつわる高槻の講義と、
ある絵についての依頼を思い出す。
それは女子校の美術部にある絵で、
「絵から抜けだした女を見ると呪われる」らしい。
高槻は早速調査に向かうと言い出すが……。
ほか、ゼミ合宿の裏側で起きていた、沙絵、そして難波のお話や、
イギリス時代の渉と高槻の
「妖精が入っている箱」についての切ない秘密、
佐々倉の誕生日祝いなど、
謎と思い出がいっぱいの番外編!

准教授・高槻彰良の推察EX3

主な出来事

記憶と怪異の交差する日常

写真と怪異の文化的背景

  • 尚哉はゼミ合宿から帰宅し、自分が写っていない写真に違和感を覚えた。
    • 過去の心霊写真の記録を通じて、写真と怪異の関係性に興味を抱いた。
  • 高槻は講義で心霊写真の歴史を語り、文化的背景と人間心理の交錯を示した。
    • 江戸末期の迷信や海外の事例を通じて、記録と記憶の価値を描き出した。

女子校の怪談と真相調査

  • 高槻は後藤から依頼を受け、美術準備室にまつわる怪談の調査を開始した。
    • 尚哉と共に女子校を訪れ、「キョウコさんの絵」に関する噂の核心に迫った。
  • 部員たちは怪談を意図的に創作し、ヌードデッサンの秘密を隠していた。
    • 白鳥校長もかつてのモデルであり、絵に刻まれた想い出を再確認した。

八百比丘尼伝説と現代の生き様

  • 沙絵は不老不死の体を持ち、八百年を超えて生き続けていた。
    • 人との絆を大切にしながら、カラオケ店での日常を享受していた。
  • 親しくなった「よっちゃん」が失踪し、沙絵は異捜に協力を要請した。
    • 自身の体を怪異に供物として捧げ、過去の恩に報いる選択をした。

ゼミ合宿と深町の距離感

  • 難波はゼミ合宿中に、深町の疲労や秘密に対する配慮を強めた。
    • 深町の能力や高槻の過去を知る中で、信頼関係が少しずつ深まった。
  • 青木ヶ原での怪異出現により、河合が失踪し、深町と高槻が行動を共にした。
    • 難波は後悔を抱えつつも、友の帰還を信じてホテルで待機した。

妖精の小箱に宿る家族の記憶

  • 渉はイギリスで穏やかな日々を過ごし、甥の彰良と過去を共有していた。
    • エディの家で「妖精の小箱」にまつわる出来事が発生し、住人らと調査に赴いた。
  • エディの息子・アルフレッドが現れ、遺品を探していたことが判明した。
    • 渉は彼を追放し、彰良と静かな夜を過ごした。
  • 小箱に託された願いは皮肉な形で叶えられ、家族の再会と別れが交錯した。

誕生日に宿る記憶と絆

  • 彰良と健司は互いの誕生日を大切にし、長年その習慣を続けてきた。
    • 幼少期の思い出やイギリスでの再会、成長の変化を共有した。
  • 彰良の背中には過去の事件による深い傷があり、それを健司は肯定した。
    • 変わらぬ友情がふたりの絆をより強く結びつけた。
  • 異捜の影が再び忍び寄る中、誕生日のサプライズが健司を包み込み、
    • 変化を受け入れる一歩として、守るべき日常が再確認された。

感想

多視点で描かれるゼミ合宿の裏側

  • 第一章は尚哉視点で展開され、写真という媒体を通じた怪異と文化の関係が語られた。心霊写真の来歴や迷信が丁寧に描かれ、後藤による女子校怪談の相談が導入部として作用していた。
    • 美術部に伝わる「キョウコさんの絵」の怪談は、怖さよりも人為的な秘密と願掛けの伝承が印象的であり、高槻の観察と推察によって幻想が現実にほどけていく過程が見事であった。
  • 第二章と第三章では、ゼミ合宿の同一時間軸を沙絵と難波の視点から再構成しており、本編11巻を別角度から補完する構成となっていた。
    • 沙絵の不老不死の過去や、よっちゃんとの交流、そして命を捧げる儀式の静かな決意には彼女の寂しさや人への感謝、罪の意識が、ほんの少し救われたように感じた。
    • 難波の視点では、深町との友情と信頼が揺れ動きながらも確かに存在することが描かれていた。合宿を通じてのやり取りに、優しさと切なさが同居していた。

過去と現在をつなぐ静かな時間

  • 第四章は渉の視点から、イギリスでの穏やかな時間が描かれていた。妖精の小箱にまつわるエピソードは幻想的でありながら、父子の傷や再会、そして叶わなかった願いが淡くも重く残っていた。
    • 彰良の無邪気な演技の裏にある孤独と、渉の優しいまなざしが静かな余韻を生み出しており、心を温かく包み込む章であった。

友情と成長を刻む誕生日の記憶

  • 第五章では、健司と彰良の誕生日を通じた絆の歴史が語られた。小学生の頃から始まった二人の関係が、イギリス、そして現在まで続いており、その積み重ねが深く心に残った。
    • 彰良の背中に残る傷や苦しみを、健司が否定せず受け入れる姿勢には強い感動があった。サプライズで祝われる誕生日は、変化を恐れる健司が一歩を踏み出す象徴ともなり、読後に静かな勇気をもたらしていた。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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備忘録

第一章  美術準備室の女

合宿からの帰還と日常への回帰

尚哉はゼミ合宿から帰宅し、こもった空気の部屋で一息ついていた。エアコンの涼風に体を預け、床に寝転ぶ彼のもとへ、難波から無事帰宅の連絡と写真が届いた。合宿中に撮影された多くの写真の中で、尚哉自身が写っているものは少なかった。彼は写真撮影を習慣としておらず、他のゼミ生とは違い、SNSの利用も限定的であった。

