簡単な感想
ヴィットマンが遂に旅立つ。
それを一生懸命介護する静子が、、涙
どんな本?
戦国小町苦労譚は、夾竹桃氏によるライトノベル。
農業高校で学ぶ歴史好きな女子高生が戦国の時代へとタイムスリップし、織田信長の元で仕えるという展開が特徴。
元々は「小説家になろう」での連載がスタートし、後にアース・スターノベルから書籍としても登場。
その上、コミックアース・スターでも漫画の連載されている。
このシリーズは発行部数が200万部を突破している。
この作品は、主人公の静子が現代の知識や技術を用いて戦国時代の農業や内政を改革し、信長の天下統一を助けるという物語。
静子は信長の相談役として様々な問題に対処し、信長の家臣や他のタイムスリップ者と共に信長の無茶ブリに応える。
この物語には、歴史の事実や知識が散りばめられており、読者は戦国の時代の世界観を楽しむことができる。
2016年に小説家になろうで、パクリ騒動があったらしいが、、、
利用規約違反、引用の問題だったらしい。
読んだ本のタイトル
戦国小町苦労譚 12 哀惜の刻
著者:#夾竹桃 氏
イラスト:#平沢下戸 氏
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あらすじ・内容
さらば、愛しき者たちよ
本願寺との和睦が迫る中、
ヴィットマンとバルティに老いの兆しが……
打ちひしがれる静子と、それを支える仲間たち。
ついに訪れるその日――
時は巡り、1576年正月。
恋愛も結婚もすっとばして二児の母となった静子は、
コタツで枝豆を堪能していた。
本願寺がついに信長に屈しようという節目を迎える中、
ヴィットマンが老衰のため体調を崩してしまう。
これまで誰よりも近くにいた家族の老いに動揺する静子。
一切の仕事が手につかなくなった静子は、信長と配下たちにあるお願いをするのだった……
戦国小町苦労譚 十二、 哀惜の刻
感想
老齢の狼達が静子の看病の末に矜恃を持って旅立つ(涙)
そのために信長を筆頭に周りが静子が看病に集中出来るように手を回し、世間から彼等を護るのもなかなかに来るものがある。
そして別れの時も家臣、領民が総出で静かに見送るのも、、、
泣いてまう。
ただ、最後の神社の静子の話は笑わせてもらったw金太郎かよ!
新しい家臣も出て来たが、、
天狗??
しかもカレー中毒!
クマを素手で締め殺せる、隠密に優れてる土木建築に詳しい修行僧、、
一体何者だ?
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備忘録
天正三年哀惜の刻
千五百七十六年一月上旬
新年の静子邸
天正三年の元旦、静子邸は例年通り閑散としていた。侍女や小間使いたちは実家に帰省し、残ったのは正月勤務の特典を狙う衛兵や、帰省先を持たぬ者たちであった。奥の間では静子が皆に新年の挨拶を述べ、凜とした表情で頭を下げた。四六をはじめとする家族同然の者たちもそれに応じ、新年の祝宴が始まった。
静子は祝い肴とお神酒を振る舞い、四六と器には縁起物として口をつけるよう促した。自身も禁酒令に従い、舌を湿らせる程度に留めた。こうして和やかな雰囲気の中、彼らは束の間の正月休みを楽しんでいた。
静子の新たな立場
信長の子である四六と器を養子に迎えたことで、静子の立場は大きく変化した。それまでは一代限りの成り上がりと見なされていたが、主家が彼女の家を正式に認めたことで、織田家譜代の重臣としての地位が確立された。この変化により、静子のもとには様々な縁を求める者たちが訪れるようになり、年始の挨拶の訪問者は前年の倍以上に膨れ上がっていた。
静子は、年賀の挨拶を整理するため、彩と蕭に最終確認を命じた。彩は金庫番として長年仕えていたが、平民出身であるため、家格を重んじる貴族層の応対には蕭の協力が必要であった。これに加え、足満も護衛として同席することを申し出た。
静子の結婚観と家臣たちの反応
足満は、かつて静子に求婚する者がいたことを回顧しつつ、最近はそうした動きがなくなったことに安堵していた。静子自身も、結婚に対して消極的な姿勢を貫いていた。かつて恋愛観を語る際に、友人たちから選んだ相手をことごとく否定された経験があり、最終的には「祖父母や両親が決めた相手と恋をしよう」と達観するに至った。
このような経緯から、信長が養子縁組を提案した際、静子は義務感ではなく信頼のもとに受け入れた。一方で、彩の結婚については信長に適任者を探してもらう考えを示したが、彩自身は「静子様を放ってはおけない」と結婚に乗り気ではなかった。
四六の成長と側近の選定
