「戦国小町苦労譚 10 逸を以て労を待つ」静子の元に養子が来る【感想・ネタバレ】

「戦国小町苦労譚 10 逸を以て労を待つ」静子の元に養子が来る【感想・ネタバレ】

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簡単な感想

戦闘最強の武田軍を戦で打ち破った織田軍。
天下はほぼ織田家の手中に入りそうだが、、

その弱点は女であるが織田家重臣の静子の立場。

それを解決するため静子の元に養子が来る。

どんな本?

戦国小町苦労譚は、夾竹桃氏によるライトノベル。
農業高校で学ぶ歴史好きな女子高生が戦国の時代へとタイムスリップし、織田信長の元で仕えるという展開が特徴。
元々は「小説家になろう」での連載がスタートし、後にアース・スターノベルから書籍としても登場。

その上、コミックアース・スターでも漫画の連載されている。

このシリーズは発行部数が200万部を突破している。

この作品は、主人公の静子が現代の知識や技術を用いて戦国時代の農業や内政を改革し、信長の天下統一を助けるという物語。
静子は信長の相談役として様々な問題に対処し、信長の家臣や他のタイムスリップ者と共に信長の無茶ブリに応える。

この物語には、歴史の事実や知識が散りばめられており、読者は戦国の時代の世界観を楽しむことができる。

戦国小町苦労譚

2016年に小説家になろうで、パクリ騒動があったらしいが、、、
利用規約違反、引用の問題だったらしい

読んだ本のタイトル

戦国小町苦労譚   10 逸を以て労を待つ
著者:#夾竹桃 氏
イラスト:#平沢下戸 氏

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あらすじ・内容

1573年師走——信玄亡き後、真田衆も静子のもとに落ち着き、織田家は情報戦も一歩先を歩むように。静子は賞与(ボーナス)や年越しの準備で大忙しだったが、屋敷中に「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」を徹底させ、気持ちの良い新年を迎えるのだった。新春、オリジナル暦を整えると、ついにカカオ豆を採取! ワインとチョコレート製造も着々と進む中……加賀一向宗攻めの一手に悩む光秀たちに静子が出した案とは?

戦国小町苦労譚 十、 逸を以て労を待つ

感想

織田包囲網は武田信玄を討ち取った事により瓦解。

その武田家の家臣、真田昌幸と武田家の諜報部門が待遇が良く諜報を評価する静子の元に大半が集まって来た。

コレにより武田家は情報収集する能力も失う。

 そして、四国ではスクリューを装備した九鬼水軍が長宗我部と一緒に四国を制圧一歩手前まで来た。

そのキッカケも武田軍壊滅。

ほぼ織田家が天下を手中にしそうになり。

更に裏切り者の常連、松永弾正は元上司で過去暗殺されそうになり未来にタイムスリップして、戦国時代に帰還した足満が脅したらアッサリと堕ちた。

そんな磐石な織田家の重臣静子。

もし婿を迎えたら静子の功績も財産も全て婿の物になるため結婚はダメ。

その解決策のために養子の元に2人の養子が来た!

織田信長の子供で双子の兄妹。

虐待されてたらしく、その心を癒す事から始まるが女の子は静子、男の子は慶次郎に懐く。

2人とも懐が大きいもんな・・・

男の子が静子の後継になるんだな、、

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備忘録

元亀四年室町幕府の終焉

千五百七十三年十二月中旬

真田衆の適応と間者の集結

真田昌幸ら真田衆は、尾張の環境に戸惑いながらも一か月と経たずに適応した。特に予想外の展開として、昌幸を頼りに武田家の間者たちが次々と出奔し、静子のもとへ集まった。これにより、武田家の情報網は機能不全に陥り、日々の連絡さえも困難となった。昌幸は彼らを自身の指揮下に再編し、新たな諜報組織を構築した。急造ゆえの情報の偏りこそあったが、人員配置が進めば安定すると判断されていた。

間者組織の再編と昌幸の評価

昌幸は既存の指揮系統を維持しつつ、自らを頂点に据え、監査機能を強化する形で間者組織を再編した。短期間での組織構築と情報収集能力の向上が評価され、信長からも称賛を受けた。織田家では、戦功だけでなく実務能力も重視されており、昌幸の働きは確実に評価されていった。かつての武功に頼らずとも、実績を積めば出世の道が開ける環境は、昌幸にとって理想的であった。

織田領の飢饉と信長の対応

冬が深まり十二月に入ると、織田領内で大規模な不作が判明した。特に畿内の穀倉地帯での収穫量が例年の六割程度に落ち込み、深刻な食糧不足が懸念された。このままでは民衆の飢えが一揆につながり、織田家の物流にも影響を及ぼす恐れがあった。信長は美濃や尾張の余剰米、さらには新たな支配地向けの備蓄米まで放出し、事態の収拾を図った。結果として畿内での騒動は回避されたが、軍事行動に充てる余裕は失われた。

農業改革と静子への負担

信長は支配地の統治強化に方針を転換し、家臣たちに検地や農業改革を推進させた。これに伴い、静子のもとには農業指導者の派遣や農機具の大量生産を求める要請が相次いだ。静子は可能な限り地元の商人を活用し、不足分のみを自身で手配したが、次々と寄せられる要求には辟易していた。彼女は内需拡大を目指していたが、急を要する状況では武将たちを待たせることも難しかった。

年末の褒賞と玄朗の出世

年の瀬が迫るなか、静子は家臣たちの屋敷を訪れ、冬の褒賞を配った。特に武功のあった玄朗は、信長から士分に取り立てられ、尾張楠木玄朗静興と名を改めた。彼は騎乗を許され、武家屋敷や調度品も与えられるなど、大きく待遇が向上した。静子は玄朗に対し、労をねぎらいつつ褒賞金を手渡し、彼の忠誠心を一層強固なものとした。

才蔵の鍛錬と槍術の工夫

静子は才蔵の鍛錬場を訪れ、彼にも褒賞を手渡した。才蔵は槍術の研鑽に励んでいたが、特に突きの精度向上に苦心していた。彼は槍を回転させることで軌道を安定させる技法に光明を見出し、新たな技術習得に意欲を燃やした。槍を用いた突きは、戦場だけでなく警護の場面でも有効であり、才蔵はより実戦的な動きを身につけることに努めた。

静子邸の管理と5Sの徹底

静子の新居では、整理整頓の徹底が進められ、屋敷内はすっきりとした印象を保っていた。彼女は5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)を徹底させ、家人たちに競わせる形で習慣化させた。その結果、作業効率が向上し、ミスや事故が激減した。静子は学習機会の平等を重視し、家人たちに読み書きの習得も奨励していた。屋敷の図書室では、侍女や小姓たちが積極的に書を読み、教養を深めていた。

上杉景勝との対話と書物の収集

静子は図書室を訪れ、そこで長尾喜平次(後の上杉景勝)と出会った。彼は静子の蔵書の豊富さを称賛し、特に南蛮の書物に関心を示した。静子はこれらの書を翻訳・管理する体制を整え、西洋の知識を日本に広める努力を続けていた。彼女の図書室は、僧院にも匹敵する蔵書量を誇り、学問を志す者にとって貴重な場となっていた。

静子の書籍収集と禁書の購入

静子は南蛮の書籍を積極的に収集し、禁書指定された書物までも買い取っていた。カトリック教会は禁書を処分しつつ資金を回収したい意向を持っており、その需要と供給が一致した形であった。これにより、彼女は西洋の知識を自由に収集し、管理できる立場を確立した。書籍は翻訳され、必要に応じて公開・管理され、静子の図書室は織田家の知的基盤の一翼を担う存在となった。