写真に対する個人的な距離感

尚哉は写真に映ることを好まず、自身の姿が残ることにも興味が薄かった。過去に高槻と共に訪れた鍾乳洞で撮影された唯一の記念写真も、写りが悪かったため削除するつもりだったが、結局残していた。高槻がその写真を求めた理由は不明であったが、単なる気まぐれか、心霊写真の検証目的であったと推察された。

講義で語られる写真文化の歴史

高槻の講義では、心霊写真の文化的背景が取り上げられた。江戸末期に日本へ導入された写真技術は当初、人々に畏怖の念を抱かせた。魂を吸い取られるという迷信が広がり、撮影時に手を隠したり、目線を外したりする行動が定着していった。

心霊写真の黎明と怪談の発展

幕末期の心霊写真の代表例として、女性たちが写る不可解な写真が紹介された。これらの写真には心霊的な意味が後付けされ、現代の怪談の起源となった。人形による身代わりや三人並びの迷信など、当時の人々がいかに写真に不安を抱いていたかが示されていた。

海外における心霊写真の流行とビジネス化

アメリカではマムラーという写真家が幽霊写真を商業化し、人気を博した。彼の写真はインチキであったとされるが、人々の霊への信仰や愛する者を失った悲しみにより、写真は精神的な救済の手段となった。霊を信じたいという感情が、写真の神秘性を高めた。

日本における心霊写真の実例と噂の生成

日本でも同様に心霊写真が話題となり、横浜の天徳院で撮影された写真には住職の背後に女性の影が写り、死者の姿として語られた。この写真に後日作り話が付加され、住職が悶死したと噂された。写真一枚により新たな怪談が形成され、都市伝説化していった。

戦後の写真文化と心霊写真の大衆化

戦後、写真の大衆化に伴い、心霊写真も身近な存在となった。雑誌やテレビ番組はそれを娯楽として取り上げ、霊能者による鑑定も行われた。人々の間に「心霊写真は怖いもの」という意識が定着し、供養やお祓いといった付随的な文化が醸成された。

現代における写真と怪異の関係性

写真がデジタル化されたことで、加工の自由度が増し、心霊写真の信憑性は低下したが、それでも人々の間に不思議なものへの興味は残り続けた。高槻は偶然性と錯覚、そして人々の無意識が写真に影響することを指摘し、真の怪異の可能性を肯定的に語った。

後藤の登場と新たな相談の発端

講義の終盤、高槻の知人である後藤が教室を訪れた。彼は以前に遊園地のお化け屋敷をプロデュースした人物であり、尚哉とも面識があった。今回の訪問は、新たな怪異に関する相談のためであった。

心霊写真をテーマとしたお化け屋敷の演出

後藤は現在、心霊写真をテーマにした新たなアトラクションを企画中であった。特殊インクを用いて写真が変化する演出や、スマホを用いた写真撮影体験を構想していた。尚哉はその試作品を見せられ、驚きはしたものの「怖さ」については疑問を呈した。

エンタメとしての恐怖と演出の工夫

後藤は、お化け屋敷が「楽しむための恐怖」であるべきことを強調した。リアルすぎる恐怖ではなく、驚きと安心のバランスが重要であり、体験型のエンタメとして成立するための工夫が必要とされた。

学生の記憶と怪異への姿勢

尚哉は自身が初めて訪れたお化け屋敷の体験を楽しかったと振り返った。後藤の演出は過剰な恐怖ではなく、観客の安全や体験を考慮したものであり、その誠実な姿勢は好感を持たれていた。

高槻の研究室と新たな依頼

講義後、高槻の研究室に案内された後藤は、心霊写真に関するさらなる相談を持ちかけた。学生から集まった写真の多くは錯覚や反射によるものであり、心霊現象とは断定できなかったが、人々の中に潜む怪異への興味は依然として根強いことが確認された。

次なる依頼と新展開の予兆

後藤は、友人が幽霊を見たという話を携えて現れた。高槻と尚哉にとって、それはまた新たな調査への幕開けとなる兆しであった。怪異への興味と真摯な探究心が交差し、次なる物語が静かに動き始めていた。

キョウコさんの絵

美術部に伝わる怪談の発端


後藤の高校時代の友人である木村は、美術教師として女子校に赴任した。顧問となった美術部は大人しい生徒ばかりで、活動も静かなものであった。だが部員たちは「金曜の放課後は美術準備室に来ないでほしい」と木村に告げ、「キョウコさんの絵」に関する怪談があることを明かした。その絵には、金曜の放課後になると中の女性が抜け出して歩くという噂があり、見ると呪われると信じられていた。

奇妙な体験と準備室の女

木村は忘れ物を取りに、美術準備室へ向かった。廊下側の扉は施錠され、鍵を使っても開かなかった。中を覗き込むと、長髪の女が見えたという。その後、美術部長に止められ、内側からつっかえ棒がされていたことを知った。だが木村は諦めず、美術室を経由して準備室へ入り、忘れ物を回収した際、件の絵を確認した。彼の見た女と絵の中の女性は酷似しており、木村は薄気味悪さを覚えた。

後藤から高槻への相談と調査の決定

この話を後藤から聞いた高槻は興味を抱き、調査を承諾した。尚哉も同行することとなり、関係者の協力のもと日曜日に女子校を訪問する運びとなった。校長の白鳥も迎えに現れ、高槻の知名度に驚きつつも、調査への同行を申し出た。