静子は、四六が将来的に家を継ぐことを見据え、信頼できる側近を確保するよう助言した。足満は、自身の立場を振り返りつつ、「色物集団」と揶揄される静子の家臣たちについても語った。静子は、類は友を呼ぶと言わんばかりに、自分の人柄がそのような集団を作り上げたのではないかと苦笑した。
新年の初勝負と足満の嗜好
静子と足満は新年の恒例として将棋を指すことになったが、足満の圧倒的な実力を前に、静子は「今に見ていろ」と虚勢を張った。さらに、彼がビール造りに熱を入れていることに触れ、最近では枝豆の栽培まで始めたことを指摘した。足満は「丹波の黒豆こそ至高」と豪語し、研究に余念がなかった。
みつおと鶴姫の異常な愛情表現
話題は、静子の知人であるみつおとその妻・鶴姫の関係に及んだ。みつおは、妻への愛情を惜しみなく表現する人物であり、その熱量は戦国時代の価値観を超越していた。四六がみつおに興味を示すと、静子は「訪問後に温かいご飯と風呂を用意しておく」と忠告した。
神戸信孝の訪問
正月の挨拶の中、静子のもとに意外な訪問者が現れた。神戸三七郎こと織田信孝である。彼は織田家の庶流にあたるが、静子とはほとんど交流がなかった。信孝の意図を図りかねた静子は、ひとまず面会を受けることにした。
信孝は、伊勢神宮の参詣者の増加と、それに伴う宿場町の拡張について相談を持ちかけた。静子は、商人向けの店舗貸出や、安価な宿の整備案を提案した。信孝はその計画に賛同し、早速家臣たちと協議する意向を示した。
信孝の悩みと静子の助言
信孝の本題は、兄・信雄との確執であった。織田家の序列において、信孝は信雄よりも低い立場に置かれており、その不満を抱えていた。静子は、信長が過去に実弟と家督争いを繰り広げた経緯を引き合いに出し、信雄との対立が信長にとって望ましいものではないことを示唆した。
信孝は、この助言を受けて自らの立場を見つめ直し、信長の意思を理解した。そして、今後は兄・信忠を支える形で織田家に貢献することを決意した。
信長の反応
後日、静子から信孝とのやり取りを聞いた信長は、一言「知った風なことを抜かしおって」と呟いた。しかし、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
千五百七十六年一月中旬
本願寺の謀反と静子の対応
本願寺で下間頼廉による謀反が発生した。顕如と教如は拘束され、本願寺内に幽閉された。静子は真田昌幸に情報収集を命じ、頼廉が本願寺へ入った経路を探った。補給路が封鎖されていたにもかかわらず、頼廉は難民に紛れて内部に潜入していた可能性が高かった。静子は事態の黒幕が信長であると察しつつ、本願寺の武装解除を促進するため、街道封鎖と間者狩りを指示した。
情報攪乱と封鎖策
静子は完全な情報遮断が困難であることを理解し、誤情報を混ぜて拡散する攪乱策を講じた。真実を半分、共通情報を三割、偽情報を二割混ぜ、各勢力の判断を遅らせた。特に本願寺から逃れた者を保護し、意図的に誤った情報を持たせて放つことで、敵対勢力の動きを抑え込んだ。数日後、本願寺に関する真偽不明の噂が飛び交い、情勢はさらに混乱した。
本願寺の武装解除と頼廉の謀反の狙い
雑賀衆が解放され、本願寺の武装解除は着実に進んでいた。しかし、頼廉がこの時期に謀反を起こした理由は不明であった。過去に下剋上を狙っていたのであれば、もっと早い段階で権力を掌握できたはずである。静子は昌幸にさらなる裏取りを命じ、慎重に事態を見守ることにした。
秀吉の苦境と静子の判断
毛利との戦局を打開するため、秀吉は静子に協力を求めた。だが、慶次や足満は「静子軍を利用されるだけ」と判断し、慎重な対応を求めた。静子は秀吉のために大軍を派遣するつもりはなく、最小限の協力に留める方針を固めた。一方で、新たに育成中の狙撃兵を試す好機と捉え、昌幸に狙撃部隊の指揮を任せることを決定した。
本願寺の沈黙と織田家の影響
本願寺は武装解除したものの、織田に降ることもなく沈黙を守った。信長は佐久間に封鎖解除を命じ、物資補給が再開された。静子は本願寺問題から一旦離れ、自身の関与する事業の報告を受けた。経営体制が整い始めていることに安堵しつつ、次の戦略を練ることにした。
雑賀衆の転向と果樹栽培の計画
本願寺を離れた雑賀衆は、信長の斡旋により商業へと転身した。織田家との確執は残るものの、融資を受けた者たちは恩義を感じ、武装解除が進んだ。一方で、静子は紀州ミカンの栽培に目をつけたが、種なしミカンが縁起悪いとされる時代背景を考慮し、慎重に進めることにした。
九州への関与と新たな展望
静子は四国の長宗我部氏を裏から支援し、九州情勢にも目を向けた。雑賀衆の商業化に伴い、戦国の傭兵集団としての役割は終焉を迎えつつあった。新たな経済基盤の構築を目指し、久次郎を頼ることを決めた。