読書と年末の慌ただしさ

静子は図書室で本を借り、年末の準備に取り掛かった。家人たちは忙しく働いていたが、彼女自身は指示を出す立場となり、手持ち無沙汰になる場面もあった。足満との将棋勝負では苦戦しつつも、知的な対話を楽しみ、日常のひとときを過ごした。静子は今後の農業計画や書籍収集に思いを巡らせながら、新しい年に向けた準備を進めていった。

ワイン醸造の進捗と課題

静子は回り道をして虎太郎のワイン醸造蔵を訪れた。虎太郎は手探りながらワインの仕込みを進めており、甲州ぶどうを用いた赤ワインとロゼワインを試作していた。甲州ぶどうは酸味や甘みが控えめであり、西洋のワイン造りとは異なる条件下での醸造となった。彼はセニエ法を採用し、果皮を途中で取り除いてロゼワインを仕込んでいたが、熟成による香りの変化に不安を抱いていた。

ワインの製造工程

収穫されたぶどうは房から外され、洗浄を極力避けて酵母を保ったまま発酵工程に移された。小樽で一次発酵を行い、果皮や果肉を適宜取り除きながらワインを仕上げた。その後、二次発酵を経て熟成に入ると、澱引きを繰り返して純度を高める。ワインの味わいはぶどうの品種や樽の材質、熟成期間によって大きく左右され、慎重な管理が求められた。

ワインと市場の変化

ワインの販売について静子と虎太郎は意見を交わし、南蛮人への贈答品として活用する案も浮上した。一方、美濃と尾張の市場には信長の新貨幣が流入し始め、鐚銭の回収が進んでいた。市場では新たな銅貨が「円」と呼ばれ始め、混在しつつも流通が安定しつつあった。

私塾の設立

静子は新居の近くに私塾を建設し、教育の体系化を図った。従来は徒弟制度に依存していたが、学ぶ者が増えたことで個別指導が困難になり、教育機関としての整備が必要となった。百人未満の収容規模ながら、図書室や技術室、武道場などの設備を備えた。授業では基本的な読み書きと算盤による四則演算が必修とされ、生活技能や芸事も学ぶことが可能であった。

信忠の東国征伐計画

信忠は静子を訪れ、自らが東国征伐の総大将に任命されたことを誇らしげに語った。織田家は武田家との交渉に失敗し、戦の準備を進めていた。信忠は慎重な戦略を立て、城の配置や補給路、水源地の情報収集を優先した。徳川や上杉との連携を考慮しつつ、武田を討つ計画を練っていたが、静子は順調すぎる戦況に一抹の不安を覚えていた。

織田家の勢力拡大と内部抗争

織田家は長島一向衆や足利将軍家を次々と撃破し、反織田連合は瓦解しつつあった。巷では北条と毛利のみが対抗勢力と見なされる状況になり、織田家内部では天下統一後の権力争いが水面下で進行していた。静子はその争いには関与せず、各地の米の研究に没頭していた。

米の研究と酒造

静子は顕微鏡を用いて米の品種研究を進め、酒米の特性を調査していた。彼女は関西の米が酒造に適していることを確認し、特に伯耆大山付近に酒米の原種が存在すると推測した。酒米は精米歩合や心白の割合によって品質が左右され、酒造の成功には水質や発酵環境も重要であった。彼女は織田家の支配地域で酒米を栽培する可能性を探り、長期的な品種改良を視野に入れていた。

織田家内部の問題

静子の研究が進む一方で、織田家では権勢を背景に横暴な振る舞いをする者が増えつつあった。その中でも特に目に余る者は、鬼武蔵こと森長可によって折檻されていた。長可は身分に関係なく無法者を容赦なく叩き伏せ、織田の名を利用する者を徹底的に排除した。

織田家の未来と静子の立場

織田家は戦国の覇者として勢力を拡大し続けていたが、内部では新たな問題が浮上しつつあった。静子は政治的な争いから距離を置きつつも、教育や産業の発展に尽力し、支配体制の強化に貢献していた。彼女は米や酒造の研究を進めながら、織田家の今後を静観していた。

天正元年畿内の社会基盤整備

千五百七十四年一月上旬

新年の挨拶と信長のもとへの参賀

元日には信長のもとを訪れる者が前年の数倍に増え、用意された待合所も人で溢れていた。参賀の時間は厳しく制限され、訪問者は限られた言葉で信長に覚えてもらおうと工夫を凝らしていた。寒さに耐えながら長蛇の列を作る人々の姿が見られた。

静子の静かな正月

静子の邸宅も普段の喧騒とは異なり、家人たちが休暇を取ったことで静寂に包まれていた。囲炉裏で湯を沸かし、彩と共に美濃産の茶葉を使った茶を楽しんでいた。近年、静子と彩はそれぞれの役割で多忙を極め、二人だけで静かに過ごせるのは正月くらいであった。

思い出と変化への感慨

静子は過去を振り返り、かつては狭い部屋で仲間たちと笑い合っていたことを思い出した。今や身分も上がり、周囲に人が絶えずいる環境となっていた。そんな中でも彩は変わらず静子の側に仕えると誓い、静子はその言葉に感謝した。

正月行事の忙しさ

翌日からは通常の生活に戻り、新年の挨拶回りが始まった。信長と信忠への挨拶を終えた後も、静子の屋敷には訪問者が絶えなかった。さらに、所領の街へ出向いての挨拶も必要であり、正月の間は慌ただしく過ぎていった。ようやく一息つけるのは一月半ばであった。

正倉院への立ち入り許可

正月の慌ただしさが落ち着いたころ、静子は朝廷からの手紙を受け取った。それには、正倉院への立ち入り許可が記されていた。かつて越前の文物を保護した功績が認められ、文化の守護者としての役割を期待されたのであった。静子は慎重に準備を進めることを決意した。

柳生家の指南役就任と交渉の裏側

もう一通の手紙は足満からのもので、柳生家の剣術指南役の協力が得られるという内容であった。しかし、それは実質的に織田家からの強制的な要請であり、柳生家に拒否権はなかった。静子は柳生家の現状を考え、指南役として適任者を選ぶことに思案した。

信長の大方針と勅書の授与

静子は信長からの呼び出しを受け、岐阜城へ向かった。そこでは織田家の重臣が一堂に会し、重要な決定が下される場であった。信長は朝廷からの勅書を光秀と静子に渡し、芸事や職人の保護を命じた。これは形式上の命令であったが、信長は静子にその役割を担わせることを決定した。

加賀一向宗討伐の方針

信長は加賀一向宗の討伐を決定し、柴田勝家を総大将に任命した。戦略として、敵軍を挑発し、先に攻めさせることで大義を得る方針が示された。信長は柴田に独自の判断を求め、北陸の統治者としての資質を試す意図を持っていた。

信忠の東国征伐と武田家への離反工作

続いて、信長は信忠に東国征伐の総大将を命じた。武田家を討つことで織田家が武家の頂点に立つことを示す狙いであった。信忠は静子に間者の貸与を求め、武田家の領内で離反工作を行う作戦を計画した。民心を武田家から離し、戦いを有利に進めるための策略であった。

長宗我部との関係と四国統一の加速

静子は光秀に呼ばれ、長宗我部家の家臣である池四郎左衛門と面会した。長宗我部元親は織田家との関係を深め、四国統一を急いでいた。静子の支援によって長宗我部は三好勢力との戦いを優位に進めていたが、池はさらなる支援を遠慮したいと申し出た。その申し出に静子は驚きを隠せなかった。