美術部員たちと絵の来歴

美術室では部員たちが熱心に制作を続けていた。「キョウコさんの絵」は代々の部長から語り継がれた存在であり、卒業生が友人をモデルに描いた未完成のヌード画とされていた。スケッチの模写によって美大に合格できると信じられ、合格後は感謝の印として背景に一筆加える慣習が存在していた。

絵の実物とその特徴

準備室には確かにその絵が保管されており、少女のヌードが繊細に描かれていた。背景は未完成で、一部はリムーバーで消された形跡があった。部員たちの加筆も確認されたが、作者がなぜ絵を置いていったのかは不明であった。

怪談の疑義と岡野の動揺

高槻が質問を重ねるうち、部長の岡野は一部の発言で声を歪ませ、尚哉の嘘感知能力がそれを察知した。「金曜の放課後に限り歩く」という話は作り話の可能性があり、呪いの件も事実ではなかった。怪談は意図的に創作されたものである疑念が強まり、高槻もその矛盾を把握した。

白鳥校長の反応と絵への反応

白鳥は当初絵を知らないと述べたが、「キョウコさんの絵」という名を出されると声が歪んだ。明らかに嘘をついた反応を尚哉が感知し、高槻もそれを察知した。準備室で絵と対面した白鳥は、動揺を隠せず見入っていた。その様子は、まるで過去の記憶を刺激されているようでもあり、彼女がこの絵に何らかの関係を持っていることを示唆していた。

調査の核心へ

高槻は美術室と準備室の構造、活動服の違い、部員たちの習慣などを細かく観察し、調査の核心へ迫った。部員たちの言動、噂の裏付け、絵の描写や部屋の物理的特徴から、「キョウコさんの絵」の真相は怪異ではなく、人為的な創作である可能性が濃厚となった。

『キョウコさんの絵』の真相

放課後の再訪と準備室の対面

高槻と尚哉は金曜の放課後、再び女子校を訪れた。部活動の音が響く中、美術室周辺だけは静けさに包まれていた。美術準備室の扉をノックすると、中から音が返り、やがて戸が開いた。現れたのはジャージ姿の岡野で、室内には八人の部員が集まっていた。だが椅子は七脚しかなく、一つだけが『キョウコさんの絵』の前に置かれていた。

怪談の真相とウィッグの正体

高槻の問いかけにより、部員たちは絵にまつわる怪談が作り話だったことを認めた。絵の前のモデルは交代制で、ロングヘアのウィッグを着けていた。ヌードデッサンのモデルを務める際、自分自身を隠すために用いたものであった。ジャージを使うことで着替えを早め、準備室を内側から封鎖して秘密裏に活動していたのである。

絵の発見と願掛けの起源

『キョウコさんの絵』は校舎の建て替え時に発掘されたものであり、誰が描いたのかは長年不明だった。その見事な出来栄えにより、残すことが決定され、以後は模写の対象となった。やがて美大合格の願掛けとして背景に一筆加える風習が生まれ、部員たちの中で自然に語り継がれていった。

ヌードデッサンの動機と秘密の共有

模写だけでは限界があると感じた部員たちは、交代でモデルを務めることを決断した。しかし、男性教師に裸を見せることへの抵抗から木村には真実を明かせず、彼を締め出す口実として怪談を創作した。前任の女性顧問には事情を伝えていたが、彼女の退職により情報の断絶が生じた。

白鳥校長との対話と真実の告白

高槻は校長の白鳥が絵に関係していると推察し、彼女に問いかけた。絵を見たことがないという過去の返答や、幽霊の噂への否定から、高槻は白鳥が元・美術部員であり、モデルであると確信していた。追及により白鳥は自身がモデルであったことを認め、沢渡という美術教師との過去を語り始めた。

絵に込められた思いと消された印

白鳥は高校時代、教師の沢渡に恋をしていた。沢渡は彼女を何度もデッサンし、最後に油絵として描いた。白鳥はその背景に二人のイニシャルを落書きしたが、沢渡はそれを図案化し、後にリムーバーで消した。学校側に発覚し、沢渡は退職となり、絵も全て処分されたかに見えたが、一枚だけ残されていた。

遺された絵と沈黙の思い出

卒業式の日、白鳥はこっそり準備室に入り、絵が残されていたことに気づいた。背景のイニシャルは消されていたが、描かれた自分の表情は鮮明に残されていた。白鳥はその絵を隠し、卒業とともに別れを告げた。その後も教師として生き、母校へ校長として戻ったが、あの絵を見ることはなかった。

高槻の推察と絵に込められた意図

高槻は、沢渡がイニシャルを消したのは白鳥を守るためであり、絵を残したのは再会を信じたからだと語った。裏に小さく記された「キョウコへ」の文字が、絵が思い出として描かれたものである証であった。沢渡にとっても、白鳥との記憶は芸術ではなく、心に残る思い出だったのである。

涙の再訪と新たな継承

白鳥は涙ながらに過去を語り、沢渡との記憶を再び思い出した。『キョウコさんの絵』の怪談は終わったが、願掛けの文化は続く。思いを込めた一筆が重ねられ、絵は新たな記憶を紡いでいく。高槻はそれを「素敵なこと」と評し、過去を慈しむように締めくくった。

尚哉の記憶と静かな余韻

尚哉はその夜、難波から届いた写真の中に自分が写っているのを見つけた。半端に見切れた姿ではあったが、それもまた一つの思い出であると感じた。高槻がかつて語った「思い出をたくさん作れ」という言葉を思い出し、静かに微笑んだ。記録ではなく、記憶として残る時間の重なりが、尚哉にとっても大切なものとなっていた。 