千五百七十六年二月中旬
久次郎の九州進出
久次郎は近江の大店「田上屋」の店主であり、静子の御用商人としての役割を果たしていた。彼は本願寺との関係を絶たれた毛利家が織田家の覇業を阻めないと判断し、いずれ九州にも戦火が及ぶと見ていた。そこで、戦災による混乱に備え、静子が芸事保護に乗り出すことを想定し、九州で支援体制を構築するため奔走した。武家との取引には現金や現物が必要であり、遠方の九州へ大量の資産を輸送することは困難であった。久次郎は自ら拠点を設け、現地で資金を融通できるようにすることで、商取引の円滑化を図った。その結果、彼は巨額の手数料を得ると同時に、近江から遠く離れた九州においても「田上屋」の影響力を拡大し、一大商業コングロマリットとしての地位を築き上げた。
株式制度と商業ネットワークの構築
静子は分社化による企業運営を構想していたが、久次郎はこれを「暖簾分け」の発展形と解釈し、家族的な結びつきを重視した企業グループを形成した。この方式が当時の時代背景に適合し、成功を収めることとなった。その結果、「田上屋」は全国的に知られる商業網を確立し、尾張で預けた現金を九州で引き出せる、まるで現代の銀行のような送金システムを実現した。この仕組みは九州の国人たちにも評価され、久次郎は芸事保護の現地総代理人としての地位を確立した。
蛍丸の交渉と静子の戦略
静子は阿蘇氏が所有する名刀「蛍丸」の借用を試みた。この刀は後に行方不明となるが、戦国時代では阿蘇氏の家宝として厳重に管理されていた。阿蘇氏は島津氏への降伏後も、この刀を守り続けており、交渉は難航すると予測された。そこで静子は、義父の前久を通じて朝廷から勅書を賜り、さらに久次郎を派遣して現地での交渉を進めることで、相手の信頼を得る方策を取った。この背景には、織田家という強大な武力の後ろ盾があり、これにより交渉が成功する可能性を高めた。
刀剣の写しと研究支援
静子は名刀の研究を進めるため、写しの制作を積極的に推進していた。彼女が所有する刀剣は「本科(本物)」「写し(本科が失われた場合)」「写し(本科が現存する場合)」の三種類に分類される。写しの制作には精巧な技術が求められるが、製造工程が明確であれば精度の高い写しを作ることができる。静子は刀鍛冶の支援を行い、刀剣の保全と研究を両立させた。彼女の愛刀「大包平」も普段佩刀しているのは写しであり、本科は厳重に管理されていた。また、写しには製造年月日と「静写」の銘が刻まれ、混同を防ぐ措置が取られた。
にっかり青江の買い取りと柴田勝家の対応
静子は「にっかり青江」を所有していたが、これは偶然の幸運によるものであった。この名刀は柴田勝家が所有しており、静子は借用だけに留まると考えていた。しかし、柴田は二つ返事で譲渡を承諾し、その代わりに彼の領地経営を補佐することになった。この取引は織田家にとっても有益であり、信長の許可を得て成立した。静子は刀剣を愛する者同士の取引として喜びつつも、柴田のあっさりとした対応に複雑な感情を抱いていた。
刀剣の管理と盗難対策
名刀が高値で取引されるようになると、盗難のリスクが増大した。静子は借用した刀剣を厳重に管理し、詳細な計測データを取得した後に写しを制作することで、原本の安全を確保した。運搬時には静子軍の正規兵が警護し、特に重要な刀剣は静子邸の蔵で保管された。こうした措置により、信用を損なうことなく刀剣の研究と保存を進めることができた。
景勝と尾張の生活
景勝は尾張に滞在し、図書館で知識を深めながら、鍛錬を続けていた。尾張の生活は快適であり、景勝は豊かな食事と知識の蓄積に感銘を受けていた。しかし、彼はこの恩恵を受けるだけで良いのかと悩み、越後の民にもこの豊かさを届けるべきだと考えていた。同じく尾張に滞在する信之と語り合いながら、静子の政策や統治の手腕について改めて認識を深めていった。
静子の影響力と統治
静子は織田家の一員として尾張の統治を担い、その影響力は信忠をも上回るほどであった。彼女は武力だけでなく、経済や技術支援を通じて尾張の繁栄を支えており、他国の統治者にも影響を与えていた。彼女の政策は単なる軍事力による支配ではなく、経済発展を基盤とした支配であり、これが民衆の支持を集める要因となっていた。
静子の悲しみと別れ
二月初旬、静子は長年の相棒であるヴィットマンの体調悪化に直面した。老齢のため体力が衰えていたヴィットマンは、ある日突然咳込み、血の混じる吐瀉物を吐いた。静子はすぐに医者を呼んだが、状況は深刻であり、彼の余命が短いことを察した。この出来事をきっかけに、静子は塞ぎ込み、普段のように明るく振る舞うことができなくなった。彼女は自らの感情を抑えながらも、大切な存在を失うことへの恐怖と悲しみに打ちひしがれていた。