千五百七十四年一月下旬

織田軍の軍事支援辞退と長宗我部の思惑

長宗我部は織田軍の軍事支援を辞退し、その理由を静子に説明した。池は、織田の支援を受け入れれば、長宗我部が四国を統治する正当性が失われると考えていた。四国の覇者であるためには、自力で成果を示さねばならなかった。静子はその主張を理解し、信長へ上申するよう促したが、池は歯切れが悪く、信長の逆鱗に触れることを恐れていた。彼は静子に仲介を依頼し、静子は三年以内に三好を滅ぼすことを条件に、信長への執り成しを引き受けた。

明智光秀の影響力と静子の判断

池の言葉から、長宗我部の背後に光秀の存在があることが明白となった。光秀はこの交渉を通じて、長宗我部への影響力を強化し、織田家にも利益をもたらす形を整えた。静子もまた、四国に大規模な果樹栽培地を作る計画を持ち、利害が一致したため交渉は円満にまとまった。池は静子と光秀に深く礼を述べて退出し、光秀はなおも話がある様子で残った。

秀吉との会談と今浜の発展計画

秀吉と会う予定であったが、緊急の連絡により彼は岐阜を発ち、静子は代わりに秀長と会談した。秀長は長浜の築城への協力に謝意を示し、地元民を雇用した工房街の建設が進んでいることを報告した。静子は尾張の工房が手狭になったため、ガラス産業の拡大を考えていた。秀吉は長浜を新たな生産地とすることを望み、ガラスと絹の産業を発展させる意向を示した。静子は秀長の相談を受け、長浜の特産品として「ちりめん」織りの導入を検討した。

織田家の治水計画と静子の協力

秀長は、長浜の水害対策を静子に相談し、彼女は治水技術の提供を了承した。水害の多い近江では、治水が地域の安定に不可欠であり、これが成されれば領地の価値が向上すると秀長は考えていた。静子の技術供与は、織田家全体の発展に寄与するものであり、秀長は彼女の見識に感心した。

信長の暦制定計画と静子の対応

静子が信長に長宗我部の件を報告しようとすると、信長から暦の制定についての命が下った。彼は静子の提案した暦を採用し、日本全国に広める意向を示した。信長は農業の安定に繋がると考え、旧暦と並行して新暦を導入する計画を進めた。静子は紀年法と時刻法も整備し、正式な草案を作成した。

雑賀衆への対策と九鬼水軍の配置

信長への報告の際、静子は九鬼水軍の運用方針を提案した。彼女は雑賀衆を分断し、太田党を懐柔する一方で、雑賀党には海上封鎖を行う策を示した。信長はその戦略の合理性を認め、九鬼水軍の配置を静子に委ねた。これにより、長宗我部の面子を保ちつつ、織田家に有利な状況を作ることが決定された。

玄朗の忠義と名の選択

信長は静子の家臣である玄朗の忠誠を評価した。玄朗は信長から「長」の一字を賜ったが、静子からの偏諱を優先し、命を懸けて願い出た。信長はその覚悟を称え、「静興」の名を許した。静子は家臣の忠誠に誇りを感じつつも、改めて家臣を大切にすることを誓った。

信長への暦法提出と静子の労力

静子は信長の決定を受け、正式な書類を作成する作業に入った。彼女は暦法、紀年法、時刻法を整理し、詳細な規則を制定した。この労力は大きかったが、信長の治世を支える重要な要素となるため、静子は手を抜かずに作業を進めた。

謙信の健康回復と上杉家の動向

冬の間に届いた書状の中には、上杉謙信の近況を伝えるものがあった。彼は禁酒を続け、体調が改善したと報告してきた。静子は彼の健康が維持されれば、上杉家の内紛が抑えられると考えた。彼が長生きすれば、日本の歴史に大きな影響を与える可能性があった。

前久の猫の依頼

前久からの書状には、公家の調略のための物資支援の依頼が記されていた。しかし、最後には自身の新しい猫を送って欲しいという私的な要望が添えられていた。静子は歴史的な逸話を思い出しつつ、その要望にどう対応すべきか頭を悩ませた。

千五百七十四年三月上旬

冬の訪れと静子邸の炊事

二月の寒さが続く中、静子邸の厨房からは炊事の煙が立ち上っていた。冬に収穫される食材は寒さに耐えるために糖分を蓄え、甘みが増す。静子は温かいブリ大根を作り、その味を堪能していた。使用したブリは尾張産であり、寒ブリほどではないが、十分に美味であった。

真田家との夕餉

その夜、静子は真田昌幸とその息子たちを夕餉に招いた。山国の甲斐では、新鮮な海の魚は珍しく、昌幸は静子の料理に感嘆した。一方、息子たちは厳しく躾けられていたため、緊張しながら食事をしていた。静子は彼らに遠慮せず食べるよう促し、ようやく二人は勢いよく食事をとるようになった。食事を終えた昌幸は感謝の意を示し、静子に図書室の利用を願い出た。

図書室の利用許可

静子は安全面から本の持ち出しを禁じ、七日に一度の利用を許可した。昌幸はこの許可を喜び、信之も図書室の常連となっていった。静子の図書室には洋の東西を問わず多くの書物があり、利用者は知識を求めて熱心に通った。

通年総決算の作業

三月に入り、静子邸の文官たちは通年総決算の作業に追われていた。決算書の作成は膨大な労力を要し、彩を筆頭に文官たちは総力を挙げて作業に取り組んだ。書類の整理と精査が続き、ようやく完成した決算書を静子へ提出した。静子は彼らの労をねぎらい、特別休暇を与えることを決めた。

図書室での読書と信之の熱意

図書室では信之が多くの書物を読みふけり、景勝とともに熱心に知識を吸収していた。静子は彼の興味の広さを称賛し、ただ読むだけでなく実践することの重要性を説いた。その後、昼餉に誘われた信之と景勝は、静子たちとともに食事を楽しんだ。

近衛前久の京での勢力拡大

京では近衛前久が勢力を拡大しつつあった。彼は公家たちを招き、尾張の文物を振る舞い、文化と芸術の発信に努めた。前久の邸宅は断熱構造を取り入れた快適な空間となっており、訪れた公家たちを魅了した。信長の治世の安定とともに、京の復興が進みつつあった。

信長の改革と新たな政策

三月、信長は暦法や度量衡、新貨幣の導入など、多岐にわたる政策を発布した。朝廷を動かし、公家の土地に関する徳政令を出し、商人たちの不満を抑えつつ改革を推し進めた。また、信長は従三位参議に任ぜられ、その権勢をさらに強固なものとした。

静子の従四位下叙任と京での役割

静子もまた、従四位下に叙任され、京の文化と芸術を守る役割を担った。しかし、彼女の関心はもっぱら京での交流にあり、特にイエズス会の連れてきた奴隷たちとの対話に興味を抱いていた。彼らから異文化の情報を得ることに努め、その記録を後世に残そうと考えていた。

紙の生産と市場戦略

静子は和紙の大量生産に向け、越前和紙と美濃和紙の職人たちを組織化した。高品質な和紙をブランド化し、職人の技術向上を促す制度を整えた。また、購買心理を考慮し、価格設定にも工夫を凝らし、和紙の普及に努めた。

明智の使者と静子の対応

ある日、明智の使者が急ぎの用件を持って静子を訪ねてきた。しかし、静子は決算書の整理を優先し、使者にはしばらく待つよう指示した。慶次や才蔵に応対を任せつつ、最後の仕上げに取り掛かることにした。

千五百七十四年三月下旬

謁見と光秀の使者

静子は清書を終えると、すぐに着替え、謁見に臨んだ。使者が到着を告げると、光秀の遣いはすでに平伏して待っていた。夕暮れ時に訪れ、日を改めることもできぬという用件であったため、静子は挨拶を省き、すぐに本題へと進めさせた。