第二章  山の向こう

八百比丘尼

一人カラオケと偶然の出会い


海野沙絵は一人カラオケを趣味とし、店員の和田佳典、通称「よっちゃん」と出会った。奇抜な歌唱と明るい性格で彼と親しくなり、やがて友人のような関係になっていった。沙絵はどこでも人と自然に仲良くなれる特性を持っていた。

急遽の人手不足とバイトの申し出

ある日、バイトの急な退職で困っていた店長に対し、沙絵は自らバイトに名乗り出た。経歴や身分はすべて偽りであったが、即採用となり働き始めた。よっちゃんは驚きながらも彼女を受け入れ、沙絵は即座に業務をこなして周囲を圧倒した。

経歴の真偽と裏の顔の告白

沙絵はさまざまなバイト経験を語り、裏カジノで働いていたことも明かした。それは真実であり、関西での生活の後に東京へ戻り、今の生活を送っていた。正体不明の彼女に対して、よっちゃんは疑念を抱きつつも好意を深めていった。

鏡の前の自己認識と長寿の秘密

沙絵はトイレの鏡に映る自身を見つめながら、人魚の肉を食べて不老不死になった過去を思い出していた。それは遥か昔、山村に住んでいた少女の頃の出来事であった。山越えした夫が持ち帰った肉を沙絵が食べてしまったことで、体に変化が起きた。

夫の体験と人魚の肉の由来

夫は山中で不思議な男に出会い、屋敷に招かれてもてなしを受けた。その屋敷で見たものは人と魚が混ざったような存在であった。恐怖に駆られた夫は肉を持ち帰り、村の長老に相談するつもりだったが、沙絵がそれを食べてしまったのである。

不老不死と夫の受容

夫は沙絵を責めず、むしろ傷の癒えた手を喜び、二人の愛は深まった。だが時は流れ、夫は年老いて世を去った。沙絵は年を取らず、死ぬこともなかった。村人たちは沙絵の異変を気にせず受け入れ、彼女はその後も何度も夫を持ち、看取ってきた。

寺での修行と旅立ち

七人目の夫を看取った後、沙絵は村を離れ寺に入り尼となった。だが髪がすぐに伸びてしまうなど、普通ではない体のために、やがて寺を出て諸国を巡るよう勧められた。彼女は仏教を学び、諸国を旅しながら人々に教えを説いてまわった。

還俗と放浪の継続

八百年が過ぎても死なぬ己に絶望した沙絵は、仏の道を離れた。人々は変わらず彼女に親切であったが、沙絵はそれが自らの力によるものではないかと疑念を抱いた。人の心を無意識に操る力があるのではないかという思いが、心に重くのしかかった。

自らの本性との対峙

過去に出会った人々の優しさすら、操られた結果ではないかと考えた沙絵は、人間としての自己像を喪失した。初めて自らが本当に「化け物」なのだと理解し、以後の生を受け入れることにした。死ねぬならば、生きるしかなかった。

現代での生活とよっちゃんとの関係

沙絵は現代に至るまで多くの職業を経験し、知識と技能を蓄えてきた。今ではカラオケ店でバイトをしながら、店長やよっちゃんに頼られ、親しまれていた。よっちゃんは沙絵に恋心を抱き、交際を申し込んだ。沙絵はそれを保留にしたが、彼の好意を可愛いと感じた。

人との絆と日常の継続

沙絵にとって、出会う人間は皆可愛く愛おしかった。人の心を操っている可能性があろうとも、今この瞬間に築かれた絆に嘘はない。人として生きることができなくても、人を愛することはできる──その思いと共に、沙絵はこれからも生きていく決意を固めていた。

冗談の恋とふとした予感

沙絵とよっちゃんは冗談交じりのやりとりを繰り返しながらも、食事やカラオケを共にする関係を育んでいた。よっちゃんの描いた作品を見た沙絵はその才能を素直に称賛し、互いの距離は少しずつ縮まっていった。ある日、沙絵が手相を見ると、旅先での不吉な出来事を感じ取った。彼女の直感が導いた言葉に対し、よっちゃんは冗談めかして魔除けのキスをした。

突然の失踪と異捜への依頼

やがてよっちゃんは突然バイトに来なくなり、連絡も絶たれた。沙絵は専門学校を訪ね、彼が富士五湖方面へ写真を撮りに出かけたことを知った。彼がSNSに投稿した写真には「竜宮洞穴」の文字があり、沙絵は過去の記憶から、その場所に危険な存在が棲んでいる可能性を思い出した。沙絵は異質事件捜査係に連絡を取り、調査を依頼した。

異捜の協力者たちとの対話

自由が丘の御崎禅のマンションで、沙絵は御崎・夏樹・山路と対面した。沙絵は過去に洞穴へ赴き、自身を“生贄”として差し出すことで人喰いの存在を一時的に沈めたことを語った。今回も同様の方法が最善と判断され、山路は再び沙絵に依頼を申し出た。御崎は反対したが、沙絵は自らの意志で引き受ける決意を固めた。

過去との対峙と決意の再確認

沙絵はよっちゃんの遺骨を見つけるため、今回の依頼を受けた。過去に沙絵自身が人間だった頃から、数多の優しさと愛情を受け取ってきたことを思い出し、それへの「お返し」として人間たちを守ることを選んだ。死ぬことのできぬ自分にとって、それができる唯一の恩返しであると信じていた。