彩や市は彼女を支えようとしたが、静子の心は追いつかず、時間が必要であると告げた。静子はいつも冷静に物事を判断し、合理的に行動してきたが、この時ばかりは感情を抑えることができず、深い悲しみに沈んでいた。
千五百七十六年三月下旬
ヴィットマンの容体と静子の献身
ヴィットマンは異常の早期発見と迅速な対応により小康状態を取り戻した。静子は献身的に看護を続け、医師であるみつおの診断では肺炎の疑いが強く、安静と栄養補給が必要とされた。意識を取り戻したヴィットマンは、餌や水にほとんど口をつけず、遠くの山を見つめていた。みつおはその行動を死期を悟った家畜の典型例であると説明し、無理に生を引き止めることは人間のエゴに過ぎないと静子に諭した。
ヴィットマンとの最後の時
静子は感情を抑え、みつおの言葉を受け入れた。彼女はヴィットマンの体温が驚くほど低下していることに気づき、湯たんぽを用意して温めることにした。死期の近さを悟ると、静子はヴィットマンを大切に抱きしめた。かつてのような力強さはなくとも、まだ確かに生きている温もりがあった。ヴィットマンは静子の頬を舐め、一声鳴いた後、彼女に立ち去るよう促した。静子は決意し、従者たちに部屋への立ち入り禁止を命じた。
静子の決意と新たな訪問者
静子はヴィットマンの最期を看取りつつ、領主としての務めを果たす決意を新たにした。その矢先、日本人離れした隆々たる体格を持つ華嶺行者が訪れた。彼は静子が調合したカレー粉に魅了され、主君として仰ぐことを決めた修験者であった。
華嶺行者の来歴と能力
華嶺行者は、信孝の依頼で山中に出没する天狗を退治するために派遣された静子の側近たちと遭遇した。彼の戦闘能力は高く、長可と才蔵の攻撃をいとも容易くさばいた。しかし、慶次の誘いで鍋を囲み、結果として静子の配下となった。その隠密行動能力と膨大な知識を活かし、外交僧としての役割を担うこととなった。
本願寺和睦の報せ
華嶺行者が持ち込んだ報告によれば、本願寺の頼廉が織田家との和睦に動き出した。これは戦国時代の一大勢力であった本願寺が信長に膝を屈することを意味し、戦の終結を示唆していた。しかし、強硬派である教如の反発が予想された。
静子の決断と次なる戦い
静子は教如の動きを警戒しながら、第二次東国征伐の準備を進めるよう指示した。信長は今回の戦で織田の圧倒的な力を誇示することを求めるだろう。三方ヶ原の戦いでは防衛に徹したが、今度は攻勢に出る番である。静子は新たな戦いに向けて準備を進めていた。
義昭の陰謀と足満の怒り
一方、足満は静子の暗殺計画を察知し、その黒幕が足利義昭であることを突き止めた。義昭は織田包囲網を構築する中で静子の存在を目障りに感じ、彼女の排除を画策していた。しかし、足満はすべての関係者を洗い出し、計画を未然に潰した。彼の怒りは収まらず、義昭に対し報復を誓った。
第三次織田包囲網の形成
義昭は依然として将軍の座への執着を捨てきれず、北条や武田、上杉を動かして第三次織田包囲網の形成を画策していた。静子はそれを見抜き、織田家の次なる戦いの布石を打とうとしていた。信長の命の下、静子は圧倒的な武力をもって戦局を支配する準備を進めていた。
千五百七十六年四月上旬
信長の花見宴の準備
信長は春の訪れを祝う花見の宴を催すことを決め、功を上げた家臣たちを賞する場とした。静子は酒宴に必要な物品の手配を命じられたが、その内容から信長自身が甘いものを食べたがっていることを察した。ヴィットマンの容体もあり長期間の留守は避けたかったが、彩たちの後押しもあって久しぶりに晴れの場に姿を見せることになった。
静子の衣装選び
彩と蕭は、信長主催の花見という機会を逃さず、静子に最も華やかな衣装を用意することにした。これまでの静子は男装が多く、着飾ることがなかったが、今回の衣装は特注の本振袖であった。振袖の地色は赤紫で、ろうけつ染めを施した吉祥の草花が精緻に描かれていた。その華やかさに静子は驚いたが、彩たちの強い意向を察し、彼女たちの思惑に従うことにした。
振袖と帯の工夫
振袖に合わせた帯も特注品であり、振袖の絵柄と一体となるようデザインされていた。全体の調和を意識した作りに静子は感心しつつ、着崩れが許されないことに若干の不安を覚えた。しかし、一任した以上は腹を括り、当日の準備を整えた。
宴会場への移動
出発の際、静子は輿に乗せられた。普段は馬での移動が主であったため違和感があったが、次第に輿の揺れにも慣れた。会場に到着すると、信長の近習である堀秀政が迎えに来ていた。堀は静子の装いに驚愕し、礼節に長けた彼ですら一瞬動きを止めるほどであった。
信長との対面