帝の依頼と朝廷内の対立

光秀の遣いが語ったのは、京の治安回復後、商人たちが多様な品を持ち込み、貴族や庶民にまで広がった流通の話であった。中でも菓子を扱う商店は公家の間で人気を博していた。帝主催の歌御会にて、反近衛派の公家たちが供された茶請けに異議を唱え、近衛家を通さずに帝の権勢を示す菓子を用意するよう提案した。帝はこの挑発を受け、光秀に相談を持ち掛けた。光秀は、公家たちの思惑を見抜き、静子に解決策を求めた。

静子の決断と策謀

静子は、帝の要請を断ることができず、最適な菓子を考えることとなった。彼女は祖父が黄綬褒章を受けた際に天皇から下賜された記念品を思い出し、それを基にした菓子の案を思いついた。帝にふさわしい格式と意義を持つものとして、新たな菓子を用意する決意を固めた。

試作品と計画の進行

静子は試作品を準備し、近衛前久、明智光秀、細川藤孝らに披露した。それは、ボンボニエールを模した豪奢な容器に納められた特製の日本酒ボンボンであった。濃厚な糖液を封じ込めたこの菓子は、帝の権威を示す品として適していた。さらに、発案者を「仁比売」として公表することで、反織田派公家の目を欺き、光秀を介して彼らの動向を探る仕掛けが施された。

歌御会と策略の成功

光秀は、歌御会を利用し、敵対勢力を欺く計画を進めた。狩野松栄の絵を題材とし、細川が歌を考案、光秀の協力者が評価するという仕組みを整えた。前久を計画に組み込むことで、対立勢力はその意図を見抜けなかった。帝の威光を示す菓子と共に、歌御会は成功を収め、反織田派の公家たちは光秀に接触を試みるようになった。その結果、彼らの動向は信長へと筒抜けとなった。

北条家の動向と信長の狙い

静子が信長と対面した際、北条家の動きに関する報告書を受け取った。北条氏政は織田家への降伏を躊躇い、武田家との関係を維持していた。信長はこの状況を利用し、信忠に「負け方」を学ばせる意図を示した。戦に敗北することの重要性を理解させ、再起の方法を学ばせることで、信忠の成長を促す計画であった。

静子の役割と負け戦の意義

信長は、静子に信忠の目付役を命じた。信忠が無謀な策を講じぬよう監視し、劣勢を受け入れる訓練を施すことが求められた。信長は、単なる敗北ではなく、再起を前提とした負け方を教えることを重視し、それが信忠の成長に不可欠であると考えていた。

本願寺との交渉と政治的駆け引き

静子は彩との会話の中で、本願寺の存続を認める方針を説明した。本願寺を完全に潰せば、信者たちの反発を招き、宗教戦争の火種となる恐れがあった。そのため、本願寺を一定の影響力を持つ状態で存続させ、織田家の管理下に置くことが最善の策とされた。

近江の治水工事と経済の発展

静子は、自領の苗の生育状況を確認しつつ、近江の治水工事にも目を向けた。琵琶湖の氾濫を防ぐための工事や水運の確保が進められ、各地からの税収を用いた資金調達が行われた。加賀の一向宗勢力にも負担を求めることで、織田家の支配を強化する狙いがあった。

織田家内の競争と水運の支配

秀吉と光秀は、琵琶湖の水運の主導権を巡って競争していた。新たな輸送船が導入され、交易が活性化する中で、両者の対立は深まっていった。静子は、この状況を利用し、いくさを嫌う風潮を作ることで、織田家の安定を図ろうとした。

信長の遠大な計画と静子の決意

信長の狙いは、東国征伐の際に信忠を鍛えつつ、敵対勢力を巧みに利用することにあった。静子は、その計画を支えるべく、自らの役割を全うする決意を固めた。彼女は信長の意向を理解しつつ、政治的駆け引きに長けた存在として、織田家の未来を見据えて動く必要があった。

千五百七十四年六月中旬

春の到来と新たな法令

四月、尾張の菜の花畑が最盛期を迎え、遅い春の訪れを告げた。気候が穏やかになるのを見計らい、信長は新たな法令を発布した。これは全国的な勅許ではなく、織田領内に限定されたものであった。対象地域は尾張、美濃のほか、新たに編入された越前や近江も含まれ、附則を設けつつも、基本的には三本柱から成る法令であった。

楽市楽座令の拡大

第一の法令は『楽市楽座令』であり、尾張や美濃で既に定着していた政策を新領地にも適用することを目的としていた。これは特権を持つ商工業者を排除し、自由市場を創設するものであり、市場を妨害する者には厳罰が科せられた。信長の直轄領外での導入は実験的な意味合いもあり、経済の活性化が期待された。

刀狩り令の施行

第二の法令は、いわゆる『刀狩り令』であった。尾張や美濃で先行して実施されていたが、新領地でも適用されることとなった。戦乱の経験がある農民は多くの武具を所有しており、村同士の紛争で武器が持ち出され、人死にが絶えなかった。そのため、武士以外の武具所有を制限し、早期に武装解除に応じた者には尾張式の鉄製農具が支給された。なお、武具の管理責任が厳しく問われ、盗難に遭い犯罪に使用された場合、持ち主も罰せられることとなった。

政教分離令の導入

第三の法令は『政教分離令』であり、宗教勢力の政治介入を防ぐものであった。教義の優劣を巡る法論は武力衝突を招くことが多く、特に法華宗のように勢力拡大のために戦を仕掛ける例もあったため、論争への関与は厳しく罰せられた。また、為政者が特定の宗教に傾倒することも禁じられ、宗教勢力への不当な弾圧も制限された。ただし、宗教勢力が政治に介入した場合は、目付け役の承認のもと武力鎮圧が許された。

領国内の武装解除と反発の鎮圧

法令が発布されると、まず寺社勢力の武装解除が行われ、次いで民衆へと拡大された。特定の宗教を優遇していた領主は追放され、その影響を受けていた者も同様の措置を受けた。異論は多く出たが、信長は一切受け入れず、従わぬ者は例外なく処分した。加えて、宗教勢力への脅迫や弾圧を行った者も厳罰に処し、徹底抗戦の構えを見せる寺社には焼き討ちを行った。その苛烈な手法は、公正であると同時に恐れられた。

検地と城の撤去

武装解除が進むと、信長は家臣たちに検地の実施を命じた。黒鍬衆が各地に派遣され、近江や越前を優先的に測量した。さらに、不要な城の撤去も進められ、大規模な土木工事が必要とされた。特に信長の居城となる安土城周辺では、軍事拠点としての城が破棄され、物流の要所として機能するよう整備が進められた。

学校の拡大と寄宿舎の建設

静子が運営する学校は、有能な人材を輩出したことで評判となり、有力者が競って子弟を送り込むようになった。結果として、静子邸の敷地では収まりきらず、山裾を切り開いて寄宿舎を建設し、五月より全寮制学校として開校することになった。織田家の一族や重臣の子弟も学ぶこととなり、資金は潤沢に集まった。学校の定員は約200名、寄宿舎は500人規模の大規模な施設となった。

経済基盤の整備と治安向上

信長は森林整備や河川管理、港湾開発、街道普請を進め、新領地の戸籍配備や自警団の組織化も実施した。公共事業を主導することで雇用を創出し、経済を活性化させた。特に街道整備には力を入れ、流通の促進を優先した。従来の戦国時代では、外敵の侵入を防ぐため道を悪化させるのが常識であったが、信長はこれを否定し、国を富ませる方針を貫いた。

横領の摘発と綱紀粛正

信長は内部の腐敗にも目を向け、領内の年貢横領を徹底的に取り締まった。これまでは徴税担当者の役得としてある程度黙認されていたが、信長は厳しく禁止し、大規模な調査を実施した。その結果、十石単位の小規模な横領が頻発していることが発覚し、横領者に対して断固たる措置を取った。堀秀政と長可は領内を巡視し、隠し関所の摘発も進めた。