人外の巣への再突入と再会

沙絵は佐々倉に送られ、洞穴に向かった。現地では偶然、高槻と深町にも出会ったが、彼らを儀式には立ち会わせないと判断し、単身で洞穴に入った。洞内では、再び青い光を放つ胞子が舞い、沙絵は誘われるように奥へ進んだ。そこには以前と同じ、人面樹のような怪異が巨大化して眠っていた。

儀式としての供物と再生の苦痛

沙絵は自らの肉体を怪異に捧げた。枝に引かれ、四肢をもぎ取られながらも、体は何度も再生を繰り返した。その行為は苦痛であっても、彼女にとっては当然の報いであった。過去に受け取ったすべての優しさに対する恩返しとして、沙絵は自らを怪異に食わせ続けた。

再生の朝と小さな証

やがて樹は満足して眠りに就き、沙絵は床に倒れたまま夜明けを迎えた。洞内に残された多くの骨の中に、彼女はよっちゃんのブレスレットを見つけた。それを拾い上げ、彼に向けて小さな想いを告げた。彼の骨は判別できなかったが、せめてブレスレットだけでも届けたいという思いが募った。

戻るべき場所と人への想い

全てを終え、沙絵はその場に座り込んで帰還を迷った。だが、夏樹と御崎の呼びかけにより、再び人のもとへ戻ることを選んだ。夏樹のジャケットに袖を通しながら、沙絵は人々が与えてくれる無償の優しさを実感し、それに報いるためにも生き続ける決意を新たにした。人間という存在は、どこまでも愛しく、かけがえのないものであった。

第三章  俺の友達の地味メガネくん 3

ゼミ合宿と深町の距離感

出発前の車内での会話と深町への疑問


難波ら高槻ゼミの三年男子は、ゼミ合宿に向けてレンタカーで出発した。途中、深町が同行しなかった理由や普段の言動が話題となった。彼が助手として高槻に付き添っていること、耳に特殊な能力を持っていることなどが断片的に語られ、難波は彼の過去や秘密を知っている数少ない人物として、深町の事情に配慮する姿勢を見せていた。

ドライブ中の発覚と福本の恋人騒動

車中ではインターンや大学院進学についての話題が交わされた。途中、福本に美人の彼女ができたことが発覚し、車内は大騒ぎとなった。驚きと羨望、嫉妬が交錯する中で、池内の運転が荒れながらも、彼らは無事ホテルに到着した。

合宿初日と深町との再会

現地集合組と合流し、難波は深町の疲れた様子に気づいた。冗談交じりに「この合宿はお前にかかっている」と語る深町の言葉に、難波は彼の抱える不安を感じ取った。霊感のない自分が「陽の気」で役に立つという深町の評価に対して、難波は彼を励ますように振る舞った。

部屋割りと深町の能力への配慮

ゼミ代表として女子の部屋割りを担当していた難波は、仲の悪い組み合わせを避けるため、深町に助言を求めた。その際、耳の力を利用したことに対して罪悪感を抱いたが、深町は気にする様子を見せず、むしろ「役に立つなら使えばいい」と言った。その言葉に難波は、深町の過去と向き合う姿勢を思い出し、彼の笑顔に安堵した。

高槻の秘密とゼミ合宿マニュアルの裏話

風呂場での会話の中で、深町は高槻が体に傷を持っており、大浴場に入れない事情を明かした。難波はそれ以上は聞かず、高槻の過去を尊重した。また、ゼミ合宿マニュアルにある「女子による男湯覗き注意」が実際に起きた事件に基づくものと判明し、二人は爆笑した。

青木ヶ原散策と怪異の出現

翌日の自由行動で高槻を中心に青木ヶ原を訪れたゼミ生たちは、竜宮洞穴の近くで異様な女の姿を目撃し騒然となった。深町と高槻は躊躇なく女に近づき、残された学生たちはその大胆な行動に驚いた。女は高槻と深町の知り合いで、過去にも登場した人物であった。

謎の人物と河合の異常行動

その場にはさらにスーツ姿の男も現れ、高槻と親しげに接した。また、ゼミ代表の河合が無言で二人のもとへ向かう様子に違和感が漂った。後に彼らは全員無事に戻ってきたが、その光景は一部の者に強い印象を残した。

二人の正体と深町の秘められた交友関係

ホテルへ戻る道中、難波はあの二人が誰かを深町に尋ねた。深町は男は刑事で高槻の幼馴染、女は高槻の知人と明かした。特に刑事は過去に大学祭にも顔を出していたという。難波はその関係の深さに驚いたが、それ以上詮索することを控えた。

深町との距離と信頼の線引き

難波は、深町との間に今もなお立ち入れない線が存在することを感じ取っていた。話してくれないことは、訊くべきではないという判断をし、深町が自ら話すときまで待つべきだと自分に言い聞かせた。彼はそれが、信頼を守るために必要な距離であると理解していた。

合宿最後の夜の出来事

夕食会場での沙絵の登場と深町の過去


ゼミ生たちはホテルのバイキング会場に集まり、夕食を楽しんでいた。そこには沙絵と刑事の姿もあった。沙絵は女子学生たちと打ち解けた様子で会話に花を咲かせ、高槻との私的な関係を仄めかすような発言で場を賑わせた。さらに、深町との関係を匂わせたことで、難波は過去の記憶を思い出した。沙絵が学食で深町に「はい、あーん」をしていた場面を目撃していたのである。