堀の案内で静子は信長の待つ四阿へと向かった。信長は桜を見上げていたが、静子の姿を見ると僅かに息を吞んだ。そして、彼女の変貌を称賛しながら、席へと招いた。二人はそこで織田家の戦略について話し合い、静子は本願寺の動向や各地の掌握状況について報告した。信長はその成果を喜び、静子の働きを高く評価した。
京便りと情報網の構築
静子は信長に「京便り」と呼ばれる情報誌を手渡した。これは近衛前久が発行するもので、公家たちの情報共有の場となっていた。信長はこの情報の重要性を理解し、本願寺の動向を見極めた上で、次なる戦略を立てようとしていた。公家たちが織田を軽視し、自由に発言していることを把握した信長は、それを利用し、時が来れば大掃除を行うつもりであった。
宴席での静子の変化
信長の側近として静子が姿を見せたことで、彼女の立場がより強固なものとなった。濃姫は静子を男の社会から引き離し、女性の社交場へと導いた。これまで男装していたため、貴婦人たちとの関わりが少なかった静子であったが、今回の振袖姿は彼女らの価値観を揺さぶるものとなった。
女性社会での評価
静子の装いに興味を持った貴婦人たちは、振袖の染色技術や化粧法に強い関心を示した。濃姫は巧みに会話を誘導し、静子の着物を絶賛することで、彼女を女社会の中で確固たる地位へと押し上げた。静子が広めた新たな流行は、その場の貴婦人たちを魅了し、彼女の存在をより一層際立たせるものとなった。
新たな立場の確立
この場で静子が認められたことで、彼女の影響力は女性社会にも及ぶこととなった。濃姫はそれを確信し、今後も静子が武家社会と女性の社交界の双方で影響を持つ存在になることを期待していた。
千五百七十六年五月下旬
本願寺の衰退と頼廉の決断
信長が花見の宴を催す中、石山本願寺では寂寥感が漂っていた。頼廉率いる穏健派が主流となり、教如の強硬派は勢いを失い、僧房に立て籠もっていた。中立の僧たちは財産を抱え、すでに包囲が解かれた本願寺を後にしていた。信徒たちもこの動きを見て本願寺の行く末を悟り、次々と離散した。信長との和睦の条件として本願寺を放棄することが決まり、頼廉はその準備を進めていた。
顕如との対話
頼廉は幽閉された顕如のもとを訪れ、和睦の進捗を報告した。信長は一向宗の存続を許したが、武力と政治への介入を禁じた。頼廉は信徒たちの安全を確保したものの、指導層には厳しい処置が待っていた。顕如は沈黙を貫き、頼廉の言葉に応じることはなかった。頼廉が立ち去った後、顕如は自らの未練を呟き、静寂が牢に戻った。
播磨での赤松氏の抵抗
一方、播磨では秀吉が赤松氏の激しい抵抗に苦戦していた。播磨の地は反骨精神が強く、赤松氏は政権への反抗を繰り返してきた。秀吉の軍は赤松氏のしぶとい戦いぶりに手を焼いていたが、静子軍から派遣された真田昌幸率いる狙撃部隊が効果を発揮しつつあった。
狙撃部隊の戦術と赤松氏の対抗
狙撃部隊は、敵の下士官を狙撃し、軍の統制を崩す戦術を採った。しかし、赤松氏はこれに対抗し、防御を強化して前進を続けた。彼らは重厚な鎧をまとい、ついには下馬して歩兵と共に進軍するなど、形振り構わぬ姿勢を見せた。この粘り強さに昌幸も驚きを隠せなかった。
狙撃部隊への不満と内部の思惑
秀吉軍の将兵は狙撃部隊を臆病者と見なし、不満を漏らした。これに憤る狙撃兵・菊は、侮辱した者への報復を企んだが、兄の一郎に制止された。菊は静子を崇拝するあまり、静子への侮辱を許せなかった。昌幸は彼女の過激さを知りつつも、軽くいなすに留めた。
狙撃部隊の成果と戦術
狙撃部隊は敵の斥候や指揮官を排除し、進軍を妨害する戦術を続けた。彼らの正確な射撃により、赤松軍は撤退を余儀なくされた。しかし、敵将を狙撃してしまうと秀吉の面目を潰しかねないため、狙撃部隊は戦果を抑えながら慎重に行動した。
静子の休暇願と信長の心境
五月に入り、信長の機嫌は悪化していた。その原因は、静子からの休暇願であった。彼女は長年寄り添ってきた狼ヴィットマンとバルティの看病に専念するため、一時的に仕事を離れたいと願い出た。信長は静子の決断を咎めるどころか、彼女の負担を減らすことができなかった己を恥じた。
信長の静子への思い
静子は長年、信長を支え続けてきた。彼女がいなければ、現在の織田家の繁栄はなかったかもしれない。特に三方ヶ原の戦いの勝利は、静子の尽力によるものが大きかった。そんな彼女が初めて見せた弱さに、信長は静子の人間らしさを感じ、彼女の願いを叶えることを決意した。
静子の影響と信長の配慮
信長は静子の負担を減らすため、書状を作成し、余計な厄介ごとが彼女のもとへ持ち込まれぬよう先回りした。これまで静子に多くの無理を強いてきた信長は、今度は自らが彼女のために動こうとした。信長は静子の存在が己にとってどれほど大きいものかを改めて実感し、彼女に振り回され続ける運命を受け入れていた。