加賀一向宗討伐を巡る争い

加賀一向宗を挑発し戦場に引き出す役割を巡り、織田家の家臣たちの間で派閥争いが起きていた。柴田、佐々、蕭の父らが静子のもとを訪れ、協力を求めた。静子は、挑発すること自体は大前提に過ぎず、それを成し遂げることを全員の責任とすることで競争を回避する案を示した。これにより、実際に戦果を挙げた者の武功を評価する方式が採用され、軍議はようやく進展を見せた。

カカオ栽培と発酵技術の確立

六月を目前に控え、静子はカカオの収穫作業に追われていた。日本の気候に適応させるための品種改良を進める傍ら、発酵工程の研究も行った。バナナの葉を用いた発酵手法を採用し、質の高いカカオ豆の生産を試みた。また、コーヒーの栽培も進めており、樹高90センチに達した木の成長を見守っていた。

新たな訪問者と軍議の再開

作業を終えた静子のもとに、柴田、佐々、蕭の父が訪れた。加賀一向宗討伐に関する軍議は依然として進展せず、派閥争いが続いていた。静子は、戦場に引き出す段階は全員の責任とし、その後の戦果で競わせる案を提示した。これにより三者は納得し、軍議の膠着状態は解消されるかに思われた。しかし、後にさらなる問題が浮上することになる。

千五百七十四年七月中旬

静子の楽観とカカオ豆の発酵確認

柴田らとの相談から一週間が経過していたが、軍議再開の話は聞こえてこなかった。それでも静子は「便りがないのは良い便り」と捉え、気に留めることなくカカオ豆の発酵状態を確認していた。発酵が進んでいれば乾燥作業に移る必要があった。彼女はカットテストを実施し、色合いと香りを確認。発酵の進行に伴い、紫色だった断面は褐色へと変化し、香りも味噌のような甘みを含むものとなっていた。環境の違いを考慮し、静子は次の工程へと進むことにした。

乾燥施設の工夫とカカオ豆の加工

日本の温暖湿潤な気候では露地乾燥が難しく、静子はビニールハウスを活用しようと考えた。しかし湿度が高く、適していなかったため、廃材を利用した小型の乾燥施設を新たに建設。通気性を重視し、木材を多用した作りとなった。その結果、雨天にもかかわらずカカオ豆は良好に乾燥し、次の加工工程へと移行。カカオ豆を軽く焙煎し、外皮を剥がしてカカオニブを取り出し、水車動力の粉砕機で細かく磨砕。摩擦熱によりカカオバターが遊離し、ペースト状のカカオマスへと変化していった。

チョコレートの製造とコンチングの工程

静子は砂糖と無糖練乳を加え、時間をかけて混合。畜力を利用し、牛に混合機を回させることで作業を進めた。次に、コンチングと呼ばれる工程に入り、水車の動力で長時間チョコレートを練り続けた。これにより油分が滲み出し、香りが立ち、乳化が進行。滑らかな舌触りのチョコレートが生み出された。最後にテンパリングを行い、チョコレートの結晶構造を整えて完成へと至った。

軍議の召集と柴田の独断

軍議が開かれぬまま、柴田が静子の案を決定事項として各武将に通達してしまい、混乱を招いた。武将たちは詳細を理解できず、静子のもとに問い合わせが殺到。軍議への参加を求められ、静子は説明役を担うこととなった。軍議当日、武将たちは柴田の独断に不満を抱き、険悪な空気が漂っていた。静子は黒板を用いて策を説明し、武将たちを納得させることに成功したが、ここから具体的な布陣決定へと進んでいった。

軍議の難航と静子の調整

軍議は各々が有利な配置を求めて堂々巡りとなり、光秀が指摘したことでさらに険悪な雰囲気に。そこで静子が発言し、戦略上外せない配置を提案。秀吉の軍備不足を補うために軍資金や物資を提供し、光秀には加賀一向宗の逃走を防ぐ役割を担わせた。この調整により、柴田派・明智派・羽柴派が均衡を保ち、軍議は収束した。静子は一時的な損を承知で織田軍全体の利益を優先し、内部崩壊を防ぐことに成功した。

信長への献上と北条への布石

軍議後、静子は完成したチョコレートを信長に献上。信長と光秀は初めての味わいに驚きながらも楽しんでいた。その後、信長は静子と光秀に北条家の動向について話を持ちかけた。北条家が敵対姿勢を示した場合、織田軍にとって有利に働く状況を演出する必要があった。静子は状況を作る役割を担い、光秀には内部の裏切り者を炙り出す任務が課された。信長は慎重に計画を進めつつ、北条家との戦いを見据えていた。

静子の事業拡大と信長の叱責

静子は自身の事業を家臣へと引き継ぎ、養殖や農業事業の管理を徐々に任せるようになっていた。信長はそれを評価しつつも、静子が自らの休息を疎かにしている点を指摘。家臣のためにも休むべきだと説教をした。静子は困惑しつつも、信長の言葉を受け入れた。こうして静子は、戦略と事業の両輪を回しながら、自らの役割を果たしていくこととなった。

千五百七十四年九月上旬

加賀一向宗の動向と静子の開発事業

信長は加賀一向宗との緊張が高まる中でも、引き続き内政に注力していた。その一方で静子は、秀吉領での開発を終え、新たに大津方面の田上山の開発に着手した。田上山では鉱物資源の採掘と道路整備が進められ、特に花崗岩が豊富に産出された。中でも黄玉石は現代では宝石としての価値を持つが、当時は無価値とされていた。しかし、静子はその硬度に着目し、研磨剤として利用するため、現地の人々を雇って収集を進めた。特に雨後は比重の大きな黄玉石が露出しやすいため、危険手当を上乗せして作業を推奨した。

田上山の森林保護と持続的な林業の導入

静子は田上山での乱伐を禁じ、計画的な林業へと移行させた。史実では乱伐の影響で禿山となり、洪水が頻発していたが、それを未然に防ぐため、石見銀山でも採用された輪番伐採制度を導入した。さらに、琵琶湖の水流を守るため、大津方面の治水にも気を配り、秀吉に情報を流す形で政策を進めた。その一方で、静子は写真技術の開発にも着手し、情報の保全を目的としてガラス乾板を利用した白黒写真の実用化を試みた。しかし、銀塩写真の原理を応用しつつも、研究は難航していた。

花火の研究と軍事技術の応用

静子の研究の中で、花火技術の発展が意外な進展を見せた。元は銃弾や砲弾の研究の一環で、炎色反応を利用した視認性の高い弾丸を開発する過程で、花火の存在が職人たちの興味を引いた。線香花火から始まり、手持ち花火、ネズミ花火、コマ花火と進化し、ついには打ち上げ花火にまで至った。銅や錫などの炎色剤を使用したため、当初は青緑色の花火が主流であったが、これは戦国時代の人々にとって革新的なものであった。信長は帝のご臨席を賜り、夏祭りに花火を披露する計画を立てていたが、厳しい安全対策が求められていた。

加賀一向宗への挑発と戦の勃発

加賀一向宗に対する挑発が続き、遂に末端の僧兵が暴発した。織田軍は職人の護衛を名目に一向宗の勢力圏に入り込み、「本願寺は加賀を見捨てた」との噂を流し続けた。本願寺は挑発に乗らぬよう通達していたが、武力集団としての自尊心を揺さぶられた一向宗の一団が織田軍を襲撃。これに対し、柴田はこれを口実に反撃し、一向宗の拠点を包囲した。さらに、越後から上杉謙信が進軍を開始し、織田軍と連携して加賀一向宗を追い詰めた。