恋バナの追及と深町の困惑

難波たちは深町を囲んで、沙絵との関係を問い詰めた。深町は「ただの知り合い」と繰り返したが、誰も信じようとはしなかった。仲間たちは恋の話を聞きたがったが、深町の様子から事態が単純でないことを察し、やがて話題は自然に流れていった。その後、深町は沙絵と別のテーブルで向かい合っていたが、彼の表情は硬く、親密さより緊張を感じさせた。

沙絵との会話と不穏な忠告

会食後、難波は沙絵と廊下で遭遇し、彼女から「眼鏡くんのことをよろしくね」と念を押された。沙絵はその晩に「高槻、深町、河合をホテルから出さないように」と不穏な忠告を残し、詳細は明かさぬまま去っていった。難波はその真意を測りかねつつ、怪談会の準備を進めた。

怪談会と深町の不在

難波の呼びかけで怪談会が始まり、多くのゼミ生が参加した。だが会の途中で高槻が女子学生に呼び出され、直後に深町も部屋を出た。難波は一瞬同行を考えたが、イベントの進行と全体の管理を優先して残留した。その後、高槻も深町も戻ってこなかった。

河合の失踪と高槻の捜索

河合が姿を消したことが判明し、四年生の先輩から難波へ報告があった。高槻がホテルの外へ探しに行ったことを知らされ、難波は深町も同行していると察した。沙絵の忠告を守れなかった自責の念にかられつつ、難波はゼミ生の混乱を抑えるため、即座に解散を宣言した。

難波と江藤の逡巡と待機の選択

ロビーへ向かった難波と江藤は、外の闇に気圧され、ホテル内での待機を選んだ。暗闇に飛び込む勇気はなく、刑事に任せるのが最善と判断した。難波は深町にLINEを送信したが既読にはならず、ただひたすら彼の無事を祈った。

深夜の帰還と疲弊した深町の姿

深町がホテルへ戻ったのは深夜になってからであった。彼の顔は疲れ切っており、言葉少なにベッドへ向かった。難波は無理に話を聞かず、静かに彼を迎え入れた。風呂の提案にも深町は応じず、ただ布団に潜り込んだ。

静かな会話と絆の確認

眠れない様子の深町に、難波は語りかけ続けた。深町は「やなこと、あったかも」と小さな声で応えたが、詳細は語らなかった。難波は彼を繫ぎ止めるように、くだらない話題を続けた。その中で深町は、「大丈夫」と唐突に言葉を返した。

深町の笑いと確かな存在

深町はその後、「何でもない」と言って笑った。その顔は泣いているようにも見えた。難波は、ようやく彼がここにいることを確信し、安心した。二人は眠りにつき、ベッドの間にあった距離が、ようやく消えていった。難波は、これ以上の痛みや距離が戻らぬことを祈りながら、静かに目を閉じた。

第四章  妖精の小箱

妖精の小箱と家族の記憶

静かな午後と写真立てに宿る記憶

高槻渉は晴れたイギリスの午後、自宅で読書を楽しんでいた。ふと音に気づき、キャビネットへ向かうと、写真立てがずれていた。彼はその中からネス湖旅行時の写真を見つめ、共に写る甥・彰良との思い出を懐かしんだ。彼の暮らすアパートメントには多国籍の住人たちがおり、渉は彼らを家族のように思っていた。

古びた小箱と妖精の伝承

キャビネットの裏で、渉はかつてエディ・ベネットが所持していた革張りの小箱を見つけた。かつて彰良と共にエディの家を訪ねた際、エディはこの箱を「妖精の小箱」と語り、妖精が願いを叶えると述べた。彰良は興味津々に耳を傾け、鍵穴の向こうに妖精がいるという話に目を輝かせていた。

アンティークの持つ物語と愛着

渉は妖精の存在を信じてはいなかったが、古い品が持つ「物語」の大切さを彰良に説いた。過去の持ち主が込めた愛着や伝承が、品物に宿る価値となることを語り、彰良もそれに同意していた。一見平凡な小箱を選んだエディの真意に、彰良は何かを感じ取っていた。

再び語られた妖精の出現

ある夕食時、住人のエマがエディが「妖精が出た」と語っていたことを明かした。家の中の物の位置が変わり、騒音があったという。認知症の可能性も話題になったが、彰良は以前と変わらぬ様子のエディと接しており、心配はしていなかった。

エディへの招待と食卓での対話

彰良はエディを夕食に招き、手作りのチキン南蛮でもてなした。会話は穏やかに進み、エディは妖精がキャビネットを開けたと語った。住人たちは様々な可能性を指摘したが、証拠はなく、真相は分からなかった。彰良は、妖精に何を願ったかと問いかけたが、エディはそれを明かさなかった。

妖精を見に行く深夜の探訪

深夜、彰良に起こされた渉と住人たちは、エディの家の前で妖精の出現を待った。やがて玄関から男が出てきた。住人たちは男を取り押さえ、事情を訊こうとした。男は最初は怯えていたが、彰良に「エディの息子」だと見抜かれ、正体を明かした。

失われた家族と首飾りの回想

男の名はアルフレッドで、かつて家を勘当されたエディの息子であった。生活に困窮し、エディの家にあったはずのルビーとガーネットの首飾りを探していた。ヘレンの形見であるその首飾りは、すでに棺に納められ、墓に眠っていた。渉の説明に、アルフレッドは言葉を失い、ただ立ち尽くした。

渉の宣告と静かな別れ

渉は、警察には通報しない代わりに、二度とエディの前に姿を見せないよう言い放った。アルフレッドは言葉もなくその場を去り、その姿は闇に消えていった。誰も彼を追わず、ただ見送るだけであった。