千五百七十六年六月上旬
ヴィットマンの回復と静子の献身
五月中旬、静子の献身的な看護の甲斐もあって、肺炎の症状を示していたヴィットマンは危機を脱した。しかし、老齢の彼が失った体力を取り戻すのは容易ではなく、眠る時間が増えていた。かつては静子の足音に反応して飛び起きていたが、今ではその活力も見る影もなかった。静子は彼の体を揺さぶって起こし、少しでも筋力を維持させようと努めた。
ヴィットマンのリハビリと最後の願い
ヴィットマンは震える足で立ち上がり、静子の呼びかけに応じながらゆっくりと歩みを進めた。かつては一息で駆けられた距離も、今では長く感じられた。それでも散歩を続けるのは、ヴィットマンが山を眺める時間が増えたからである。彼は己の死地を山に定めたのだ。静子はその願いを叶えようと決意し、日課として短い散歩を続けた。
衰えゆくヴィットマンとバルティの発症
散歩後のヴィットマンはほとんどの時間を眠って過ごし、睡眠中の粗相も増えた。静子はその事実に胸を痛めつつ、清掃を欠かさず快適に過ごせるよう努めた。そんな中、ヴィットマンの番いであるバルティも同様の症状を示し始めた。しかし、彼女は体力があったため軽症で済んだ。それでも静子は二頭に忍び寄る死の気配を感じ、恐れを抱かずにはいられなかった。
静子の葛藤と受け入れられない現実
バルティの体に触れようとした静子だったが、結局触れることができず、力なく手を下ろした。彼女の老いを知るのが怖かったのだ。知ることを恐れる自分の弱さに、静子は深く後悔しながら謝罪の言葉を口にした。
静子を敵視する者たち
静子は領民や配下から慕われていたが、織田家に敵対する者たちから見れば怨敵に他ならなかった。経済政策によって得をする者がいる一方、没落する者もおり、その不満は静子に向けられた。変化に適応できない者は淘汰されるのが世の常であるが、それを恨む者は少なくなかった。そしてついに、その不満が行動へと移されることになった。
襲撃者の粛清
木賃宿に潜んでいた牢人たちのもとへ長可が踏み込み、ためらいなく金棒を振るった。わずか数秒で二人が絶命し、残る二人も抵抗する間もなく制圧された。最後の一人は恐怖のあまり泣き崩れ、長可に捕らえられた。彼らが持っていた連判状には、襲撃の黒幕の名が記されている可能性があった。
長可の苛立ちと無力感
長可は己の苛立ちを抑えられなかった。静子の力になりたいにもかかわらず、彼女は自分を頼ろうとしなかった。その無力感が彼を苛立たせ、必要以上に手を汚す結果となった。「静子が弱っている時こそ力になりたいのに、こんなことでしか役に立てない自分が恨めしい……」と呟いた彼の声は、誰の耳にも届くことはなかった。
静子の願いと仲間の決意
そんな中、静子が長可たちを呼び集めた。憔悴しきった静子は「私人としてのお願い」と前置きし、ヴィットマンが死地と定めた山を一年間禁足地にしたいと願い出た。そして、亡骸が自然に還った後には神社を建立したいと続けた。権力者が私情で共有財産を制限すれば反発を招くのは必至であり、それを調整するのが長可たちの役割であった。
仲間たちの支援
長可は真っ先に「俺向きの仕事じゃねえか!」と笑い、才蔵がそれに突っ込み、周囲が苦笑する中で場の雰囲気が和らいだ。皆は静子の頼みを快諾し、慶次や足満も「もっと俺たちを頼れ」と声をかけた。彼らの支えを受け、静子は「私の我が儘であの山を一年閉鎖したい。そのために必要なすべてを片付けるのに、皆の力を貸してほしい」とはっきりと願いを述べた。
信長の介入と禁足地の準備
蕭は信長に嘆願書を提出し、静子に取り入ろうとする者たちの接触を遮断した。信長はこれを快諾し、さらに自らの権威をもって静子への干渉を禁じた。その命令は瞬く間に広まり、静子はようやく静かな時間を得ることができた。一方、彩は閉山による経済的影響を算出し、補償策を講じるため動いていた。
静子の静かな時間と心の変化
静子はヴィットマンとバルティと共に、静かな時間を過ごしていた。警護の存在を感じながらも、二頭と過ごす時間は自由だった頃を思い出させた。「お前たちが元気だった頃が思い出される」と呟きながら、彼女は過ぎ去った日々に想いを馳せた。しかし、それはもう戻らない。
訪れる別れ
静子は諦観ではなく、老いた二頭の死をありのまま受け入れる境地へと至りつつあった。「ヴィットマンに出会えてよかった」と静子は静かに呟いた。そして、その別れの時は、突然訪れた。
別れの予兆と静子の決意