軍議の展開と長可の参戦

信長は加賀攻めの調整役として長可を派遣したが、彼が冷静に状況を報告するとは考えにくかった。長可は戦場に興味を示し、単なる報告役では終わらぬ可能性が高かった。光秀は加賀の国境を抑える役目を担い、遊撃部隊を編成し、加賀一向宗の背後を突く構えを見せた。一方で、秀吉の軍は再編成の最中であり、統制が取れず、戦力としては不安が残った。戦意の高い柴田軍とは対照的に、秀吉軍は慎重な動きを求められた。

花火大会の延期と貴族社会での需要

八月の花火大会は猛暑のため九月へ延期されたが、帝の体調不良により結局中止となった。その一方で、静子の事業の一環として、孔雀の飾り羽やダチョウの羽根の輸出が好調であった。特に孔雀の羽根はヨーロッパで高い評価を受け、主に貴族向けの装飾品として取引された。ダチョウの羽根もまた、装飾品としての価値が高く、ヨーロッパの貴族社会で珍重された。しかし、ダチョウ肉は適切な屠殺方法が確立されていなかったため、日本国内での消費にとどまっていた。

東山御物の収集と信長の興味

静子は東山御物の保護活動を進めており、散逸した文化財の所在を特定し、織田家の名の下に回収を進めていた。特に茶器の収集が進み、国宝級の曜変天目茶碗を三つ揃えることに成功した。これを聞きつけた信長は、静子のもとを訪れ、自ら所有する曜変天目と共に、全ての曜変天目茶碗を一堂に会させた。この歴史的な瞬間を迎え、信長は満足げに茶器を見つめていた。

千五百七十四年九月下旬

曜変天目茶碗の収集と信長の策略

信長は、曜変天目茶碗の全てが自身の手中に収まったことに満足していた。曜変天目は南宋時代の建窯でごく僅かに焼かれた希少な茶碗であり、完全な形を保つものはすべて日本に存在していた。信長は、文物保護を名目に茶碗を集め、静子に預ける形をとった。津田宗及が所持していた曜変天目も、時流を読み取った結果として信長に渡された。信長は、これらの茶碗を私利私欲で独占するのではなく、政治的に利用する考えを示した。

曜変天目茶碗の分散と写真による記録

信長は、曜変天目茶碗が一カ所に集まることの危険性を指摘し、信用の置ける者に分散して管理させる意向を示した。静子はその意図を理解し、写真技術を用いた詳細な記録を作成することを提案した。信長は写真の価値を認識し、開発を推し進めるよう命じた。これは、単なる美術品の保存に留まらず、政治的な資料としても活用されることを意味していた。

織田家の進展と加賀一向宗への対応

信長は、加賀一向宗との戦いが順調に進んでいることに手応えを感じていた。冬までには領土の三分の二を制圧できる計算であり、戦後の統治を見据えていた。安土への本拠地移転も控えており、静子には尾張の統治を託した。信長は、寺社勢力の武装を無効化することで、織田政権の統治を盤石なものにしようとしていた。

朝廷の動きと信長の天下観

信長は、朝廷内で自身の評判が悪化していることを認識していた。「織田はいずれ高転びに転ぶ」との噂が広まりつつあり、信長はそれが意図的な情報操作であると見抜いていた。静子は、信長が合理的すぎるが故に他者との共感を得にくい点を指摘しつつも、天下を取るに相応しい器であると認めた。信長は、自らの天下が長く続かないことを承知しながらも、改革を推し進める意欲を見せていた。

尾張米の処理と政治的影響

尾張米は信長の指示で作付け量を増やした結果、予想を超える収穫となり、市場に過剰供給される事態となった。投機対象とされた尾張米の価値を守るため、市場放出は制限された。静子は、尾張米を家臣や譜代の武将に贈ることで処理し、政治的な影響を最小限に抑える策を取った。同様に、大量に蓄えられた尾張の酒も適切に分配される必要があった。

加賀戦線の現状と光秀の孤立

光秀は独断で奇襲を成功させたものの、その結果として柴田軍との連携を欠き、孤立状態に陥った。奇襲の効果は大きく、加賀一向宗の戦力を大幅に削ぐことに成功したが、その戦術は周囲からの反発を招いた。静子は、光秀の陣へ物資を輸送する際の護衛を検討し、慶次がその役目を引き受けた。一方で、柴田の陣への訪問は静子自身が行うことを決めた。

信長の大和行きと松永久秀の動向

信長は、大和の統治を確立するため、自ら大和へ向かうことを決定した。大和では筒井順慶と松永久秀の確執が続いており、織田政権の安定には彼らを統制する必要があった。松永との交渉役として足満が名乗りを上げ、彼が直接話をつけることとなった。筒井側も、信長に母を人質として差し出しているため、容易に反抗することはできなかった。信長の訪問は、大和の有力者に織田の支配を明確に示す機会となる予定であった。

雑賀衆の分裂と信長の策略

信長は、伊勢経由で尾張と堺を結ぶ街道を整備し、交易を活発化させることで、経済的に石山本願寺の影響力を削ぐ策を講じた。これにより、雑賀衆や根来衆の中に、織田側の商業政策に乗る派閥と、従来の武装勢力としての独立を貫こうとする派閥が生まれた。雑賀衆は合議制を採っていたが、経済的利益を巡る対立が内部崩壊を招き、決定力を失った。信長は、武力ではなく経済を武器に敵対勢力を分裂させるという高度な戦略を成功させていた。

本願寺の混乱と織田の策謀

石山本願寺では、僧兵の逃亡が相次ぎ、雑賀衆の分裂も影響を及ぼしていた。下間頼廉と雑賀孫一は、信長の策略によって雑賀衆の団結が崩れたことを認識し、対策を協議した。しかし、武力による解決策は難しく、経済的な影響が大きいため、即座に織田に対抗する手段は見出せなかった。恵瓊は、信長が単なる武辺者ではなく、巧妙な策略を用いる人物であることを改めて認識した。頼廉は、信長が囮として自らを晒しつつ、巧妙に敵勢力を内部から崩壊させていることに気づき、戦略の奥深さに驚愕していた。

千五百七十四年十月上旬

織田の策略と雑賀衆の崩壊

孫一は頼廉の指摘を受け、織田が自らを囮とし、本命の策を隠していた可能性に思い至った。織田は商人を通じて情報を流し、雑賀衆の戦意を削ぐことに成功していた。傭兵集団としての雑賀衆は次第に商業に傾倒し、合議制の脆弱さを突かれて内部崩壊を始めた。孫一は感情を排し、生き残るために方針を変えねばならないことを理解していた。

雑賀衆の分裂と対織田戦略

織田の策により、抗戦派は少数派となり、雑賀衆の牙は失われつつあった。孫一は、全てを打ち明けて団結を図るよりも、織田が次の策を講じる前に動く必要があると考えた。頼廉もまた、本願寺が毛利以外の支援を失い、もはや籠城するしかない状況に追い込まれていることを痛感していた。今や尋常な手段では巻き返せず、何かを犠牲にして大逆転を狙うほか道はなかった。

静子邸の茶室と信長の意図

信長は静子の茶室で茶会を開くよう命じた。静子の茶室は極めて質素で、豪華な東山御物なども置かれていなかったため、信長の意図は不明であった。茶の湯に関心の薄い静子は、周囲の評価を意に介さず、ありのままの姿勢を貫いた。しかし、その茶室に招かれた人物こそ、茶の湯の大家・千宗易(後の千利休)であった。

宗易との茶会と侘び茶の確立

宗易は、豪華な茶器を重んじる風潮に疑問を抱いていたが、静子の簡素な茶室に触れ、自らの理想とする茶の湯の形を見出した。彼は「侘び茶」という新たな概念を見出し、静子の茶の湯に感銘を受けた。信長はこれを見届け、宗易の侘び茶が流行すれば、自身が名物を手に入れやすくなると考えていた。