妖精の姿と願いの残響

彰良はエディの家の玄関を見つめ、妖精は現れなかったと呟いた。だが彼のその言葉には、妖精が何を叶えたか、誰の願いが届いたのかを知っているような、静かな確信が滲んでいた。住人たちは帰路に就き、夜は静かに明けていった。

チェスと再訪、静かな午後の再会

渉はエマの焼いたアップルパイを手土産に、エディの家を一人で訪れた。いつものようにチェスを始めた二人は、静かに駒を動かしながら語り合った。妖精の出現はもうないと語るエディの言葉に、渉は安堵を覚えた。部屋のマントルピースには、小箱と家族三人が写った古い写真が飾られていた。

アルフレッドの痕跡と過去への自責

渉は、写真立てが倒れていた理由をアルフレッドの心理に重ねた。泥棒として実家に忍び込んだ自分を、過去の自分が見つめている構図に耐えられなかった可能性があると考えた。また、渉自身も実家を追われた過去を持ち、親の葬式にも出ない覚悟で生きている身であった。

エディの願いとチェスの敗北

チェスの最中、エディは彰良に伝えてほしい言葉があると切り出した。それは「わざと負けるのはやめろ」というものであった。彰良はすでにエディより強くなっており、無理に子供のふりをせずとも良いのだという思いがそこにあった。

演技の笑顔と深い孤独の気配

渉は、彰良の無邪気な振る舞いに演技の気配を感じていた。愛されるために必死で自らを演出している節があり、それは親に拒絶され家を失った子供ゆえの防衛でもあった。彰良の父が「彼が怖い」と語った過去も、渉の記憶に残っていた。

再び思い出される夜と妖精の願い

渉は、アルフレッドを捕らえたあの夜、彰良が何を見ていたのかを思い返した。エディに問いかけると、彼はチェスのキングを倒し、「負け」を宣言した。そして妖精の小箱を渉に譲った。エディのしかめ面の奥に、わずかな涙の気配があった。

小箱の受け渡しと穏やかな団欒

自宅へ戻った渉は、書斎で本を読む彰良に再会した。二匹の犬と共に並んで座る彰良は、小箱を見て喜んだ。エディがもう小箱を必要としなくなったことを悟り、願いが叶ったのだと感じ取った。二人と二匹は毛布の上に並び、静かな時間を過ごした。

願いの本質と皮肉な結末

渉は、小箱を手に入れた当時のエディを想像した。妖精の小箱という話に笑うことなく、それでも願いを託して買った姿に、真剣な思いを感じ取った。その願い──息子に会いたいという願い──は皮肉な形で叶えられ、息子は盗人として現れた。エディはそれを悟った上で、妖精のせいにしたのだと渉は理解した。

彰良への真実と小さな笑い

渉は、彰良がチェスでわざと負けていたことを指摘した。彰良はそれを認めつつ、残念賞の菓子が欲しかったと弁明した。渉はそれを冗談交じりにたしなめた後、勝負の大切さと、相手への敬意を伝えた。彰良は素直にそれを受け入れた。

歳月の経過と家族の変化

二十年が経ち、彰良は日本に戻って久しかった。アパートメントの住人も入れ替わり、それぞれの人生を歩んでいた。かつての仲間たちは連絡を取り続け、渉のもとを訪れることもあった。渉は今も新しい住人と交流を続けていた。

小箱の現在と残された思い出

妖精の小箱は、しばらく見えない場所にしまわれていたが、最近になって再び姿を現した。エディは彰良が帰国して二年ほどで病没し、小箱には二人分の思い出が詰まっていた。渉はその小箱を目につく場所に置くことにした。

知らせと不吉な予兆

スマホを探していた渉は、小箱から微かな音を聞いた。不思議に思いながらも、やがてソファの上に置かれたスマホを見つけた。着信相手は高槻智彰であった。電話の内容は、義父の訃報の知らせであり、渉は胸中に波紋を広げながらそれを受け止めた。再び、小箱からかすかな音が響いたような気がした。

第五章  誕生日を祝おう

誕生日の記憶と消えない呪い

誕生日の重要性と過去の思い出


彰良は深町の誕生日を正確に祝いたいと語り、過去にサプライズで祝いそびれたことを悔やんでいた。健司の誕生日も同様に祝おうとし、幼少期から誕生日を重視してきた姿勢を示していた。健司は自身の誕生日が夏休み最終日で、他人と違い祝う機会が限られていた記憶を思い出した。

小学生時代の二人の関係

小学生時代、彰良は毎年健司の家を訪れ、勉強の手助けをしつつ漫画を読むなど自由に過ごしていた。健司は彰良の勉強の教え方が上手で、教師に向いていると感じていた。二人は母親からの差し入れを挟みながら、休憩と勉強を繰り返していた。

彰良の失踪とその後の変化

小学六年で彰良が失踪した後、彼の母親は精神的に壊れ、息子を手放すことを拒むようになった。健司は彼の家を訪れるようになり、彰良は週刊誌や漫画を楽しむ時間を死守していた。しかし母親の束縛は強く、会話も噛み合わないことが多かった。

束縛の消失と再会の契機

母親が彰良の存在を認識しなくなったことで、束縛は緩み、中学三年の誕生日は健司の家で祝われた。卒業後、彰良はイギリスに渡り、健司はやがて招かれて渡英することになった。両親の理解と祖父の助言もあり、健司は初の海外旅行を決意した。

アパートメントでの歓迎と変わらぬ友情

空港での再会後、彰良とその叔父・渉の家で歓迎される。アパートメントの住人たちは陽気で、盛大な歓迎会が催された。健司は彰良がイギリスで幸せに暮らしていることを実感し、安心を覚えた。