夜半、静子は風の冷たさに目を覚ました。納屋の寝床を確認すると、ヴィットマンとバルティの姿が消えていた。普段は閉じられているはずの窓から月明かりが差し込んでおり、納屋の入り口も開け放たれていた。手の甲に残る濡れた感触から、二頭が別れの挨拶をしたのだと理解した静子は、涙を抑えられなかった。それでも彼らを見送るため、感情を抑えて駆け出した。
見送りの準備と足満の助言
屋敷を出ると、足満が静子に上着を掛けた。さらに、母屋の縁側には慶次や兼続、四六の姿もあり、多くの者が二頭の旅立ちを見守っていた。門衛は静かに門を開け、最小限の燈明を灯していた。門の外に出ると、月明かりの下、ヴィットマンとバルティが寄り添いながら歩む姿が見えた。足満は静子に「笑って見送ってやるのが主の務めだ」と諭した。静子は涙をこらえ、両頬を叩いて覚悟を決めた。
民たちの祈りと静子の誇り
静子が見送る中、屋敷だけでなく町の人々も各々の家の前に座し、手を合わせて二頭を見送っていた。彼らにとって、静子の忠実な伴侶であり、領地を守ってきた狼たちはもはや獣ではなく、信仰の対象ですらあった。静子は彼らを誇りに思いながら、感謝を胸に見送った。
最後の遠吠えと静寂の訪れ
遠ざかる二頭の姿が見えなくなった頃、夜の静寂を切り裂くように一度だけ遠吠えが響いた。それは見送りに来た静子の存在を感じ取った二頭の最後の挨拶であった。静子はその声に、確かな絆の証を感じた。二頭はそのまま闇に包まれた山へと消えていった。
慶次と兼続の静かな別れ
母屋の縁側では、慶次と兼続が無言で盃を傾けていた。四六は落ち着かず、黙って見送ったことへの疑問を口にした。慶次は「彼らは覚悟を決めていた。余計な手助けは侮辱になる」と答え、兼続も「これは不慮の別れではなく、彼らが選んだ別離なのだ」と続けた。四六は納得できずにいたが、二人の言葉を噛みしめていた。
四六の葛藤と成長
四六は、自分が静子のために何かできないかと考え続けていたが、慶次の「誰かの代わりになる必要はない。自分のやり方で支えてやれ」という言葉に目を開かされた。兼続も「今日を精一杯生きた者だけが、明日を迎えられるのだ」と説いた。四六は、自分の甘さを恥じながらも、これからの在り方を見つめ直す決意を固めた。
ヴィットマンとバルティの最期の歩み
二頭は互いに体を支え合いながら、山の中腹にある静子と出会った場所へと辿り着いた。そこは彼らが家族となった象徴的な場所であった。ヴィットマンは麓の灯りを見つめながら静かに横たわった。しかし、その時、山の頂から何かに呼ばれるような感覚を覚えた。
導かれる二頭と山頂での遠吠え
不思議な力に導かれるように、二頭は立ち上がり、山頂へと歩を進めた。月明かりが雲間から差し込み、光が山頂を照らした。二頭はその光に向かって、力強く遠吠えを上げた。その声は遥か麓の静子のもとまで届いたことだろう。そして、光に包まれた二頭は、静かに山の頂で息を引き取った。
後世に伝えられる伝説
後の世では、この出来事が誇張され、『大神神社』の縁起として語られることとなった。静子と二頭の狼は神の使いとされ、戦国の世を支えた存在として神格化された。戦火を鎮め、知恵を授ける神として崇められ、多くの参拝者が訪れるようになった。実際の静子とは異なる人物像が伝えられたが、狼たちの生き様が神話となったことで、彼らの存在は永遠に語り継がれることとなった。
書き下ろし番外編
物流の女王
尾張の発展と静子のインフラ事業
静子の事業の根幹は、街道や上下水道の整備に支えられた都市インフラの発展にあった。港湾部では乾式ドックが稼働し、物流の拠点として大型倉庫や常設市場が設置された。さらに、商人や観光客向けの宿泊施設、娯楽施設、飲食店街が立ち並び、尾張から各地の宿場町へと続く街道では駅馬車が頻繁に往来した。こうした発展により、「尾張に無いものなし」と評され、西の堺に対して東の尾張と並び称されるほどになった。
河川舟運の強化と物流の拡大
戦国時代において陸路と海路に加え、河川舟運も重要な流通手段であった。静子は水深の浅い河川に適した高瀬舟を大量に生産し、その部品を規格化することで安価かつ効率的な輸送手段を確立した。さらに、急流対策として支流を整備し、護岸工事を施し、運河の開削により材木などの重量物の運搬効率を飛躍的に向上させた。
技術革新と港湾整備
大型高瀬舟には規格化されたコンテナを採用し、専用の積み下ろし設備を設置することで大量輸送を実現した。油圧式ジャッキとトルクリールを組み込んだ機械式クレーンが稼働し、スターリングエンジン技術の発展により水車動力で動く重機が導入された。適した港がない場合は埋め立てや掘り込みなどの土木工事を施し、尾張を中心に志摩、伊勢、三河など近隣諸国との流通を拡大した。これにより尾張は物流の中心地へと成長した。
静子の経済政策と利益の循環