大和支配の布石と東大寺の訪問

信長は大和入りし、東大寺を訪れた。軍勢に厳格な規律を課し、無法を許さぬ姿勢を示すことで、大和の支配を既成事実化した。信長は礼儀正しく振る舞い、東大寺の僧たちに自らの意図を理解させた上で、蘭奢待の一部を削り取る許可を得た。彼の目的は、大和の有力者に織田の支配を認めさせることであった。

松永久秀の出迎えと平蜘蛛の交渉

松永久秀は信長の到着を見越し、いち早く挨拶に赴いた。信長は松永に対し、平蜘蛛の提供を示唆しつつ、筒井順慶との関係に注意を促した。松永は平蜘蛛を手放すことを躊躇しながらも、織田に従う姿勢を見せた。しかし、その後、足満との遭遇により、彼の恐怖は決定的なものとなった。

足満の威圧と松永の屈服

足満は松永に静子への敬意を強要し、織田に弓引けば地獄を見ると暗に脅した。松永は完全に恐怖に支配され、静子との謁見でも過剰にへりくだった態度を見せた。彼は静子が持つ異質な支配力に圧倒され、織田家に逆らう意思を完全に失った。大和の他の有力者も、松永の憔悴した姿を目にし、織田への服従を決意することとなる。

信長の統治方針と朝廷への配慮

信長は東大寺と春日大社で、織田政権の芸事保護の方針を説明し、静子への協力を求めた。また、朝廷との関係を円滑にするため、蘭奢待の一部を正親町天皇へ献上した。信長は単なる武力支配ではなく、文化的な影響力を行使しつつ、大和を完全に掌握していった。

千五百七十四年十二月上旬

信長の帰国と静子の帰宅

信長の大和巡視は成功裏に終わり、彼は京に立ち寄って蘭奢待の一片を正親町天皇に献上した後、岐阜へ帰国した。静子も同行していたが、岐阜で信長と別れ、尾張の自邸へと戻った。邸宅では、握り飯を片手に長可が迎えた。彼は加賀攻めの残党狩りには興味がなく、早々に帰参していた。さらに慶次も同様に帰国し、美濃までは共に行動していたが、その後行方をくらましていた。

試飲会の秘密

長可の口から「試飲会」という言葉が漏れたことで、静子は何か隠し事があると察し、問い詰めた。すると、男たちはホップを使用したビールを密造し、試飲会を開こうとしていたことが発覚した。酒造に関する法律では、商用目的の醸造には税の支払いが義務付けられていたが、男たちは自家消費の範囲を超える量を仕込んでいた。静子は彼らに今後は必ず申告するように釘を刺し、今回の分は給金から酒税を差し引くと決めた。

濃姫の来訪と尾張逗留

その後、濃姫が静子を訪ねてきた。彼女は突然の訪問でありながら、「公の場では天下人の正室として振る舞うべき」と儀礼的な態度を見せた。しかし、私的な場に移るとすぐに気さくな本来の姿に戻った。濃姫とお市は信長の命で尾張に滞在することになった。近江の情勢がまだ安定せず、信長の家族が狙われる可能性があるため、尾張で安全を確保することが目的だった。信長の配慮には家族思いの側面もあったが、無能な味方を排除しようとする意図もあった。

試飲会の発覚と正式な品評会への昇格

男たちの密造酒試飲会は、静子の耳に入り、発覚した。彼女は厳しい態度で彼らを咎め、税を納めることを条件に、試飲会を正式な品評会として認めた。そして、広間で宴会を開き、各酒の評価を行うよう命じた。男たちは驚きつつも、提供された豪華な料理に興奮し、静子の寛大な処置に感謝した。

酒の評価と宴の展開

男たちはそれぞれビールやワインを味わい、その評価を交わした。ビールは足満やみつおに好評だったが、長可や高虎には苦味が強すぎると感じられた。一方で、虎太郎が仕込んだ白ワインは穏やかな味わいと評され、赤ワインは酸味と苦味が強いながらもチーズとの相性が抜群だった。慶次も興味を示し、ワインの魅力に引き込まれていった。宴は次第に盛り上がり、最後には全員が酔い潰れるまで続いた。

静子の苦労と夜の紙芝居

一方で、静子は女性陣に囲まれ、延々と紙芝居の上演をさせられていた。これは庶民向けの教育と娯楽を兼ねた試みだったが、茶々や初、お市、さらには濃姫までが熱心に聞き入り、夜通し続ける羽目になった。彼女はため息をつきながらも、最後まで付き合うことになった。

千五百七十四年十二月下旬

加賀一向宗の崩壊と織田家の勝利

信長と加賀一向宗との戦いは、織田家の圧勝で幕を閉じた。北陸地方の勢力図が塗り替わる中、途中参戦した上杉謙信は迅速に本願寺勢を駆逐し、能登国を支配下に置いた。一方、柴田勝家は加賀国を手中に収め、織田家の北陸征伐は成功を収めた。この戦の結果、信長は本願寺勢を東国から放逐することに成功し、織田包囲網の瓦解を決定づけた。信長は参戦した武将たちに感状と褒美を授与し、柴田には茶会の主催を許可した。本願寺は経済的にも朝廷への影響力の面でも衰退の一途をたどり、信長に全面対決するか、降伏するかの岐路に立たされていた。

静子の事務作業と年末の準備

加賀平定の成功に沸く織田家とは対照的に、静子は事務作業に追われていた。彼女は後方支援を担当したものの、戦に直接参戦していないため、感状を受け取ることもなく、年末の仕事に没頭していた。特に、年の暮れにはお歳暮の準備に追われ、格式に応じた名代の手配に苦慮していた。さらに、信長の呼び出しを受け、安土移転に関する話かと思いながら岐阜へ向かった。

信長の養子縁組の提案

岐阜城での会談で、信長は静子に自身の子を養子に迎えるよう提案した。静子は当初、信長の子がどこかの家へ養子に出される話だと誤解したが、実際には彼女自身が養親となる話であった。信長は「静子に相応しい婿はいない」と断言し、織田家に後継ぎがいないことが内乱の火種になりかねないと指摘した。そして、信長は特に「訳あり」の子を預けると述べた。

双子の秘密と可成の補佐

静子が詳細を尋ねると、信長は渋々「双子」であることを明かした。戦国時代において双子は不吉とされ、産まれる前から不遇な扱いを受けることが多かった。特に織田家の嫡流においては、双子の存在が後継問題の火種になるため、信長も悩んでいた。しかし、静子ならば双子を育て上げることで、世間の偏見を払拭できると信長は考えた。加えて、彼らを支える補佐役として森可成がつくことも決まった。可成は「功遂げ、身退くは天の道なり」と述べ、静子の補佐に回ることを快諾した。

双子の迎え入れと乳母の処罰

信長からの指示を受け、静子は可成から双子を紹介された。名は男児が「四六」、女児が「器」とされたが、どちらも即興でつけられたものだった。双子は数え年で十四になるが、成長が遅れ、栄養状態も悪かった。その原因は、乳母による育児放棄にあった。乳母は双子を粗略に扱い、最低限の世話すら怠っていたことが発覚し、信長の怒りを買った。可成の進言により、乳母は十四年間の幽閉刑に処され、同じ苦しみを味わうこととなった。

静子の新たな家族としての決意

双子を引き取った静子は、まずは彼らの健康を取り戻すことを優先し、入浴や食事の改善に努めた。しかし、双子はなかなか心を開かず、特に四六は静子との会話を避けた。静子は彼の態度に悩んだが、慶次との会話を偶然聞き、四六が「静子に嫌われたくない」と思い詰めていることを知る。四六はこれまでの扱いから「自分は迷惑な存在」と考えており、静子に対しても遠慮し続けていた。