日常の観光とサプライズの誕生日会

ロンドン市内を巡った観光の最終日、健司は突然の停電に見舞われ、アパート全体が静まり返る異常を経験する。しかし、それは住人たちが仕組んだサプライズ誕生日会であった。懐中電灯片手にリビングへ入ると、ろうそくの灯るケーキが待っており、明かりと共に皆が登場した。

過去と現在を繋ぐ誕生日の儀式

彰良はサプライズが成功したことを喜び、幼少期からの恒例行事を続けたかったと明かした。この日が最後になるかもしれないという想いから、直接祝いたかったと語った。二人は思い出を振り返りながら、布団を並べて夜を共に過ごした。

夜の語らいと英語学習の話題

会話は英語学習の方法に及び、彰良が辞書を丸暗記していたことなどが語られた。実用的な方法として、映画の字幕利用や読書の工夫が提案され、健司は努力を誓った。夜が更けるにつれ、懐かしい別荘での思い出も蘇っていった。

悪夢と背中に刻まれた傷

健司はうめき声で目を覚まし、彰良が苦しげに寝汗をかいていることに気づいた。彼を揺り起こすと、彰良は天狗になる夢を見たと語った。その背中には、かつての事件によって刻まれた深い傷が残っていた。

呪いとしての傷と友人の宣言

健司は彰良のシャツをめくり、傷痕を目にした。皮膚が引き剥がされたような痕は、彰良が背負い続ける呪いの象徴であった。彰良は見られたことを恥じて泣いたが、健司はそれを否定し、彰良は変わらず彰良であると断言した。

友情の再確認と誓いの言葉

健司は、彰良がどんな過去を背負っていても、自分にとっては変わらぬ友人だと伝えた。彰良はその言葉に涙を浮かべながらもうなずき、健司の隣で安堵の表情を浮かべた。二人の間には、子供時代から続く揺るぎない絆があった。

イギリス留学と成長の兆し

高校三年の健司は、模試の結果がB判定であったものの、交渉を重ねてイギリス行きの許可を得た。現地で再会した彰良は、この一年で十センチ以上身長が伸びており、精神的な解放が成長を促したことがうかがえた。その夏の誕生日も、前年と同じくアパートメントの住人たちに囲まれて祝われた。

帰国後の孤独とホームシック

彰良は大学進学と共に日本へ戻ったが、楽しかったイギリス生活との落差からホームシックに陥った。味覚障害を発症し、健司は彼の様子を頻繁に見に行った。以後、健司は過保護気味になり、彰良の家で食事を共にすることが増えた。

ホールケーキと誕生日の思い

ある晩、彰良は健司を家に呼び、ホールケーキを用意していた。健司は不審に思い、誰の誕生日かを問いただした結果、それがアーナヴのものであったと知った。彰良は遠く離れた旧友を祝うため、自らもその日にケーキを囲んだ。

誕生日祝いの習慣と積み重ねた時間

アパートメントの住人の誕生日にはホールケーキを用意する習慣が続き、健司もそれに毎回付き合った。健司の誕生日も彰良が毎年祝うようになり、やがて甘いものに代わってワインが供されるようになった。二人は大学・仕事の違いを超え、互いの誕生日を祝う関係を長く続けていた。

誕生日の意義と母の教え

誕生日は「その人がこの世にいてくれて嬉しい気持ちを伝える日」と彰良は語った。健司は、その考えが彰良の母から教えられたものであると知っていた。彼女はかつて、誕生日に息子を優しく祝福していた。だが今、彼女が彰良の誕生日に何を思っているか、健司は知ろうとしなかった。

今年の誕生日と深町の存在

今年も八月三十一日が近づき、彰良からは「深町と一緒にご馳走を作って待っている」との連絡が届いた。彰良は深町がいると料理に一層気合を入れるようで、健司もまた深町の細さが気になり、よく食べさせようとしていた。トレーニング後に食事を奢るなど、親心にも似た気持ちが芽生えていた。

不穏な再会と異捜の接触

仕事終わりの健司は、異質事件捜査係の山路と遭遇した。以前、健司が担当外の事件に関与し、問題視された件が不自然な形で鎮静化したことを思い出し、山路の関与を疑った。山路は今後の予定を抑えていると告げ、異捜との関わりが現実味を帯びてきた。

異捜の影と変化への拒絶感

健司は異捜が扱う「人ならざるもの」の存在を思い返し、自らがそれに立ち向かえるかどうかを考えた。過去に彰良を攫った存在が人でなければ、自分には何もできないかもしれないという無力感に苛まれた。にもかかわらず、自分の周囲は確実に変化しつつあった。

不安と焦燥、そして決意

退路を断たれたような焦燥の中、健司は彰良の家へ向かった。平穏な日常は壊れやすく、だからこそ守りたいと願ってきた。しかし、彰良も深町も、何かに突き動かされるように先へ進み始めていた。

サプライズと祝福の再確認

玄関の扉を開けると、彰良と深町がサプライズパーティーのクラッカーを鳴らして健司を迎えた。金銀の紙吹雪に包まれ、思わず立ち尽くす健司に、二人は笑顔で祝福の言葉を贈った。変化は望まぬものだったが、祝ってくれる相手が増えることは、悪くないと感じられた。

新たな誕生日と守るべき日常

クラッカーの音に厄落としの効果すら感じながら、健司は二人の頭を掴んで小さな怒声を発した。その様子を笑いながら受け入れる二人の姿に、健司は日常のかけがえなさを再確認し、新たな一年の始まりを感じていた。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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