静子は巨額の私財を投じたものの、船舶代金や整備費、通行料、港湾設備使用料を徴収することで、投資額を上回る収益を得ていた。そのため、彼女の財政は逼迫することなく、経済を活性化させるための富の再配分も積極的に行われた。事業収益の多くは配下や株主に還元され、余剰資金は信長へと上納された。
信長の評価と静子への警戒
静子の事業収益は信長の権勢を支える原動力となり、多くの権力者の関心を集めた。静子への直接的な干渉は信長が防いでいたが、不心得者による陰謀は後を絶たなかった。しかし、静子は織田家の重鎮であり、五摂家筆頭の近衛家にも名を連ねる存在となっていたため、下手に手を出せば一族皆殺しとなる危険を孕んでいた。
保津川開削計画と光秀の協力
静子は上納金の見返りとして、保津川の開削を信長に願い出た。保津川は急流であり、運航が困難なため、この計画が実現すれば京への物流が飛躍的に向上する。信長はこれを利のある計画と判断し了承した。静子はさらに保津川流域を支配する明智光秀にも打診し、こちらも快諾を得た。光秀にとっては農作物や材木を京へ輸送する道が開け、税収や流通による利益が見込める計画であった。
物流の女王と信長の笑い
この計画は、後に角倉了以によって行われた史実の保津川開削に通じるものであった。静子は南蛮で言う「女王」のように物流を支配しつつあったが、信長は「静子ほど王の称号が似合わぬ者もおらぬ」と嘯き、彼女が王冠を戴きながら農作業をする姿を想像し、大いに笑った。
財力誇示も自衛手段の一つ
静子の多忙な日々
静子は社会的地位の向上に伴い、自由な時間が減っていることに気付いた。かつては地位が上がれば余裕が生まれると考えていたが、現実は逆であり、遊ぶ時間どころか、決裁や意思決定に追われる日々が続いていた。実務の大半は家臣が処理していたが、それでも静子の負担は増す一方であった。また、戦国時代においては貴人が単独で行動することは許されず、どこへ行くにも大勢の随行者が必要であった。
自縄自縛の状況
静子の言葉に、彩は呆れた様子で「自縄自縛」と評した。地位の向上によって裁量が増え、それに伴い事業を拡大してきたのは静子自身である。その結果、経済的な成功を収め、織田家の重鎮として遇されるまでになったが、同時に多くの人々が静子の成功にあやかろうとし、次々と案件が持ち込まれた。唯一、南国果実の栽培だけは静子自身が関与し続けていたが、それも奪われるのは時間の問題であった。
貴族のような手
静子は己の手を見つめ、ため息をついた。かつては農作業や水仕事で荒れ果てていた手も、今では滑らかで柔らかくなり、貴族のような手になっていた。縄を綯い、鍬を握り続けていた頃には指の付け根にできていたタコも、今ではほとんど消えていた。これに対し、彩は誇らしげに「皆で磨き上げました」と答えた。静子がみすぼらしい姿であれば、それは彼女に仕える家臣にとっても恥となるため、彩たちは静子の美しさを引き立てるために細心の注意を払っていた。
貴婦人たちの関心
静子の肌はきめ細かく、椿油で丁寧に梳かれた髪は貴婦人たちの間でも話題となっていた。その髪の手入れ方法や道具についての問い合わせは後を絶たなかった。静子は「人の上に立つには見た目にも気を配らねばならないのが面倒だ」とぼやいたが、彩は「未だに静子様を侮る者がいる以上、財力や権力、技術力だけでなく、美容という明確な力の差も見せる必要がある」と断言した。
静子を守る者たち
静子は自身が表立って行動しようとすると、周囲が「身の程を弁えろ」と牽制してくることに苦笑していた。これに対し、彩は「それも静子様のご人望ゆえ」とさらりと流したが、静子の脳裏には足満や長可の険しい表情、才蔵や慶次の静かな怒りが浮かんでいた。慶次ならば穏便に済ませるかもしれないが、他の三人が動けば、物理的にも精神的にも甚大な被害が出るのは避けられなかった。
力の原理が支配する世界
才蔵が動けば、より気性の激しい足満や長可が黙っているはずもなく、どう転んでも騒動は避けられない。静子は彼らを抑えることはできたが、無理に止めることはしなかった。彼らにも譲れぬ一線があり、明らかな侮辱を黙認すれば、戦国の世では骨までしゃぶられるのが常であった。力の原理が支配するこの時代では、相手が誰であれ、噛みついてよい相手と悪い相手を見極めることが重要であった。
後片付けの懸念
静子は「家屋敷を更地にされるのは困る」と苦笑した。これに彩も同じ光景を想像したのか、困ったような笑みを浮かべた。
同シリーズ
戦国小町苦労譚 シリーズ
小説版

















漫画





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