彩の助言と静子の気づき

静子が落ち込んでいると、側近の彩が「静子様は子供に見返りを求めています」と指摘した。かつて彩が幼かった頃、静子はただ無条件に彼女を可愛がっていたが、今の静子は四六や器に「心を開いてほしい」と期待していた。静子はこの言葉にハッとし、双子に愛情を示すことを第一に考えるようになった。それ以降、四六と器に対して積極的に関わり、無条件の愛情を示すことに努めた。

双子の変化と家族の絆

静子の努力により、双子は次第に彼女に心を開いていった。特に器は早くから静子に懐き、四六も少しずつ態度を和らげた。慶次の助言もあり、四六は「静子のような大人になるのではなく、自分自身の道を見つけること」が大切だと気づいた。そして、静子の家族として新たな一歩を踏み出すことを決意した。

忘年会の準備と静子の新たな挑戦

年の暮れが近づき、静子は恒例の忘年会の準備を進めていた。今年は双子の歓迎会も兼ねるため、規模がさらに拡大していた。慶次に参加者の確認を頼んでいたが、彼はすっかり忘れていた。静子はそれを見越して事前に確認を取り、慶次の焦る様子を見て微笑んだ。四六も主賓としての参加を命じられ、彼にとって新たな経験となることが決まった。

四六は静子の屋敷での暮らしに戸惑いながらも、次第にその環境に馴染みつつあった。彼の心にはまだ迷いが残るが、慶次の助言を受け、自分なりの道を見つける決意を固めた。静子に託された覇王の血を引く双子の未来が、ここから始まることとなった。

書き下ろし番外編  新しい酒造りは前途多難?

酒米精米技術の進歩

静子は技術街からの報告書を手にし、新型精米機の成果に目を輝かせていた。飯米用とは異なり、酒米の精米はより高い精度が求められる。既存の攪拌式精米機では米の表面を削る割合を上げると砕米が増え、歩留まりが悪化するという問題があった。しかし、新たに開発された精米機は、横にしたドラム状の籠の中で回転軸を用い、玄米をゆっくりと削る仕組みを採用していた。この工夫により、四割削りを行っても七割以上の歩留まりを維持することに成功した。しかし、長時間の運転で熱が蓄積し、時間効率が悪いという課題は残されていた。

親雄町の挑戦

静子は「親雄町」という新たな酒米の品種を栽培していた。雄町の原種に近い米を選び抜き、実験的に育てたものであった。この米は背丈が高く、風に弱い長桿品種であり、さらに晩稲であるため栽培には困難が伴った。しかし、長期間の生育を経ることで豊かな味わいを生み出す特性を持っていた。品種固定には十年以上の歳月が必要であり、まだ先行投資の段階であったが、信長の支援を受けながら着実に進められていた。

新酒『日下開山』の誕生

新たな酒米を用いた酒造りは、精米技術と職人の努力により進められた。精米歩合四割を実現するためには、手作業で削る工程が必要となり、製造には膨大な労力がかかっていた。その結果、生まれた清酒『日下開山』は、芳醇な香りと複雑な味わいを持つ仕上がりとなった。しかし、静子自身は信長から禁酒を言い渡されており、その味を直接確かめることはできなかった。

酒の品評会と武将たちの評価

静子は新酒の評価を得るため、配下の酒豪たちと上杉勢を招いて品評会を開催した。参加者には慶次、長可、才蔵、足満、高虎、五郎、四郎、みつおが名を連ね、特別枠として景勝と兼続が加わった。彼らは『日下開山』を口にすると、その濃厚な風味と辛口の味わいを高く評価した。特にみつおは、「芳醇辛口」と評し、強いコクと深い味わいが特徴的であると述べた。試しに熱燗にもされ、その芳香とともに、より力強い味わいが引き立つことが確認された。

酒宴の盛り上がりと語らい

酒宴は深夜まで続き、武将たちは思い思いに酒を楽しんだ。長可は慶次の軽口に乗せられ、才蔵に窘められる場面もあった。景勝と兼続もこの新酒の品質に驚嘆し、特に燗酒としての味わいを気に入った様子であった。五郎と四郎は、それぞれの立場の変化についてしみじみと語り合い、かつての下働きから今の地位を得たことを実感していた。才蔵は普段の慎重さを忘れ、静子から「偶には休め」と言われていたこともあり、珍しく酒席を楽しんでいた。

品評会の成果と今後の展望

品評会が終わると、みつおが集めた評価を杜氏に報告することとなった。『日下開山』は今後も改良が続けられ、尾張の特産品として確立される予定であった。ただし、米の品種改良はまだ途上であり、酒の味も今後変化していく可能性が高かった。静子は酒造りの技術を全国に広め、切磋琢磨できる環境を作ることが発展の鍵になると考えていた。

二日酔いの処置と静子の休息

翌朝、品評会の参加者たちは予想通り二日酔いになっていた。静子は彼らのために、卵雑炊やシジミの味噌汁などの回復食を用意するよう指示した。一方で、静子自身は仕事に戻るつもりであったが、才蔵の不在を理由に彩が彼女を止めた。彩は静子に「貴女の代わりは誰にも務まらないのだから、もっと自身を大切にしてほしい」と忠告した。静子はそれを受け入れ、久々にゆっくりと休息を取ることとなった。

フリーダム

正室としての役割

戦国時代において、正室とは奥向きの一切を取り仕切る立場であった。奥とは、住居の奥まった場所を指すのみならず、そこに住む者や彼らの役割も意味する。女性の社会進出が制限されていた当時、正室は家庭内の統率を担い、側室の動向管理や世継ぎの教育にも関与した。奥向きは、表舞台である戦場や政務とは異なり、女性が築いた独自の世界であった。

濃姫の自由な振る舞い

しかし、その常識に当てはまらない例外も存在した。織田本家の奥向きを統括すべき濃姫は、静子の邸宅に頻繁に足を運んでいた。本来であれば正室不在は問題を生じさせるはずであったが、濃姫の管理は完璧であり、留守中に不正を働く者も現れなかった。信長自身も彼女の行動を黙認し、「好きにさせよ」と許可を与えていたため、誰もその行動を咎めることはなかった。

バナナジュースの手間

ある日、濃姫は静子のもてなしで南蛮の飲み物を口にした。それはバナナを用いたフレッシュジュースであった。しかし、戦国時代においてジュースを作ることは容易ではなかった。バナナは種が多く、裏ごしを繰り返しながら繊維を取り除き、さらに木綿の布で濾す必要があった。その後、牛乳と蜂蜜を加え、満遍なく攪拌するという手間のかかる工程を経てようやく完成した。静子は、たった一杯のジュースを作るのに膨大な労力がかかることに改めて気づき、楽をする仕組みを考えなければならないと独りごちた。

濃姫の評価と静子の苦悩

濃姫はバナナジュースの味を気に入り、他の果物も試したいと興味を示した。バナナは種が多く食べにくいものと思っていたが、このように加工すれば喉越しもよく楽しめることに感心した。しかし、手間がかかることを静子が指摘すると、濃姫は「静子が手ずから作るからこそ、美味しく感じるもの」と笑い、あくまで自分で作ることは興ざめだと語った。さらに、事前に来訪を知らせてほしいと静子が求めるも、「慌てる静子を見るのが楽しみである」と告げ、今後も態度を改めるつもりがないことを示した。静子はやるせない溜息をつきつつも、濃姫の奔放さに抗うことはできなかった。

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戦国小町苦労譚 シリーズ

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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